2008/5/6

敵国戦闘開始。  労働

クランクインさせていただきましたが、無事とは申せません。

……最終カット、リテイクだな。
欧州の夕景にだまされたよ。いわゆるつるべ落としってやつだ。わかってるつもりだったが、ああも急に来られるとは。こいつには今後も悩まされることになるだろう。何とか感覚、掴まないと。これもスキルのひとつだ。
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2008/4/30

敵国上陸。  労働

ようやく血液の数値が落ち着いてきた。病院の帰りに床屋へ。前回床屋へ行ったのは平成五年、叔父さんの葬式のとき以来。あのときは急さと悲しさのために自分で切ったひどい髪型だったので、見かねた親だったか祖母だったかに、行って来いと叩き出されたのだった。それにしても久しぶりの床屋はえらく面白かった。結婚当初、妻の友人の美容院に行っていたが、若い女性ばかりでなかなか入りづらく、いつしか行かなくなった。が、床屋だと隣に年輩の客などいれば、それと亭主の話を聞ける。いわゆる床屋談義である。別世代・別世界のひとびとのざっくばらんな話を拝聴していると、世の中いろんなことがあるということがわかる。三十分かそこらで3600円というのが高いか安いか知らないが、ひとりで坊主にするのは一時間以上かかるちょっとした難事業なのである。その三十分強を他人様の浮世話付き3600円で買ったわけだ。あまり損したという気はしない。

……と書いたのは先週の木曜のこと。
金曜の朝、成田からヘルシンキへ九時間強。二時間ほどのトランジットを経たのち、四時間ほどでバルセロナに着いた。基本的にこの十年に恩恵を蒙った「タダ旅、タダ酒」でからだを壊した、と思う。贅沢病でなくてなんだろう。とうからそういう無理の利かない年齢になっている、とよくわかっている。家を離れるだけでたんに疲れるし、精神的に参る。よほどのことがないかぎり、これが最後となる気がする。
しかし、なにしろガウディーだ。着いた日はもう薄暮で出歩くということもなかったが、翌朝ひとりでサグラダ・ファミリアへ行き、ただただ圧倒された。ああ、ここに未完成に耐えうるヨーロッパ人がいた、と。考えてみればオーソン・ウェルズ『ドン・キホーテ』を「完成」させた、といわれるスペイン人ジェス・フランコのしたことは、むしろ「未完成」の未完成たる由縁に拍車をかけた、ということかもしれない。そうしてスペインには「完成」を目指す権力の「歴史」に抵抗するエントロピーが狂おしく横溢しているのかも知れない。このエントロピーはフラグメントでできており、その集合は街にノイズを放っている。

……なあんて、たった二日でなにがわかる、というわけでQ&A一回だけですごすごとバルセロナをあとにし、日曜パリ入り。その日は通訳の松島さんとプロデューサーのジュスタンに迎えられ、飯を食ってすぐダウン。
翌月曜、朝八時より終日ロケハン。スタッフ、実に勤勉かつ優秀……といっても「うちの連中」に較べるとまだまだ、ですけど(笑)。
本日火曜も雨中市場をロケハン、続いて女優オーディション。二人会い、二人とも大変よろしくて、激しく悶絶。サラほど優秀なキャスティングディレクターはこの国にはいないのではないか、とさえ思われる。しかし、どうしたものか、と悩みつつ、こうして日記を更新……

