2010/6/7

トラック野郎風雲録  書物

五月末のことを割愛したが、これは割愛できない。
鈴木則文監督著『トラック野郎風雲録』(国書刊行会)である。
『トラック野郎』シリーズ十本を手がけた監督自らの手で、娯楽映画への熱く、哀切きわまる思いが、まるで彫刻のように丁寧に刻みつけられている。その終焉をはるかに眺め、てめえの金でてめえの企画をやらない会社になんか、なんの郷愁もない、と斬り棄てるいさぎよさ。心から感動する一冊である。

五月末に、オールナイトに先立って監督と、佐々木浩久監督とともにこの本についてのトークショーを池袋・新文芸座で行った。本のなかでも書かれ、当日も語ったが、白眉はなんといっても、若山富三郎が監督に、とある俳優を薦めるくだり。監督とは絶対にあうはずだから、一度一緒にやってみろ、と。実現していたらどんなだっただろう。
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2010/4/21

ようやく『ピストルズ』を  書物

読みはじめることが出来た。いきなりゼフィルスが飛び交い、それを誘う植物があくまで柔らかくじわじわと繁茂していくような精密な描写が続く。『スキャナーズ』かな、とか『ドレミファ娘の血は騒ぐ』みたい、とかいろいろ思わされた。今日はまだ第二部までだが、今後の期待になかなか眠れない。

一方、en-taxiで坪内さんが論評していた岡田睦(おかだぼく)という小説家の『明日なき身』という本を入手した。表紙がハシブトコウのイラストで、その鳥についての掌篇を某誌に書いた身としては親近感が溢れたが、これ、凄い。うまいとかへたとかではなく、凄い。阿部君のが終わったらこれにかかる予定。

東京新聞に載った、都知事の「外国人参政権反対」の演説での「帰化人差別」発言および故・新井将敬元議員への「元北朝鮮人」と書かれたシールをポスターに貼る、という行為への言及を読み、この見下げ果てた知事といい大阪の知事といい、よくもまあ。。。一刻も早く消え去って欲しい、とつくづく。
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2009/11/7

清張と小倉  書物

木曜はアテネフランセにおける万田邦敏監督の特集上映に赴き、小出豊監督によるドキュメンタリーを見た。もう少し編集に手を入れる余地があるように感じられた。終了後、万田さんと水道橋「天狗」でワインを呑んで、始発まであれこれ食っては喋った。こういうのは昨秋のパリ以来だ。シテ島内のレストランだったか、あの日は吹雪だった。それはそうと、最近の万田さんは小津などと一緒に写真に収まっている里見トンにそっくりだ。

金曜は松本清張デー。短篇「黒地の絵」「張り込み」「西郷札」「ある「小倉日記」伝」などなど、片っ端から読んだ。朴訥な感じが好かれたのだろう。地元関連で言えばいまもある地名やすでに失われた地名が混在し、正確に特定できる場所もあればなぜかぼやかしている地名もある。様々な配慮もあったのだろう。ただ位置の描写や移動時間などに若干混乱を感じるところもあり、清張が必ずしも(たとえば大西巨人のような)厳密なリアリズムに徹したわけではない感は残った。「黒地の絵」のモデルになった事件は1950年。母は二十歳で、小倉の大学に通っていたはずだ。そのときのことを聞きたいが、さすがに言葉が出ないだろう。父は当時熊本にいた。母より五つ下の叔母に訊けばなにかわかるかもしれない。と、いろいろ調べているうちに増村が『黒い福音』をドラマ化したものがDVDで出ていることを知り、慌てて注文した。感想は後日記す。

夜更けに事務所にいると、外から呼ぶ声がするので振り返るとA氏連載取材を終えたA社編集者I氏、カメラマンI氏が通りの向こうにいる。手を振って招きいれ、しばし歓談。目と鼻の先に住む編集者I氏は座るなり泥酔。カメラマンI氏とは拙作撮影終了時以来数年ぶりで、四方山話に花を咲かせた。秋の椿事。
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2009/11/1

