2009/12/31

分かれ道に立つ。  日常

もはやM−1を見ることも忘れ、ひたすらダラダラとしたリズムで原稿書きに向かう日々を過ごす師走後半。ようやく残すところあとひとつ、という感じでグダグダモードに突入してしまった。なにをする気も起こらない。しかしまだほんのちょっと猶予はある。こんなときは読書するしかない。ということでコーマック・マッカーシー『ブラッド・メリディアン』を読み始めた。某誌から書評執筆依頼があったため。
『パブリック・エネミーズ』は見た。銃器の扱いはさすがだし、かつてより描写の腕も上がっている。中心の恋愛がいささか子供っぽくて苦笑したが、まあいいんじゃないかこれだけ丁寧に描くのであれば、そういうことも。
飲み会やら打合せやらいろいろ忙しかったが、ひとに会えば会うほど外出嫌いになっていくことに気づかされた。このまま行くとなにかすべて遮断しそうでこわい。魔が差すということがある。こわいのだけれど、どうでもいい、というかたちで興味を失っていくばかりなのも止みそうにない。興味が向かうのは脚本と俳優の演技、それにカット構成ばかりだ。最近しばしばいろんなところでいろんなひとが呟く「物語の復権」という言葉を目にすることがあるが、「復権」とはいかなる意味だろう。まるでかつて物語が「権」を失ったことがあるとでもいうように聞える。物語批判とは、決して「権」を失うことのないその構造、つまり透明さに抗してその存在を暴きだす試みだったにすぎないはずだが。そうしてその「権」に誰もが無意識に染まったかのように同じ物語を語り始めることの自覚の不在を、顔をはたいて気づかせることだったはずだが。それは最近のテレビで、小沢に権力が集中している、と誰もが発言することにも似ている。いつだって権力を持っているのは他ならぬテレビそのものだろうに。そのときテレビは決して民意ではない。いわばただのいじめっ子だ。
だがもうそういうこともどうでもいい。私は脚本と俳優の演技とカット構成さえしっかり考えることができればそれでいい。議論など誰としたってしかたない。ただわが道を行くしかない。

などと言ってる間にすぐさま猶予もなくなり、今年中にどうにかできることなどなにもなくなった。あーあ。まあいいや。年が明けてから頑張ろう。
62

2009/12/19

年末地獄めぐり  労働

赤坂→乃木坂(てっぺん越え)→新宿→目黒→羽田→石垣(泊)→与那国→那覇(泊)→小倉(泊)→小倉(泊)→小倉(泊)→帰京……という今年最後のダイハードは平均睡眠時間三時間で強行突破したが、まったく金もないのにひどい散財となった挙句、体はズタズタである。先ほど加圧へ行って首がとんでもないことになっているのに気づいた。まさに首が回らない、とはこのこと。いつまで続く、借金地獄(と飲酒地獄)。

しかし、とにかくねむい。

帰宅後は、リビングに新装備されたこたつ地獄からほぼ出られず、オコターと化していた。
やっぱいいよ、オコタは。命名オーガスティン。

それでも、ある原稿のために『秋日和』をDVDで。あるシーンでハッとして、これもしかしたら、と思ったらやはりそうだった、となんのことやらだが、詳しくは原稿で。そういえば原稿もえらく溜まっている。今日明日で決着をつけなければ。
20

2009/12/7

ウェルマン・木下・黒沢  映画

土曜、シアターコクーンにて作/レジナルド・ローズ、演出/蜷川幸雄『十二人の怒れる男』を。子供のころ、テレビでルメットのあれを見て感動に震えて以来のことだが、やはりこの話はもっと小学生や中学生に見せるべきだ。今回は戯曲を正確にやることが目的と思われたのでそうした提案はお門違いだろうが、仕分けされた子供向けの劇団などはこの戯曲こそを巡回して見せてまわるべきだろう。時代が違うとか国籍が違うとかといって敬遠するのは間違っている。この普遍こそを子供は感じ取るのだ。
それにしても中井喜一さん、かっこよすぎだ。身のこなし、特に振り向き方は現代の俳優にはない。完全にお父上を超えたのではないか。

