2010/1/20

浅川マキさんの死  追悼

あまりに突然のことで、ただ呆然とした。
最近、周囲を含めて追悼の言葉を口にしなければならないことが多すぎる。
忌野氏に続いて、この不世出の天才歌手との別れもまた、あまりに悲しい。
畏れ多くも私は浅川さんに出演依頼をしたことがあるのだ。何時間も話し合った末に残念ながら断られたが、その後もことあるごとに気にかけてくれた。いずれライヴを撮影させて欲しいと再びお願いするつもりだったが、それも叶わない夢となった。

ひたすら無念だ。
悲しすぎるので、浅川さんの伝記映画がつくりたい。
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2010/1/12

ロメール大往生  追悼

エリック・ロメールが亡くなった。享年89歳。
大往生、と言っていいだろう。
もう一本撮ってくれそうな気もしていたが。

それにしても最後の三本はどれも傑作ぞろいだった。もちろん初期の『コレクションする女』や『モード家の一夜』、あのへんてこりんな『聖杯伝説』なんかも大好きだったが。最高傑作かと思われる遺作というのも久しくなかった『アストレとセラドン』でマキノ『死んで貰います』を想起できたことはこの先もずっと忘れない。
謹んでご冥福を祈ります。
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2009/11/24

ジジさんよ、永遠なれ。  追悼

八年間、すくなくとも家にいる間はずっと一緒にいた、上から二番目の年嵩の猫は数週間前から猫エイズを発症して具合が悪く、この数日、危篤状態でいた。体の弱いやつだったから覚悟はしていたが、ここへ来てこれほど身を引き裂かれるような悲しみに襲われるとは思いもよらず、映画美学校での特別講義から帰宅して、涙が溢れて止まらなかった。ヤツの傍ですでに疲れて一緒に眠っていた妻に見せられないから、地下に潜ってひとりで泣いていたが、そうか、これが猫をなくす悲しみというものか、と諸氏のさまざまな著作に思いをめぐらす。が、これは体験しなければ感じ得ないような深さの悲しみだ。というか私にとってはじめて、肉親を亡くすようなものなのだ、これは。
地下に来た若い猫たちが、しかたないよ、と擦り寄って同情を示してくれ、さらに涙が絞られた。ヤツと同世代の連中は、数週間前からいらだったようにあたりかまわず小便をひっかけまくっている。だから毎日毎日連中の小便を拭いて回るのが私の仕事だったが、その程度の労力などこの悲しみとは比較にならないから怒る気にもならない。いや連中、本当は仲間の死に苛立っているのではなく、外出を禁じられているからだけだが。
そうして昨日、一日中見守り、しかしロケから帰って数日間の介護に疲れた妻がようやく気晴らしに外出したその直後、まるで見送られるのを照れたように、独りで逝ってしまった。私は妻と合流した場所でその死を聞いた。覚悟していたので、二人で黙って食事をして、予定していた『2012』を見た。予想通りの展開だし、普通のところがへたすぎて半分うんざりしたが、もはやその記憶も薄れている。
帰りに西麻布で花と氷を買い、氷をかれの下に敷いた。持ち上げたバスタオルの上のかれは、たった数ヶ月前には丸々としていたかれ自身の抜け殻であるかのように、あまりに軽かった。義母の作ってくれたダンボールの棺にもう一度寝かせて、その周りに買ってきた色とりどりの花を飾り、つい夕方までは弱弱しくも上下していたのにもう二度と動こうとしない痩せ衰えた腹をみつめながら、お別れを言った。
とってもワルだった、と妻は懐かしんで笑った。先にいた子やあとから来た子を散々いじめて、と。でもどの子より妻を慕っているのはわかった。その行動はほとんど猫らしくなくて、猫の範疇を越え、自身が猫であることさえ認めず、人間として振舞っているつもりのように見えることもあった。
十年前、草津の林の中でほとんど半死半生の栄養失調状態で拾ったときはすでに中猫(生後半年以上)で、すぐに死んでしまうかと思われたそうだし、その後も体格こそよけれ、決して健康とは言い難かったその生を、しかしかれは存分に満喫したはずだ。そう信じたい。
喧嘩が強かった。妻への忠誠からか、縄張り意識が強く、しょっちゅう生傷を作って外から帰ってきた。それも災いしたかもしれない。
何度となく鼻風邪をひいたヤツをかごに入れて病院に連れて行った。吐き癖のあるかれの吐瀉物を、ほぼ毎日四つん這いになって処理してまわった。そのたびにかれは済まなそうにうなだれて、やがて一息ついた私の膝に乗った。ここ数週間はところかまわず糞をして、それもティッシュで拭き取ってアミロンで消毒した。そのような日々を重ねてかれは私の一部となり、私はかれの一部となった。
だからもうそのかれがいないということは、自分の一部が失われたに等しい。

