2010/3/13

戦いすんで陽が暮れて  労働

大山鳴動して鼠ゼロ匹。ゼロ匹のゴーシュ、たあ俺のこと。
タダ働き(シナリオ/企画書)が数回続いて、限界。もはや一行も書けません。

一方、加糖アラタメ長谷川肝臓はパンク寸前につき、主治医再検査を主張。本日より禁酒決定。泣きっ面に蜂須賀小六。〆にしっとり痛飲。

終日、誰も望んじゃいない、と知りつつも、昨年のパフォーマンスヴィデオ編集。
めくるめく「異形」の「運動」の嵐に、じゅうぶん満足。これこそわが「新作」なり。超自信作。
大重はとうとう、今井や菊池さんとともにおれの相棒となってくれた。

そういえば、つい先日『コロンブス 永遠の海』を見て、深々とした感慨(いやはや『路地へ』が正しかったことを勘違い的に確信)に耽ったあと、久しぶりに『ノン、あるいは支配の虚しい栄光』をDVDで見た。
これぞまさしく爆音史上ナンバーワンの可能性大。まもなく再映予定のニュープリント(未確認)がある以上、boidは決して避けて通れまい。某オスカー映画など足元にも及ばない、まさに「現代」の戦争映画。
あとは『ミネソタ大強盗団』ならびに『ALI』再見。双方とも何度見ても不気味きわまりない。こんなのやりたいなどと言ったって、賛同者がいるはずもないが。この度し難い不自由。

日々、ツイッターのフォロアーとやらがやってくる。
おれはやらないよ、阿部君の「でございます」と島田さんのしょうもないギャグだけ読んでへらへらするだけよ。
あくまでここが根拠地。ここで呟きます。

帰国以来、大江『水死』の素晴らしさに、ずっと浸っている。
寺田博氏が逝去。冥福を祈る。
いまはクレランド(吉田訳)『ファニーヒル』を熟読中。悶絶。

リュックに嬰児の腐乱死体を背負って東大三鷹女子寮に家宅侵入した男とその産みの母親の不気味さは、しばらくはちょっと忘れ難い。

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2010/1/28

シネマ21、ゲラ直し終了  労働

来月中ごろ発売予定、批評集『シネマ21』(朝日新聞出版)は600ページ超えの一家に一台的書物となるようです。本日最後のゲラ直しを終え、編集のイケちゃんに全部渡しました。疲れた。あとがきに書き下ろしで「インターコミュニケーション」に連載したアメリカ映画論のつづきも掲載しておりますので、よかったらどうぞ。
そこで『アバター』にまで触れることができましたけど、最近賛否両論あるにせよ話がみんな『アバター』をめぐっているって凄い状況だね。とうとう「アバター鬱」とかいう現象まで語られている。でもそれ、高倉健の映画見てみんな健さんになって劇場を出ちゃうのとそれほど遠くないだろう。映画館で映画を見るということはそういうことだと久しぶりに思い出させてくれる映画なのかもしれない。
……といった思いを全体に漲らせた書物です。どうぞよろしく。

あ……と同時に昨日あたりから、本屋さんに新刊『帰り道が消えた』(講談社)も出ております。表題作を書いたときの手触りが、自民党政権末期に蔓延した行き場のないメランコリーとともにいまだ消えない、書き手として妙に印象深い作品です。これまたよろしくです。
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2010/1/23

不穏な醜聞には長寿の強靭を  労働

今週から着手したプロジェクトの足場を固めようとして、今夜突然その足場から不穏な醜聞が流れてきた。この醜聞が本当かどうかはどうでもよくて、ただ醜聞によってこのプロジェクトが流産するようなことがあれば、私は精神的に遁走してしまい帰って来られなくなるのではないか、とそれが恐ろしい。いや、これがダメでもまだ次が、さらにその次が、と用意してきているのだから、そう易々とくたばらないぜ、と自分に懇々と言い聞かせる一夜。
だが醜聞というものには底知れない恐ろしさがある。触れるたびにこんな業界に生きているのを後悔する。そうそう、私は『醜聞』という黒澤明作品を偏愛していて何度も見ているが、それはあれのとてつもなくスピーディーな語り口がベッケル『幸福の設計』に似ているからなのだった。と、そんなことでも考えながらでなければ気は紛らわせず、どうにかシナリオを二本、同時に推敲しつつ、デミ『レイチェルの結婚』やバームバック『イカとクジラ』などDVDで見た。しかし決して悪くないそれらを見ながらも脳みそはオリヴェイラ的峻厳さを激しく欲求していることに気づかされる。早く『コロンブス』に行かなければ。いかなる醜聞にも打ち克つ強靭さをオリヴェイラが与えてくれるにちがいないし、カットを割った方が撮影は迅速かつ鮮度を保つ、というものだ。
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2009/12/19