日曜、原稿を書くために木下恵介『お嬢さん乾杯!』とリチャード・C・サラフィアン『バニシング・ポイント』をDVDで。久しぶりに見たこの木下にはウィリアム・ウェルマンの演出を参照している箇所がある。また、木下という演出家はひどくモダンなギャグをちりばめる人で、そんなところも黒沢清に通じる何かを感じるのだが、ウェルマン〜木下〜黒沢という流れを考えるとなにやら奇妙に納得できるものがあり、唸った。デビューしたての佐田啓二がガットギターをつまびいて唄うのだが、それが失敗していてもそ知らぬ顔でOKしている。ここらへんも黒沢っぽい。バイクで二人乗りして東京じゅうを走り回るところなども、そういう場面は撮らないけれど妙に黒沢さんっぽい。
『バニシング・ポイント』は、相変わらず『バニシング・ポイント』だった。笑って流した。
19

2009/12/3

眼は脳の一部である……  映画

見ろ見ろと薦められてようやく『脳内ニューヨーク』を。
題名どおり、昔懐かしい「脳の映画」NY版、と呼んで差し支えあるまい。見ている間は気にも留めなかったが、原題のsynecdocheは「提喩・代喩」を意味する。「類で種を、また一部で全体を(またはその逆)表す比喩」なのだそうだ。冒頭の歌や途中で出てくるナプキンの「スケネクタディ」というNY州北部の田舎町(たぶん郷愁=歴史の「代喩」だ)の名前がひっかけてある。たしかにそのものずばりな意思は感じ取れる。ロケしながらわざわざCGで空に天蓋を描きこみ、サマンサ・モートンの役をエミリー・ワトソン(たしかにこの二人、ときどきどっちがどっちやら、と混乱する)が演じ、フィリップ・シーモア・ホフマンをトム・ヌーナンやダイアン・ウィーストが演じる、その部分に亀裂(ひとは「代喩」たりえない)を生じさせつつもそれをオブラートに包むように主題として前面に押し出さないのはチャーリー・カウフマンの公明正大な倫理というか良心にはちがいない。また、体験から追体験へ移行する編集の、既視感を援用した速度などは実に見事な手捌きである。撮影にフレデリック・エルムスを起用する辺り、ニューヨーク派を襲名せんとする意気込みも買おう。だがそうした「問題作」であることは認めつつ、どうしても支持したいと思わせない。好きになれない、というか。どこか1カットでも、おっ、というショットがあればそれで全面的に肯定したかもしれないが、一切そんなショットはないのだ。それを禁欲的と賛美することも不可能ではないが、いまさら禁欲などされたってなあ、という感じだ。というよりむしろそういうショットの撮り方を知らないのではないか、という懸念がある。これはスパイク・ジョーンズの映画を見ても同じことを感じる。それとちょっと長すぎる。これを80分〜90分でやってのけていたらそれだけで、お見事!と認めていただろうが。
どうやら週刊誌では「ひとりよがり」などという言葉で批判されているらしいが、それはとんでもない言いがかりであり、お門違いだ。これほど滅私奉公的な映画も最近珍しい。そもそも「脳の映画」は、作家個人の外部に設けた厳密にアカデミックな理論に基づく設定を構築した上でドライヴするしかつくりようのないもので、そこでは独善はそれこそ「禁欲」せねばならない。だからそこが麗しくもあり、同時に弱点でもある。魅力的な「ひとりよがり」=ショットがない、というのはそういう意味だ。「脳の映画」全般の限界も、だからそこにあったにちがいない。
現代において映画がもし弱くなったとしたら、誰もがそのような魅力的な「ひとりよがり」をなす術を忘れてしまったせいではないだろうか。ほとんどいわゆる自虐史観的に忘れさせられた、とでもいうか。自虐どころかあらゆる「史観」を欠如させた、ぶざまな「ひとりよがり」だけが『26世紀青年』ばりに(見てないけど)そこらじゅうに溢れている。
かといって、では「身体の映画」が勝利したかと言えば全然そんなことはなく、むしろこちらのほうが先にダメになっていった。日本でのカサヴェテス解釈の根本的な錯誤がその見本だろう。