女優 岡田茉莉子  書物

某シナリオを読んで、終戦直後の東京(またはその再現)の意匠を再確認すべく『長屋紳士録』『風の中の牝鶏』『浮雲』と立て続けに見た深夜、それらの見事さに心底打ちひしがれつつ疲れきってうとうとしかけ、ふと昼間に文芸春秋社から届いていた書籍小包に気づき、なんだろう、と開けてみるとなんと『女優 岡田茉莉子』だった。言うまでもなくついさっきまでブラウン管に映っていたひと、岡田茉莉子氏の自伝である。慌てて読み始め、気づけばとめどなく涙を流し、めくるめく映画人生に寝る間もなく五時間ぶっ続けで読みきっていた。数々の「神話」が惜しげもなく披瀝される絢爛たる(かつ、おきゃんな側面もたっぷり垣間見える)内容にかぎらず、最近では珍しい、きわめて薄く柔らかな上質の頁をめくる指の感触にも魅了され、かつ泣かされた、とも言える。
途方もなく贅沢で美しい書物である。
後半に至って気づいたのは、数々の舞台をおやりになっている岡田氏がなぜか洋物の舞台にお出になっていないことである。おそらく日本で最もクリュタイムネストラ(そしてあるいは『エレクトラ』のリメイクである『ハムレット』のガートルード)の似合う女優だろうとかねて想像していただけに虚を衝かれた。だが、それらが準主役であるがゆえに神話的(と同時に反=神話的)スター・岡田氏にそれらをオファーする向きのない畏れ多さというのもあるだろう。しかし同時に『エレクトラ』や『ハムレット』にとって真に強靭に描かれるべきは「裏切る母」であるという解釈も可能であり、そこに重点を置かれたことというのはかつてあるのだろうか。いまからでも遅くない、岡田氏をお迎えして『エレクトラ』や『ハムレット』を企画するひとはいないのだろうか。
さらに勉強不足で知らなかったが、吉田喜重監督の演出で『好色五人女』を三本おやりになっていることに大変嫉妬した。まさにいま、西鶴を勉強中だっただけに。見たかった。

そう言えば、と慌ててポレポレ東中野で行われているはずの特集上映のことをチェック。多忙のなか、すっかり失念していた。もうすでに二日目だ。
自戒をこめて明日以降の日程を書き写しておく。
(トークショーなどの詳細は以下)
http://www.mmjp.or.jp/pole2/okadamariko-time.html
11月2日 11:00 山鳩 13:10 舞姫 15:10 芸者小夏 ひとり寝る夜の小夏
  17:30 流れる 20:00 やくざ囃子
11月3日 11:00 旅路 13:20 山鳩 15:30 流れる
      19:00 集金旅行 21:10 悪女の季節
11月4日 11:00 霧ある情事 13:00 離愁 15:40 女の坂
      18:00 春の夢 20:20 集金旅行
11月5日 11:00 悪女の季節 13:20 霧ある情事 15:20 春の夢
      17:40 女の坂 20:00 離愁
11月6日 11:00 集金旅行 13:10 悪女の季節 15:30 霧ある情事
      17:30 春の夢 19:40 女の坂
11月7日 11:00 離愁 13:00 女舞 15:10 秋日和 18:50 河口
      20:50 熱愛者
11月8日 11:00 愛情の系譜 13:20 今年の恋 15:10 女舞
      18:10 秋日和 20:50 河口
11月9日 11:00 熱愛者 13:10 愛情の系譜 15:30 今年の恋
      17:30 女舞 19:40 秋日和
11月10日 11:00 河口 13:00 熱愛者 15:10 愛情の系譜
       17:30 今年の恋 19:30 秋津温泉
11月11日 11:00 愛染かつら 13:10 続・愛染かつら 16:00 香華
       20:00 真赤な恋の物語
11月12日 11:00 秋津温泉 13:20 愛染かつら 15:20 続・愛染かつら
       17:20 香華 21:20 真赤な恋の物語
11月13日 11:00 香華 15:00 真赤な恋の物語 17:00 秋津温泉
       19:20 愛染かつら 21:20 続・愛染かつら
11月14日 11:00 水で書かれた物語 13:30 女のみづうみ 15:40 情炎
       18:50 炎と女 21:00 樹氷のよろめき
11月15日 11:00 妻二人 13:00 情炎 15:10 秋津温泉
       18:20 水で書かれた物語 20:50 女のみづうみ
11月16日 11:00 炎と女 13:10 樹氷のよろめき 15:20 女のみづうみ
       17:30 告白的女優論 20:00 妻二人
11月17日 11:00 妻二人 13:00 炎と女 15:10 樹氷のよろめき
       17:20 情炎 19:30 告白的女優論
11月18日 11:00 煉獄エロイカ 13:30 さらば夏の光 16:20 鏡の女たち
       19:00 エロス+虐殺(ロングヴァージョン)
11月19日 11:00 さらば夏の光 13:10 鏡の女たち 15:50 煉獄エロイカ
       18:20 エロス+虐殺(ロングヴァージョン)
11月20日 11:00 告白的女優論 13:20 さらば夏の光 15:20 鏡の女たち
       18:20 水で書かれた物語 21:00 煉獄エロイカ