年末地獄めぐり  労働

赤坂→乃木坂(てっぺん越え)→新宿→目黒→羽田→石垣(泊)→与那国→那覇(泊)→小倉(泊)→小倉(泊)→小倉(泊)→帰京……という今年最後のダイハードは平均睡眠時間三時間で強行突破したが、まったく金もないのにひどい散財となった挙句、体はズタズタである。先ほど加圧へ行って首がとんでもないことになっているのに気づいた。まさに首が回らない、とはこのこと。いつまで続く、借金地獄(と飲酒地獄)。

しかし、とにかくねむい。

帰宅後は、リビングに新装備されたこたつ地獄からほぼ出られず、オコターと化していた。
やっぱいいよ、オコタは。命名オーガスティン。

それでも、ある原稿のために『秋日和』をDVDで。あるシーンでハッとして、これもしかしたら、と思ったらやはりそうだった、となんのことやらだが、詳しくは原稿で。そういえば原稿もえらく溜まっている。今日明日で決着をつけなければ。
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2009/10/16

玄界灘に抱かれて  労働

日曜にプサンへ出発した。プサン映画祭のPPP(企画マーケット)で島田雅彦原作、荒井晴彦脚本の企画『退廃姉妹』をプレゼンするためだ。荒井さんと共同脚本の井上さん、それに通訳兼デスクの汐巻さんとともに一日十人ぐらいのセールス・エージェントやプロデューサーに会って、こんなふうにしたい、と意見を述べたり、これはどういうことになるの、と質問を受けたりして、総じてずいぶん好感触を得た。その間に牛肉を食ったり、ふぐを食ったり、豚肉を食ったり、バクダンで泥酔したり、海鮮鍋を食べたり、鯨を食ったり、鮑粥を食べたり、刺身を食べたりなどして過ごした。結果、企画賞としてデヴェロプメント費代わりの賞金をいただいたのだった。
詳しくは、これ。
http://www.bunkatsushin.com/modules/bulletin/article.php?storyid=34616
そうして今朝、帰国。なにやらスターが来たり、いろいろ派手なことがあったりしたようだが、我々はまるで別世界にいるようにあくまで地味な活動に終始していた。とはいえ、映画祭が開催されているヘウンデのホテル・シークラウド28階から見晴るかす早朝の玄界灘の眺望は、格別にゴージャスだったけれど。

この間に荷風『おかめ笹』志賀『ある男、其姉の死』読了。『おかめ笹』の抑制の効いた感じがかなりいい。

帰国したらすぐに来年某社から出版予定の映画論集の原稿整理。ずいぶん見つからないものがある。自分の原稿の整理のついていない先達たちを嗤っている場合ではなかった。そして私はこの手の作業がえらく苦手と来ている。でもまあやるしかないのだが。
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2009/9/30

昨夜から酒、やめてます。  労働

木曜に、二時間くらいしか眠らず、ある撮影のために小倉へ飛ぶ。一旦実家に荷物を置き、現場を下見。午後から日没後までじっくりと見る。居酒屋で失敗したり、挽回のために行った中華屋で食いすぎたりして、翌日の膨満感の凄まじかったこと。翌日は昼から実景など撮り溜めながら、別のイベントでライティングと音響の調子を見る。イベント終了後、終電ぎりぎりまでライティング打合せ。で、翌日の本番はいくつかのハプニングを巻き起こしつつ、非常に面白いものになったし、ハプニングそのものもパフォーマンスの一部なのだから問題はない。打ち上げでは久しぶりに某大物ミュージシャンと歓談、さらにかれと録音技師との興味深い異色対談を聞いた。

で、翌日昼出発で、新大阪経由で新宮へ。到着は十九時。荷物を置いて今年の反省や来年の抱負など語る。翌日は朝から雨。那智にある夜美の滝、陰陽の滝を見に行くが、どんどん雨がひどくなり、陰陽に着いた時点で引き返す。さらに古座川上流へ行き一枚岩と滝の拝を見る。一枚岩、さすがに凄い。車中、テル君が放火おばさんの話やモンスター野郎の話、ハンストおじさん一家の話、そして文豪とのなれそめなどを話してくれる。映画館と文化会館で話を聞いたあと十七時、さて帰ろうとすると尾鷲辺りで電車が運転見合わせ、という非常事態。そんなバカな。車でその先まで連れて行ってもらおうとしたが、なんと新鹿から先は道路まで通行止め。大災害にならねばよいが、と心配しつつ引き返す車内でさまざまな可能性を考えるが、最終的には新大阪で朝を待つしかない、ということが判明。それにしても戻った新宮駅でも滑り込みセーフだったのには参った。そして新大阪のビジネスホテルの侘しさに疲れがいや増したのだった。
翌朝五時十五分起床、六時の新幹線で帰京。十一時からのシナリオ会議になんとか間に合う。それから四時までみっちり。さすがに昨夜は動けなかったが、それでも月曜に届いたNAL8シナリオ第三弾をようやく読んだ。
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2009/8/24