なんにせよ、考えさせられた作品であることはまちがいない。

ちなみに主人公の名前ケイデン・コタードはあきらかにJLGにひっかけてある。ガッデム、ゴダール、といったところか。


北朝鮮でデノミ暴動の予感。うーむ。もしかするともしかする。
14

2009/12/1

世にアル中の種はつきまじ  演劇

日曜、PARCO劇場にて『海をゆく者』。作/コリン・マクファーソン。演出/栗山民也。
『ブラック・バード』につづいて1セットものの海外新作の栗山演出だが、こちらは五人もの芸達者が揃い、見事におっさんたちの体臭を感じさせてくれて、その生々しさがよいほうに転んでいた。一番年下の吉田鋼太郎氏が最年長(小日向氏は年齢不詳だが)を演じるという変化球的キャスティングも効を奏していたが、なかで出色だったのがアイヴァンを演じた浅野和之氏である。これしかない、という芝居に徹して微動だにしなかった、というと皆さん、そうなのだが、特にアイヴァンは台詞の細かなニュアンスだけで壊れかねないかなりの難役と思われ、しかしそれが完璧だと思われたので非常に感銘を受けた。これまで氏のことをなにもしらなかった自分の無知を恥じる。学生時代、食わず嫌いで避けていた夢の遊民社など小劇場系と呼ばれたムーブメントのなかにも、瞠目すべき存在があったことを肝に銘じておかねばならない。音響、セット、ライティング、どれも素晴らしかった。私の中の幻影としての(ウイスキー臭にまみれた)アイルランドとぴったりマッチしていた。
作者は71年生まれというのにこんなおっさんらの生態をよくもうまく捉まえたものだ、と感心したが、ダブリンという設定のせいか、『ユリシーズ』の冒頭を換骨奪胎・引き延ばししたもの、という読みもできた。


夜、テレビでボクシングを見た。両陣営ともに番組宣伝などで「家族」やら「一家」やら担ぎ出して盛り上げようとしている。それはとってつけたようなものではあるが、そこに「戦う根拠」を押しつけている様は非常に見苦しい。試合のほうは、元々亀田が勝って当たり前だと思っていたが、あんな消極的な戦法ではただつまらなかっただけだ。それとレフェリーがでかすぎる。フライ級の試合にどうしてあんなでかい外人が必要なのか。考えるべきだ。

月曜、家事、銀行作業、ゲラ直しを終えて、深夜カサヴェテスBOXのメイキングを全部見た。結果、日本におけるカサヴェテス解釈はほとんど間違っている、と感じたがそのことは、先日行ったロウ・イエ監督との対談とも併せて次号の映画芸術でしっかり書かせていただくので、ここには書かずにおく。

河出書房新社様より宮沢章夫氏の『時間のかかる読書』いただく。こういうバカな連載をやりたいものだ、と「一冊の本」の間からあこがれていたが、しかしそうか十一年か。宮沢さん、ホントにおかしなひとだ。
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2009/11/27

中国ににっかつが密輸された……?  日常

雨そぼ降るなか、羽田の近くまでジジの火葬へ。十坪ほどの火葬場は埋立地の工場群の一角に申し訳なさそうにあり、しかし反対のたて看板など立てられていて気の毒なほど肩身の狭そうな佇まい。
火葬には一時間ほどかかった。焼却炉へ入れるときになって、この数日間涙を己に禁じてきた妻がとうとう声をあげて泣いた。骨壷に骨を移し、抱いて帰った。
帰り道の空は青く晴れていた。

日常に戻って、加圧ジムへ行き、戻っていくつか打合せをした。
宣伝しろと言われているのですると、角川書店より青山真治君の文庫『Helpless』と単行本『地球の上でビザもなく』が今月中に発売になる。両方とも小説で、前者は言うまでもないが、後者は五年ほど前に書きかけてそのままにしていたものに加筆訂正した、書き手曰く、はじめて手を染めた「普通の、泣ける小説」らしい。こんなひとがいたらいいな、と書き手が想像した壮年映画監督の行状を、中堅批評家のいささか屈託ある語りによって審らかにする、という内容。

