2010/2/1

さよなら、テレビ月間  テレビ

早いもので今年も残すところあと十一ヶ月ですか。こないだ『鉄腕ダッシュ』見たと思ったらもう一週間が飛び去っていた。そういえば最近、木曜は『ブラタモリ』→『どうでしょうClassic』→『博士の異常な鼎談』→『もやサマ2』、日曜は『鉄腕』→『龍馬伝』→『Nスペ』……という夜のテレビブームが再燃している。と思ったら『ブラタモリ』あと三回というではないか。『タモリ倶楽部』並みの長寿を期待したが、残念である。タモリさん自身、もうひとつ乗り切れていない感じは散見されたけれど、「本郷」篇、「品川」篇などは最高だった。
で、このなかで問題はCMのあまりのひどさである。CMを見ないでこれらの番組を見る方法というのはないものか。本当にひどくて、一々目を背け、耳を塞がずにはいられなかった。特にパチンコ屋。もうCM界には才能も金も集まらなくなったのだろう。CMのないNHKの番組紹介番組がこれまたひどくて見ていられない。NHKといえば『龍馬伝』は早くも息切れか、回を追うごとに杜撰な演出になっていく。最初は珍しかったフィルムライクもそろそろ飽きた、というかいいかげん見苦しい。といっていまさら普通の30Pに戻すわけにもいかないだろうが。
あと、『Nスペ』に続いて『サイドマン』というクラウス・フォアマンのドキュメンタリーをやっていて、これはなかなかの秀作で冒頭からヴァン・ダイクが出てきてグッときたのだったが、『Nスペ』の「無縁死」というそれなりに興味深い番組なのにフレーミングがひどくて、『サイドマン』を作ったドイツのプロダクションに全然負けているのが如実だった。カメラ、対象に無意味に寄りすぎなのだ。また、ああした題材に美的なイメージショットを入れられると事の重大さが軽薄になる、ということをわからない演出家を演出家と呼びたくない、とさえ思われた。
とはいえ、こんなことを言ってられるのも先月までだったろう。今月からはテレビを見てる暇などない、はずだ。でなければ困る。
日曜一日水槽掃除やなんかで潰れたから、仕事を滞らせてしまった。今日からは寝る余裕もない。

アンタッチャブル柴田が無期限休業とか。う〜ん、天才には生きづらい世界なのだろう。
惜しいかぎりだ。
32

2009/9/24

こういうのを国辱というのだ!  テレビ

NHK『白洲次郎』第三部。ここへ来ていよいよ主演俳優がまったく使えないことが明白に。台詞ひとつまともに発せない。くずだ。加えて正子を語り手にする意味が全然見えない。中谷美紀が好演(特に晩年)すればするほどそこから遠のく。正子にはまったく興味がないし、そもそも日本現代史は青春物語ではないのだ。河上徹太郎があの程度のコミットでいいのか? とはいえ大筋として必ずしもシナリオは悪くないのだが、ホイットニー(「核の光を満喫」の場面の演出、最悪)やらケーディスやらあんなに軽率にしか描けないのであればやる意味はない。あれらをどう描くかが肝なのに。だからビル・マーレイやらエドワード・ノートンが必要だというのだ。マッカーサーはビアーズ・ブロスナンでよろしい。まさかクリントとまではいわない。けれどそこらへんを持ってこなければことの重要さは響かないのだ。最も重要なウイルビー(ヴィゴ・モーテンセンしかないだろう!)さえ出てこないではないか。そこらへんのキャスティング・描写を怠る編成・製作・演出は最悪に杜撰・僭越・傲慢というに尽きる。いや、それらはNHK自体の不遜だ。いったい一国の命運を決する場面で誰が真俯瞰にキャメラを設置する権利を有するだろうか。いったい近衛の息子がソ連で殺されたことへの私怨はどこへ行ったのだろうか。ラスプーチンなどと揶揄されながらそうした描写さえ奪われた次郎の遺志を思って、悔し涙が溢れた。本当にラスプーチンの写真を酒場にまで持ち歩く記者がいたのか。製作者の見識を疑う。勢いでこの際言うが、大友良英の音楽の使われ方も前代未聞にひどかった。大友さんは西岡さんの脚本のもの以外でのNHKの仕事をやめるべきだ。
ほとんど負け惜しみだが、私はこれこそを国辱だと信じて疑わない。
367