シナリオ  労働

一日四十ページ書いた。
個人的には記録かも。でもめまいが酷い。
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2009/8/22

七転八倒  労働

小説中篇(約100枚)1、文庫版直し1、書き下ろし長篇(約300枚)1のゲラチェック、エッセイ(20枚)1、連載長篇(第七回80枚)1の執筆が先ほど終了。
今日くらい休ませてもらっても誰も文句は言わないだろう。
どうせ貧乏なまんまだし。

う、金のためにさっさと本業に戻らねば。。。
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2009/6/10

不安定でも作業はつづく  労働

どんな精神不安定に見舞われていても作業は恙なく進行する。昨日、ドアにぺたぺた貼ったポストイットのツリーを睨みながらふと、おいあれ、といきなり『小説家を見つけたら』を見たりしながら。しかし異様な精神不安定から、午後より缶酎ハイを呑んでいたのでうつらうつらしながらの進行。一方の合田メンバー、ひたすら壁ならぬドアを孔の開くほどみつめつつメモ取りをしている姿は、まるで医学実験のようで一種異様。こちらはあれこれネット検索しながらふと発見した記述を素っ頓狂な声で朗読するし。内田メンバーは完全に自閉に入ったようで、まったく連絡取れないし。
それにしても南北朝鮮がらみの資料って豊富であるにもかかわらず、ある時点で、というのは今世紀に入ってフェイドアウトするように手に入りにくくなり、一方的に独断的にまとめられた資料のみが流通している気がする。書物はどれも新刊では手に入りにくい。コミュニティじたいが政治問題について自閉しているような、よからぬ感触を覚える。
一方、こちらはこちらでアメリカ映画的アプローチを択ぶか、先鋭的アプローチを択ぶかで逡巡を繰り返す……うちに疲れきって爆睡。
とりあえず、一度クールダウン。
8

2009/5/15

徹夜明けの前向きな愚痴  労働

なにをしているかわからなくならないように一個一個丁寧にやるのが仕事というもので、わからなくなっても進むということを私はしたくない。かつて「量が質を生む」という言葉ももてはやされたかもしれないが、それは複数の人間が寄り集ってはじめて成立することで、個人経営ではそれは無理かと思われる。これからはせっぱつまることに倒錯した悦びを覚えたりせず、食い扶持に困ることはあっても安売りはしない、を信条として生きたい。世の中のことは気にせず、自分のできることをこつこつやる。
……などと考えていると連載がひとつ終わることになった。二年半くらいやってきたが、そろそろネタ探しも疲れたし、止めどきかと自分でも考えていたので、特に感慨なし。まあこういうことはどこまでいっても所詮向こうの都合を押しつけられるだけなので、やはりこつこつやったほうがすくなくともバカバカしさを感じなくて済む。
それはそうと、どうもここ最近、というのは『チェンジリング』と『グラントリノ』を見た後、という意味だが、映画を見ることへの欲望が失われていくばかりなのがつらい。作るほうの欲望は沸騰するばかりだが、劇場に足が向かない。事務所で仕事終わりに小津のDVD見るだけで満足。
一昨日も最初と最後が一巻ずつ欠けている『母を恋はずや』を久しぶりに見たが、生さぬ仲の兄弟が母親に父親の形見の帽子を被せる、へんにエロティックな場面だけでじゅうぶん満足できた。それにしてもこの頃の映画は、小津にしても誰にしても普通に暴力的だ。軽く小突くとか殴るとかは当たり前にやっている。もうだいぶ前になるが、あなたの映画はどうして暴力的か、とよく訊かれた。小津や溝口を見習いなさい、暴力など描かなくても映画は美しくあればいいんです、と。そのときは笑って無視した。小津にも溝口にも暴力的な箇所はいくらだってありますから、とは返さなかった。それは私の仕事ではなく批評家の仕事だからだが、そういうことをパシッと言ってくれるひとがいま何人いるか。誰も言ってくれなければ野蛮な作り手として、うるせえばか!と逆に暴力に訴える可能性が発生して、怖い。……まあ、自制しますけど。
人前に出るのも怖くなった。他人と酒を呑むのもさらに怖い。いや、もう、こつこつやっていくだけでいいのではないか、私は。

あ、でもオリヴィエ・アサイヤス『クリーン』は、これも久しぶりに見直したけど、DVDだったけど、よかった。理屈抜きに本当にいい映画。『チェンジリング』を頂点として『トウキョウソナタ』や『マーゴット・ウエディング』や『アレクサンドラの旅』なんかも含めて、傷ついてもタフに前を向く女たちの現代映画に先鞭をつけた一本だし。
そういえば、しばしば女性映画という言葉をなんの疑問もなく使うひとがいるけど、あれおかしいよ。男性映画なんて言わないもの。七〇年代くらいまではあったかもしれないけど。男性映画/女性映画なんて死語だと思う。
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