でもたぶん、これからもずっと一緒にいる。



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2009/11/19

大里さんが、死んだ。  追悼

17日、大里俊晴氏が亡くなられた、というメールが届いた。享年51歳。
ずっと、連絡しないと、と考えながら、つい先延ばしになっていてとうとう不可能になってしまった上、なにを伝えたかったのか忘れている、そんな無念さが滝となって体を打つ。
『AA』は大里さん抜きには決してなしえなかった作品である。私が監督クレジットを入れなかったのは、実質共同監督と呼ぶべき行程があったからだ。間章を超えて多面的な様相を呈したのは大里さんがそうしたからだ。だが奥ゆかしい大里さんは決してそのクレジットを認めないだろうことは分っていた。だから署名をなくし、永遠の宙吊り状態に作品を置いた。


昨日は戯曲を読み、DVDを何本も見た。酒を呑みながら、寝たり起きたりしながら繰り返し。気づけば、もうずいぶん先から現在の映画にも現在の小説にも現在の戯曲にも現在の音楽にも、ああついでに現在の思想にも興味を失っている自分をあらためて発見する。最新のものだって結局普遍を固く宿したものだけを択んでいる。
雑誌ブルータスが届き、「泣ける映画」というアンケートに私も答えていたことを思い出した。見ると、オールタイムベスト3と回答を書く直前に見たものが組み合わさっているだけのようなものだった。なにも考えずに書いたことが丸わかりだ。泣き上戸だという自覚はあるが所詮「泣ける」ということに興味がないのだろう。プロデューサーに敬遠されるはずだ。同じものをもう一方択ばれていて、なるほどあの方も「被害者の会」会員であったか、と得心した。

人間は軽々しく涙など流してはいけない。
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2009/11/4

いくつかの訃報  追悼

マサオ・ミヨシ、村木与四郎、クロード・レヴィ・ストロースの各氏、相次いで逝去の報。
謹んでご冥福を祈る。

いよいよ重鎮たちの訃報に直面せざるを得ない時期にさしかかってきた感がある。覚悟しておかねばならない。レヴィ・ストロースはオリヴェイラと同年齢だ。話を聞くべき人には早めに聞いておかなければ。
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2009/8/15

ポエムですね、メルヘンですね〜(合掌)  追悼

ひたすら無念としか言いようがない山城新伍氏の逝去だが、表題は、私には「笑アップ歌謡大作戦」で連発したこのフレーズの持ついんちきさこそ山城氏の真髄ではなかったか、と思われ、書き付けておきたかった次第。いささかも押しつけがましくないある種の優しさを含んだその唐突な感嘆には、往年の則文師匠作品における詐欺師まがいの男に宿った狂気と紙一重の真剣さの、遠い木霊がある。
一時期本気で中原昌也氏に「山城新伍になってくれ」と口説いたことがあり、というのもあのような得体の知れない微妙な感覚を体現してくれる存在など氏以外に考えつかず、もし実現したらそれほど貴重なことはないと思われたからだが、しかしやはりここで、どうして若い俳優たちのうちに山城を目指す者がいないのか、と苦言を呈することで追悼に代えさせていただきたい。山城はまちがいなく目指されるべき高峰である。たとえば「勝新になる」ことが百パー無理なのと同様に、ほとんど不可能な領域だ。しかし山城というひとつの性格は、高橋貞二や藤村有弘、山茶花究がそうであるように、勝新のいない場所においても必需品である。現在の日本映画、たとえば数時間前にテレビで見た「登場人物の誰も彼もが二枚目」みたいな『容疑者Xの献身』ではその「二枚目」を成立させるために潤沢な予算がふんだんに使われていたが、どんなに下品に金をかけたってあれが「映画」になるためには数多くのものが不足しており、そのひとつが山城新伍的性格だと言わずにはいられない。いわば「金では買えないもの」が「映画」のライフラインであり、山城曰くの「ポエム」や「メルヘン」こそ、その「金では買えないもの」なのだ。