……それにしても『長屋』と『牝鶏』、あまりに山中的ではないか。『長屋』は『百万両の壷』だし、『牝鶏』には文字通り「紙風船」がふわりと転がる。
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2009/3/9

闘争のアサンブレア  書物

とりあえずひと仕事終えてみた。まだどんなもんか客観視できないが。

で、読み始めた本が、これが今年全日本必読書ナンバー1であろうと思われる廣瀬純+コレクティポ・シトゥアシオネス『闘争のアサンブレア』(月曜社)なるメール対話集である。まだ読み始めで言うのもなんだが、とりあえず一国を変えうるかもしれない宰相候補をまだ犯罪かどうか確定していないうちに失脚させよう、という戦国時代のように野蛮な国へと堕落する前に本気でこの国を変えたいとは思うのだが、しかしいかんせん戦い方がわからないという人たち、全員必読。たぶん今週末には書店に並ぶと思われる。
全部読んだらまた報告する。

……ん、ああ、誤解されはしまいとは思うがあえて言い添えておくと、私はまったく民主党など信じてませんから。
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2009/2/11

それは、お前の自由だ。  書物

これまで決して村上龍のよき読者ではなかった。何度も中途で放擲する作品が多かった。自分の仕事の参考に、と遅ればせながら『半島を出よ』を読了。これは途方もない力作であった。ラストまで止まることなく、最後の最後は図らずも泣いてしまった。やはりこのような実証主義に拘泥することは個人的には不向きだが、読了直前に目にしたろくに他人の書いた物も読めない似非「知的エリート」の杜撰な、ブログ上のゴミのような思い上がった文章への憤りなど、至極あっさり忘れさせてくれた。ひとに濡れ衣を着せる誤読もいい加減しろとは毎度のことだが、どうせ何度言っても分らないだろう。映画研究者というやつにこの世界を覆う「暗さ」になんか興味ない恥知らず坊ちゃんがいるのは怒りを通り越して、ただ悲しい。タテノにブーメランで首を裂かれないとわからないのか。
まあ、どうでもいいけど。

さて、わたしもいよいよこれから正念場だ。久しぶりに頑張ってみたい。
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2009/1/13

(1)から(2)へ  書物

ジルさん『映画史(1)』、ニホンゴとしていかがなものか、な訳にもめげずようやく読了。ま、その訳のせいで半分以上、面白いところを楽しめきれずに読んだ気がするが、まあこういうものはそういうものだと思ってスルー。中で一箇所だけ実践に重要な部分があったので、これもへんなニホンゴだと了解しつつ、確認として肝に銘じるべく引用。