さらに一月には講談社より単行本『帰り道が消えた』(小説集)が、二月には朝日新聞出版より単行本『シネマ21 青山真治映画論+α集成2001−2010』が発売になるそうだ。かれもなかなか忙しいらしい。

夜はマイク・ニコルズ『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』をDVDで。これはこれで悪くない。オールビーの、あのうっとうしさ全開の台詞が満載の戯曲よりいくらかすっきりしているので、もし上演するならこちらをもとにしたほうがいいのではないか、とさえ思われた。

それが水曜のことで、木曜は朝日ホールでロウ・イエ監督作『春風沈酔の夜』を。題名のみ・事前情報なしの状態で見て、てっきり呑んだくれの映画だと期待して出かけたら、あれまあ……。まあ、同様にだらしない者どもの話とも言えはするが。しかし『天安門』に比べるとずいぶん見ることに親しさを感じる。伝えることではなく、描くことに力点が置かれていると思われる節があるからだろうか。デジタルヴィデオをハンディで回すことへの警戒心のなさをよしとするかどうかはべつにして、あるいは携帯電話とクラブという風俗的な意匠への戦略の乏しさをよしとするかどうかもべつにして、これまた悪い印象は受けなかった。ただし、これはお国柄なのかもしれないが、前半でどうしてもひとの顔の区別がつけづらかった。顔の判別にはけっこうな自信のある私でさえ混同してしまったのだから、かなりわかりづらいと思う。とはいえ、意識的にかどうかはわからないが、その「区別がつかない」という状況を介して、ある種の複数性をかろうじて実現しているように見えるのもこの作品の美徳かもしれず、そこにこそ本作の真の主題が隠れているようにも思えるのだが、一方で、だとしたら、やはり伝えるべきことを伝えられてしまった、ということなのか。
いずれにせよ、総じてとうとう「にっかつ」が中国に密輸されたな、というにんまり顔を浮かべずにいられない作品である。
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2009/11/24

ジジさんよ、永遠なれ。  追悼

八年間、すくなくとも家にいる間はずっと一緒にいた、上から二番目の年嵩の猫は数週間前から猫エイズを発症して具合が悪く、この数日、危篤状態でいた。体の弱いやつだったから覚悟はしていたが、ここへ来てこれほど身を引き裂かれるような悲しみに襲われるとは思いもよらず、映画美学校での特別講義から帰宅して、涙が溢れて止まらなかった。ヤツの傍ですでに疲れて一緒に眠っていた妻に見せられないから、地下に潜ってひとりで泣いていたが、そうか、これが猫をなくす悲しみというものか、と諸氏のさまざまな著作に思いをめぐらす。が、これは体験しなければ感じ得ないような深さの悲しみだ。というか私にとってはじめて、肉親を亡くすようなものなのだ、これは。
地下に来た若い猫たちが、しかたないよ、と擦り寄って同情を示してくれ、さらに涙が絞られた。ヤツと同世代の連中は、数週間前からいらだったようにあたりかまわず小便をひっかけまくっている。だから毎日毎日連中の小便を拭いて回るのが私の仕事だったが、その程度の労力などこの悲しみとは比較にならないから怒る気にもならない。いや連中、本当は仲間の死に苛立っているのではなく、外出を禁じられているからだけだが。
そうして昨日、一日中見守り、しかしロケから帰って数日間の介護に疲れた妻がようやく気晴らしに外出したその直後、まるで見送られるのを照れたように、独りで逝ってしまった。私は妻と合流した場所でその死を聞いた。覚悟していたので、二人で黙って食事をして、予定していた『2012』を見た。予想通りの展開だし、普通のところがへたすぎて半分うんざりしたが、もはやその記憶も薄れている。
帰りに西麻布で花と氷を買い、氷をかれの下に敷いた。持ち上げたバスタオルの上のかれは、たった数ヶ月前には丸々としていたかれ自身の抜け殻であるかのように、あまりに軽かった。義母の作ってくれたダンボールの棺にもう一度寝かせて、その周りに買ってきた色とりどりの花を飾り、つい夕方までは弱弱しくも上下していたのにもう二度と動こうとしない痩せ衰えた腹をみつめながら、お別れを言った。
とってもワルだった、と妻は懐かしんで笑った。先にいた子やあとから来た子を散々いじめて、と。でもどの子より妻を慕っているのはわかった。その行動はほとんど猫らしくなくて、猫の範疇を越え、自身が猫であることさえ認めず、人間として振舞っているつもりのように見えることもあった。
十年前、草津の林の中でほとんど半死半生の栄養失調状態で拾ったときはすでに中猫(生後半年以上)で、すぐに死んでしまうかと思われたそうだし、その後も体格こそよけれ、決して健康とは言い難かったその生を、しかしかれは存分に満喫したはずだ。そう信じたい。
喧嘩が強かった。妻への忠誠からか、縄張り意識が強く、しょっちゅう生傷を作って外から帰ってきた。それも災いしたかもしれない。
何度となく鼻風邪をひいたヤツをかごに入れて病院に連れて行った。吐き癖のあるかれの吐瀉物を、ほぼ毎日四つん這いになって処理してまわった。そのたびにかれは済まなそうにうなだれて、やがて一息ついた私の膝に乗った。ここ数週間はところかまわず糞をして、それもティッシュで拭き取ってアミロンで消毒した。そのような日々を重ねてかれは私の一部となり、私はかれの一部となった。
だからもうそのかれがいないということは、自分の一部が失われたに等しい。

