2007/8/12

百まで生きるための音。  テレビ

NHKスペシャル「鬼太郎が見た玉砕〜水木しげるの戦争」(西岡琢也・作)が素晴らしかった。残念なことに最後の四十分しか見ることができなかったが、じゅうぶんに嗚咽した。こうした感傷の踏み入る余地のない事実を見てもなお、戦争にひとかけらでも正当性を認める思考は可能だろうか。私には信じられない。
……それにしても、サヴァイヴァーと幽霊の再会はいつだって感動的だ。それはたぶんサヴァイヴァーという存在が、生き残っている時間の経過(老いてゆく自分)と死んでしまった時間の停止(若いままの死者)との二重の経験に同時に身を置いてしまうからだろう。
そうしてこの二つの経験的時間が様態を取り替える、つまり経過が停止・結晶化し、彫像が運動を始めるという逆転現象が見る者の前で起こるからではないか。これは映画的動因の典型的な一例に他ならない。つまりいわゆるストップモーションという技術の発明されたモチベーションもここらへんにないともかぎらないのではないか。
(一晩経って推敲する気になったのは、あるブログを読んで大友良英さんが音楽を担当されていたことを思い出し、ハタとこの逆転現象に思い当たったからだ。そう言えば水木しげるが紙の上に彫るように筆圧高くペン入れをするときに鳴っていたギシギシというペン先の音、あれはまるで何かの音を逆回転させているような音だったが、水木しげるが過去を漫画に描くという行為/状態そのもののうちにすでにここで言おうとした逆転現象があったのかもしれない、と考えるとあらゆる現象にはこうした行為と状態が入れ替わるような逆転が起こりうる可能性が潜在しているのかもしれず、だからそこにやはり感傷のつけ入る隙などないのだ。)
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