心からのご冥福を祈りたい、というより、できるなら帰ってきてほしい。
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2009/7/28

辰兄、逝去  追悼

山田辰夫氏が身罷られた。

助監督時代、スケジュールのことでひどく怒らせてしまったことがいまも胸を痛ませる。辰兄の、怒りたくて怒っているのではない、という表情に、怒らせてしまったことを心から反省した。自分の今の監督としての態度には、あのときに形成されたものがはっきり含まれている。
監督になってからいつかご一緒に映画を作りたいと考えていた。が、そのときの記憶もあってなかなかそのお名前を出すのが憚られた。要するにビビッていたのだ、私は。
そうやってもう二度とその機会に恵まれることはなくなった。残念でならないし、自分の不甲斐なさに落ち込むばかりだ。
だが落ち込んでいてもはじまらない。
あの、山田辰夫の、つねに正面から考えに考え抜いて役にぶつかっていく態度を我々は忘れてはいけない。

心からご冥福をお祈りする。
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2009/5/3

栗原氏、逝く。  追悼

Yeahってイエ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!!!
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2008/12/28

Let's Get Harry!  追悼

なにしろロージーとカザンの両方と仕事しているんだから職人に決まっていて、あんな職人肌のひとがか!?、と思わず笑ってしまったのは私だけではないはずのノーベル賞受賞からわずか三年、つくづく忙しいひとだとネット上の訃報に載ったその、おでこに傷など作って飄々とした薄ら笑いを泛べた遺影を見るだにまたしても呆れ笑いが浮んでしまうのは、やはりポルトガルの血のせいだろうか、どこか根が陽気なのだ。だからいまさら真面目に新潮社から出た全集を買い求めて読もうともしなかったし、ロージーのインタビュー本もいつのまにか散逸してしまったが、ともあれDVDが手元にあったらそれを見ていればいい。でも見ようかどうしようか迷って結局見そびれた最後の出演作『スルース』は見ておくべきだったかな、などと殊勝にも後悔させられた。

「シネ砦」第二号、届く。この禁欲にどんな意味があるのかしらないが、ちょっと不気味な気さえする。メジャー(資本主義)においてのみ思考するどマイナー。俺ももう少し勉強したほうがいいかな、などと殊勝にも夢想させられた。

忘年会に出た。もうやめたほうがいいかな、などと(以下略)。
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2008/11/16

映画の良心よ、永遠なれ!  追悼

昨日11月15日午後12時8分、高崎映画祭代表、シネマテークたかさき総支配人である茂木正男氏が永眠なさいました。享年61歳。氏は、処女作以来拙作を応援してくださり、のみならずその活動への意思においてわたくしが同志と呼んで憚らない数少ない方々のおひとりであり、また愉快で豪快で呑兵衛な先達でありました。北関東の映画の良心を支えておられた方でありました。昨年、拙作に賞を授けてくださった折にはすでに治療のための苦労を伺っておりましたが、まるでウォーレン・ジボンのように美味そうに麦酒をちびりちびりやってらっしゃるニット帽姿をわたくしは一生忘れないでしょう。
どうか宇宙で地球では見られないいい映画を存分に見てください。わたくしの次回作が完成した折にはちょこっと戻ってフリーパスで初号試写にご入場くださいね。いいとか悪いとかご意見伺えないのはちょっと残念ですけど。あ、あとダニエル・シュミットとロバート・クレイマーと佐藤譲に会ったら、よろしく。
それではまた!おつかれさまでした!ありがとうございました!
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