でもたぶん、これからもずっと一緒にいる。



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55

2009/11/19

大里さんが、死んだ。  追悼

17日、大里俊晴氏が亡くなられた、というメールが届いた。享年51歳。
ずっと、連絡しないと、と考えながら、つい先延ばしになっていてとうとう不可能になってしまった上、なにを伝えたかったのか忘れている、そんな無念さが滝となって体を打つ。
『AA』は大里さん抜きには決してなしえなかった作品である。私が監督クレジットを入れなかったのは、実質共同監督と呼ぶべき行程があったからだ。間章を超えて多面的な様相を呈したのは大里さんがそうしたからだ。だが奥ゆかしい大里さんは決してそのクレジットを認めないだろうことは分っていた。だから署名をなくし、永遠の宙吊り状態に作品を置いた。


昨日は戯曲を読み、DVDを何本も見た。酒を呑みながら、寝たり起きたりしながら繰り返し。気づけば、もうずいぶん先から現在の映画にも現在の小説にも現在の戯曲にも現在の音楽にも、ああついでに現在の思想にも興味を失っている自分をあらためて発見する。最新のものだって結局普遍を固く宿したものだけを択んでいる。
雑誌ブルータスが届き、「泣ける映画」というアンケートに私も答えていたことを思い出した。見ると、オールタイムベスト3と回答を書く直前に見たものが組み合わさっているだけのようなものだった。なにも考えずに書いたことが丸わかりだ。泣き上戸だという自覚はあるが所詮「泣ける」ということに興味がないのだろう。プロデューサーに敬遠されるはずだ。同じものをもう一方択ばれていて、なるほどあの方も「被害者の会」会員であったか、と得心した。

人間は軽々しく涙など流してはいけない。
34

2009/11/17

ニイハオ、高達……?  ツアー

尚・蘆(ホントは「草かんむり」なし)・高達……さて誰でしょう?