2008/12/14

主人公は死なないほうがいい。  テレビ

最近酒を呑まない日の夜、ひどい偏頭痛に見舞われることがよくある。これはよくない兆候なのだろうか。だろうか、ってきっとよくないにきまっている。しかしまあ、呑んだって治るとはかぎらないのだからせっかく酒を抜いているのに呑むことはないだろう。ある日ぽっくりいくってこともありうるので、あとのことは皆さん宜しくお願いしますよ。ってなにを宜しくしろっていうのかね、こういうとき、ひとは。まあこの年末年始のテーマは、できるかぎり呑まない、だからさ、できるかぎり呑まないよ。まだやることあるからね……今夜の大久保利通じゃないけどさ。無念だろうな、ああいうひとは。あのドラマを見るときは小松帯刀目線で見てたけど、ああやって語られるとあのひともホントに気の毒なひとだと思われた。自分では、いい人生だった、なんて言ってたけどさ。そうでも言わなきゃ死にきれないでしょうよ。帯刀の訃報を聞いた篤姫はもっとぐだぐだに泣き崩れたってよかったんじゃないか。それと、篤姫の死の瞬間は見たくなかったな。ああ、死ぬなというところまで見せて、ふと見上げると若き日がフラッシュバックして終わり、でよかった。主人公の死を見せるかどうかというのはなかなか難しいもんだ。いい映画では大抵主人公は死なないのではなかろうか。でもまあ済んだことだ。心から労をねぎらいたい。
そういえば、浅野内匠頭は辞世の句なんて読まずに切腹した、っていう話をネットで知って笑った。忠臣蔵がホントに嫌いだってことは前にもどこかで書いた気がするが、この赤穂のバカ殿のしでかした顛末が必要以上に美化されていることの証明がまたひとつ露になってうれしい。気の毒な吉良上野介がちょっと救われた感じだ。
2

2007/11/4

パッセンジャー  テレビ

眠れないのでまた思い出したことを。
ブラピのソフトバンクCMでイギーの〈パッセンジャー〉が流れているのがひどく不思議だった。まあもちろんディレクターが好きだということなのだろうが、あんなマイナーな曲、よくまあクライアントがOKしたものだ。……ちがうか、クライアントかプランナーが好きだったのか。実は私もあの曲が大好きで、子供の頃最初に書いた小説らしきものはあれから発想したものだったこともついでに思い出す。
そういえば松浦理英子さんの新作『犬身』にもどうやらストゥージズの〈アイ・ワナ・ビー・ユア・ドッグ〉が出てくるらしく、何だかイギーがあちこちに現れていることは麗しい。
また〈ギミー・デンジャー〉をコピーし直そうかな。
0

2007/11/4

ジャッジ  テレビ

で、今日は一日じゅうゴロゴロしながらテレビを見ていた。
NHKの『ジャッジ』という西島秀俊氏が主演しているドラマを見て、大泣きした。
どうやら奄美大島らしき離島の裁判官を西島氏が演じているのだが、ある日彼を北村有起哉氏演じる旧友が訪ねてくる。彼も同業者だが、胃癌で職を辞しまもなく再手術、という設定。死ぬ前に友人に会いに来たように思われ、西島氏が迎えに行き呼びかけるとただ一度振り向くだけでまた背を向けてしまう友人の心境に、もし自分の友人がそんなことになったら、と思うとたまらない気持ちになった。友人をホテルに送って家に帰った西島氏が食卓につき、妻の前で泣き崩れる様に、どうにも涙が止まらなくなった。関西弁の妻を演じる戸田菜穂氏もよかった。特攻隊だった息子を思って自分が百歳である事実に即して戸籍を書き換えてもらおうとする老婆のエピソードにも泣けた。空港に特攻花というのがあるということをはじめて知った。
このドラマはふっと挟むロングがいい。ちょっと多すぎる気もするが。
2

2007/8/12

百まで生きるための音。  テレビ

NHKスペシャル「鬼太郎が見た玉砕〜水木しげるの戦争」(西岡琢也・作)が素晴らしかった。残念なことに最後の四十分しか見ることができなかったが、じゅうぶんに嗚咽した。こうした感傷の踏み入る余地のない事実を見てもなお、戦争にひとかけらでも正当性を認める思考は可能だろうか。私には信じられない。
……それにしても、サヴァイヴァーと幽霊の再会はいつだって感動的だ。それはたぶんサヴァイヴァーという存在が、生き残っている時間の経過(老いてゆく自分)と死んでしまった時間の停止(若いままの死者)との二重の経験に同時に身を置いてしまうからだろう。
そうしてこの二つの経験的時間が様態を取り替える、つまり経過が停止・結晶化し、彫像が運動を始めるという逆転現象が見る者の前で起こるからではないか。これは映画的動因の典型的な一例に他ならない。つまりいわゆるストップモーションという技術の発明されたモチベーションもここらへんにないともかぎらないのではないか。
(一晩経って推敲する気になったのは、あるブログを読んで大友良英さんが音楽を担当されていたことを思い出し、ハタとこの逆転現象に思い当たったからだ。そう言えば水木しげるが紙の上に彫るように筆圧高くペン入れをするときに鳴っていたギシギシというペン先の音、あれはまるで何かの音を逆回転させているような音だったが、水木しげるが過去を漫画に描くという行為/状態そのもののうちにすでにここで言おうとした逆転現象があったのかもしれない、と考えるとあらゆる現象にはこうした行為と状態が入れ替わるような逆転が起こりうる可能性が潜在しているのかもしれず、だからそこにやはり感傷のつけ入る隙などないのだ。)
1



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