2010/4/16

また、とある  日常

ブログに書かれている言説を受けてのつぶやきで恐縮だが、イラクで爆弾テロをやっているひとたちの意志を第三者に「悪意」と呼ばせてしまうものを孕んでいることが、あの映画の最大の「悪意」かもしれない。あれは「悪意」ではなく「意志」でしょう。三菱重工ビルをやったと言われている《狼》が持っていたものは「悪意」ではなく「意志」であったはずで、それと同じことが、ただ習慣化されているがゆえに感覚が取り違えられているかもしれないが、イラクでもなされているはずだ。
もちろん兵士に「悪意」と取られてもいたしかたないが、第三者がそれを「悪意」と名指す権利はない。その陥穽にあの映画の罪がある。
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