そんなわけで香港に行ってきたわけだが、まっすぐ空港に行ったわけではなく、最初は北品川で鰻を食ったのだ。連れはY大将とK社F氏。食って運河の辺りを見物しながらぶらりと呑み屋にも入り、ようやくANA1275便で20時30分に羽田を飛び立った。
香港着0時30分。エアポートエキスプレスで香港島へ。駅に着くなり、驚くべきものを発見。JLGの似顔絵である。どうやら特集上映があるらしい。

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そこからタクシーでホテル。
ホテルから数分の飲み屋街へ歩いて、最初の雲呑麺を。まあ小腹を満たすだけ。さらに近所のバーで二杯だけ呑んでお開き。

翌朝、八時集合。このときはまだ地理をはっきり把握していなかったので、どこまで行ったのかは明瞭でないままだったが、どうやら上環まで行ったようだ。お粥。そこから中環近くまで歩き、雲呑麺その2。これはなかなかの味。スターフェリーでチムサァチョイへ。重慶マンションで両替し、地下鉄で油麻地へ。鴛鴦(インヨン)なる飲み物を飲む。これはミルクティーとコーヒーをブレンドしたもの。最初は驚くが慣れると美味。

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そこからタクシーで一気に北角へ。自動車修理工場の並ぶ途中に、なぜか旨い店。ここでランチ。蓮の葉で包んで蒸した蝦飯、最高。一度ホテルに帰り、仮眠。
四時再集合。再びトラムで湾仔まで行き、市場でY大将の最大の目的、ハムユイゲット作戦。上機嫌で金鐘近くまで歩き、雲呑麺その3。ホテルに戻り、S社O氏T氏が合流。バーでしばし呑み、大将を休ませて四人で雲呑麺その4。一日三回雲呑麺て、どゆこと? でも食べられるから不思議だ。再びホテルバーで呑み、その後再び北角へ行き、市場の食堂で晩飯。旨かったことは記憶にあるが、なにを食ったかはその後の記憶が重すぎて失念。
(たしか田鰻だった気がするが、自信なし)

深夜、テレビを点けると『デス・プルーフ』のラスト30分で、そのまま見続け、終わってから気絶。ふと再び目覚めるとつけっぱなしのテレビにクラーク・ゲーブルが出てきて、なにやら女性とホテルの部屋みたいなところで派手な大喧嘩を展開していて、それがどうやら旧ソ連らしく、やがてオスカー・ホモルカなんかがでてきてスパイ容疑をかけられたな、と思ったら今度は素晴らしいカーチェイス、いま調べてみたらどうやらキング・ヴィダーの『コムラッドX』という作品らしくこれは未見だし、日本未公開だがその十五分だけ見ても素晴らしいので、皆さん、さらに大声で
キング・ヴィダー! キング・ヴィダー! とシュプレヒコールを! 

で、再び八時に電話で叩き起こされ、中環までトラムで。古い飲茶屋に入る。それから市場とエスカレーターを見学して、お茶。合間に大将、第二の目的=ハムダンをゲット。
そして最強の雲呑麺その5。麺、スープ、ワンタン、なにを取っても他を凌駕している。
そこから再びトラムでハッピー・ヴァレーへ。そこには「鮑魚王子」という人物のやっている店があるらしい。これまた市場の三階。鳩のローストと鮑。美味。
一旦ホテルに戻ってまた仮眠。夜は再びフェリーでチムサァチョイに渡り、この旅最大のイベント、蟹である。いやはや、あまりの凄さに他になにを食べたか思い出せない。とにかくあの蟹味噌。美味を超えて、至福。
帰りにバーで一杯やった後、油麻地の市場をそぞろ歩き。さらに地下鉄で中環まで戻り、ソーホーでさらに一杯。それでもまだ蟹の至福に包まれたまま、ホテルに戻った。

朝、起き抜けにまたもや見たことのない、スペンサー・トレイシーが牧師でミッキー・ルーニーが生徒で、どうやら孤児院らしく、トレイシーの同僚にリー・J・コッブがいて、みたいな感じで、飴玉を欲しがるちびとトレイシーの掛け合いがよかったり、ルーニーと友人三人が病気の子を笑わせようとしてスローモーションで喧嘩するところが笑えたり、犬がえらくよかったり、もうひとりのちびの子役(ワル)がやたらよかったり、最後は大感動だったり、というわけでこれは何? と調べたらノーマン・タウログのかの有名な『少年の町』でした。
さらにジョニー・トー『黒社会』を冒頭数分だけ見て、再び集合。