……多くの映画作家において準備作業がどれほど徹底していようと、映画というものは「直接的なものを通る迂回」を避けることができないということだ。予測不可能なものあるいは即興に出会う契機が、すなわち物語叙述(ナラシオン)の現在の下に潜む生ける現在の還元不可能性に出会う契機がつねに存在するのであって、キャメラは、障害であると同時に必要不可欠な手段であるようなおのれ自身の即興を生み出すことなしには、おのれの仕事を始めることすらできないのである。

(つまり、撮影ってのはつねに博打だってことだ)
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2008/12/29

読書の「暮れ」  書物

妻のインフルエンザのおかげで三日間断酒できた。病人を置いて映画、というわけにもいかないので、なかなか仕事も捗った。
深夜に「すばる」2月号の奥泉光「虫樹譚」を拝読。えっ、これがオクイズミサン!?、てゆうほどチェンジ。Yes, we can.じゃないけど。しかもこれもまたこれで面白い、てゆうかひょっとしてこれ、御自身の「大学教授っぽいひと」としての経験と「文芸漫談」(いちばん近いのは『阿Q正伝』?)で立ち上がってきたアイデアによって書かれたって感じ? なんてことを想像させられた。でも奥泉氏の小説を読むのは『浪漫的な行軍の記録』以来なので、このチェンジが今回初ってこともなくて、実は推理小説はみんなこんな文体(ブログ調というか口語体と文語体の混合という前提が「J文学」への揶揄めいている)なのかもしれないけど。いずれにせよたいそう面白かった。いかにも音感のいい感じの体言止めを含む運びに、ときおり括弧つき漢字略語あるいは太字造語がブロウされて、ゴリッと来る。イイトシコイテ、オサーンガヨォ、なんて悪口も出るかもしれないけど、こういう「音」は若い人ではまず読めない。

そんなわけで読書熱が再燃したんで引き続き、なぜか年越しはジルさんの『シネマ1』『シネマ2』を一気に読んでしまおうという気になり、読始。いまさらな感じもしないでもないけど、そうはいっても面白いんだから。
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2008/11/9

生と不生ということ。  書物

前夜からどうも体調がすぐれず、焼酎を呑んで消毒したつもりだったが朝になってもどうもよくない。飯を食ってから横になっていると、アテネに行く時間をとうに過ぎている。仕方がないので、というかここぞとばかりに昨夜届いていた立原『あだし野』を。傑作。全体の構成が驚くほど凝っている。というか三篇の長めの短篇を合せて長篇に編みなおしているのだが、面白いのは最初の作品から最後までにおよそ八年の隔たりがあることだ。このようなことをいまやるひとはいるだろうか。こういう言い方はつまらない気もするが、立原というひとはいわゆる「小説家のための小説家」というやつかもしれない。

読み終え、晩飯を食い、漠然とテレビを点けていると突然、マキノの『丹下左膳』がはじまった。さすがに大河内の年齢は感じるものの、それでもやはりやたら面白くてやめられない。山本富士子とその夫が隠棲する社から縦に伸びる路地のセットとそれを切り取る横移動がなんともよい。水戸光子がどうもしっくり来ないので不思議だったが、マキノはあまりこのひとを買わなかったのだろうか。

閑話休題、ということで、同時に新潮オンデマンド本注文で届いた高井有一『立原正秋』を読み始める。どうもこのひと、作品と実人生の重なりを気にさせてしまうひとなのだ。
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2008/11/4

一期は夢よ、ただ狂えw  書物

思うところあり、はじめて立原正秋を手にする。四十七歳当時の新聞小説『残りの雪』。現在から読めば「超ウケる」つっこみどころ満載な通俗小説にはちがいないが、それはそれとしてひどく凄惨な厳しさもある。一気に読みかけたがクライマックスにさしかかったところで酔いが回って眠ってしまい、朝起きてから読了。恐るべきリーダビリティ。だが文章が整っているので辟易はしない。そこに、これまで読んでこなかった種類の小説という感触を受けた。そうして小説とはこうであってもよいのだ、という印象も受けた。しばらく追いかけてみたい。
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