ホテルから目の前の海に出ると、おばちゃんの操縦するサンパン船が客を乗せている。乗ってみたいのだが、さすがに宿酔が凄すぎるため断念。タクシーで初日の粥屋(の本店)めざして上環まで。だが生憎、日曜休日である。やむなし、と中環まで歩き、屋台の並ぶ店の傍にある店で、粥にありつく。これまた美味。つづけて老舗飲茶。基本的には飲茶にあまりのめりこめない。
だって他が旨すぎる。
地下鉄で油麻地へ行き、また散策。映画館と併設された芸術・学術関係の本ばかり集めた本屋へ行く。そこで『脳内ニューヨーク』のポスターを見て、当て字に笑った。

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いまは『母なる証明』をやっている。
チムサァチョイに戻り、ふかひれスープ。これがまあ、またなんとも言えない。至福その2。そしてハムユイのチャーハン。至福その3。
呆然としたまま、フンハム(紅勘……本当は「いしへん」がつく。これを私はなぜか「べにすけ」と読んでいて、可笑しかった)からフェリーで帰ろうとしたが、船は出たばかり。これでは間に合わない、とS社のお二方はタクシーで帰還。再び元の三人に戻った我々は、九龍城ならびに旧空港跡地を見学。本当はフェリーから見たかったが、天気が悪すぎた。タクシーでホテルへ戻り、ひとり散策。雨の中、ものすごい人、人、人である。香港のパワーをしっかり感じた。HMVでジョニー・トーのDVDを買おうと思ったが、それほど好きじゃないことを思い出してやめた。
再合流後は雨中、中環まで地下鉄で行って、私は「シャンハイタン」で赤星付きキャップ購入。ソーホーの雲呑麺を狙うが、やはり日曜休み。近場のバーで悩んだ結果、再びタクシーでチムサァチョイへ。豆腐のスープと蟹と卵白の炒め物、そしてハムユイ。最終的な至福に浸り、満足しきってホテルに帰還。バーで二人と別れて、独りで香港駅へ。
空港でもバーを求めて彷徨うが、十一時過ぎてやっているところはどこにもない。スターバックスより先には、その時刻になるとなにもないのである。どうにか水だけを手に入れて、ゲート前でどんよりと半覚半睡。飛行機ではほとんど眠っていた。
午前1時発NH1276便は5時45分に羽田に着。
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2009/11/12

欲望という名の温泉  映画

晩飯後、原稿チェックのあと、なにを血迷ったか、エリア・カザン『欲望という名の電車』などはじめて観始めて、冒頭の、路面電車をあんなにつまらなく撮るか、というところから三十分我慢したが、あまりのことに途中で止めてしまった。えええっ! これが名作なんすか!? と思わず呟いた。いや、私にはまったくわからなかった。初見の映画を途中でやめたのは久しぶりだ。三十分間で、ブランドの二の腕の異常な太さだけが印象に残った。

で、とりあえず中和しようとその正反対のほうへ行くべく、何度目かの『秋津温泉』。特集に出かけられない腹いせもある。どこかで誰かが書いていらした(どなただったかは忘れた)ように記憶しているが、周作が「新子さん」と呼ぶところと「お新さん」と呼ぶところの微妙な変化、感動的だ。なにかあまりめったなことでこの映画を好きだと言いたくないし、ひとが言うのも聞きたくないのだが、しかしやはり好きなのだ、あの赤いマフラーが。橋を見下ろすロング・ショットが。寝そべって煙草を吸う河原が。これをリメイクするなんてまったく考えないが、初めて見たときから私は『秋津温泉』のような映画をつくってみたい、と激しく欲望してきた。後半、駅で握手して別れたあと、汽笛が鳴りはたと顔を上げ、結局見送ることになる辺りから以後の、身を切るような切なさがたまらない。私なら、と考える。私なら十七年ののちに新子と死ぬだろうか。それは私にとって人生の問題ともいうべき、永遠の問いだ。
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