と、これだけ間が空いたのは、忙しさはもちろんだが、ACアダプターを忘れてパソコンが開けなかったせいだ。慌てて妻に郵送してもらったが、運送屋もGW進行なのか、問い合せても今日発送した、とどこかの蕎麦屋じみた返答。到着は一週間後、と聞いて降伏し、DARTYにて69ユーロ出して購入、無事日本社会へのちっぽけな窓は開かれたのだった。めでたしめでたし。
ちなみにフランスも学生たちが休みになり家族旅行としゃれこむプチブルも少なくないらしいが、基本GWなどもちろんなく貧乏ヒマなしな大都会(=田舎者で構成)である。
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2007/11/18

at last I am free  労働

川越に行くのは初めてで、行きは東京駅から乗った新幹線で駅弁を食べ、大宮で埼京線に乗り換えた。小島信夫を読んでいた。三千数百円とお弁当代。映画館を運営している船橋さんが助手の方と車で迎えに来てくれていた。川越スカラ座はレトロチックに作り直した町並みの奥にある、本当にレトロな映画館。近所のとても心地良い喫茶店でとても美味しい珈琲をごちそうになった。お客さんは約二十人。朝早くから来てくれていてうれしい。少ないから観客席の前に車座になって親密な質疑応答をした。こういうほうが自分としては大勢の観客を前にするよりずっとやりやすい。ロビーでサインをしてお土産をたくさんもらって謝礼ももらって映画館の前で写真を撮って、駅までまた車で送ってもらった。皆さん川越スカラ座にどんどん行って映画を見ましょう。リクエストしたりしましょう。帰りは東武東上線に乗った。池袋で山手線に乗り換えて目黒まで。六百四十円。またずっと小島信夫を読んでいた。かなりわかってきた。帰りに目黒でカレーを食べた。家に着いてから作業しながらずっとゆらゆら帝国を聴いていた。ゆらゆら帝国を聴くのは久しぶり。フルアルバム四枚聴いてなかった計算になる。夜は近所の郵便局に寄った後、揚州商人にて黒酢ラーメンなるものを食した。悪くない。帰っていねむりして、またゆらゆら帝国を聴いている。最新作はなかなか凄いことになっているな。でも全部抜き取って肉体だけあるのが音楽だと考えていたダウザーと真逆。まあこれくらい呑気になるのもいいかもしれない。

というわけでついにキャンペーンが全日程終了♪
いろいろ皆さん、遅刻してご迷惑かけたりつまらない話を聞かせたり申し訳ありませんでした。

とはいえ作業はまだまだ続くのだった。。。
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2007/11/16

中篇、脱稿。  労働

とりあえず自分と向き合わないためには仕事が一番だ、ということで、順調なペースを守り、書き上げ、編集長にお送りした。
例によってスローな、古めかしい小説だが、それが私に相応しい。
今回は動物との切り返しショットになる。
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2007/11/12

エミールか。  労働

ちょっと考えこんでしまう事案が山積され、結局満足な睡眠を得られなかった土曜の夜があり、次いで日曜の朝、二時間ほど仮眠してから羽田へ。午前九時三十分には到着、チケットを取り、朝食を食い、68番の搭乗カウンター前へ。日曜のため混んでいて、少し離れた、窓際の陽の射すベンチに腰掛けた。それが午前十時二十八分ごろ。気づいたのは午前十時五十六分。わが目を疑う。搭乗カウンターに駆け寄り、富山行きはもう出ましたか、と訊くまでもないことを訊く。
羽田発富山行き885便は六分ほど前にその扉を閉めていた、というわけだ。

とりあえず富山に電話。解決策は、初回終了後の舞台挨拶をキャンセルし、金沢での一度目の舞台挨拶もキャンセル、東京駅から午後零時十二分発の上越新幹線に乗り越後湯沢ではくたかに乗り換え午後三時三十四分に富山着、二回目終映後に舞台挨拶、取材はその後十分だけですぐに車で約四十五分、金沢で二回目終映後の舞台挨拶をした後に新聞二紙の取材。
ANAの対応には目覚しいものがあった。まず出発ロビーから到着ロビーへ出るためにバスで送ってくれ、さらに手数料少々ですんなり払い戻しもしてくれた。
しかも、幸いにして羽田から東京駅まで高速道路を使って二十五分という奇跡的な道の空き具合。航空便の払戻金でチケットを買っておつりが来た。

そんなわけで、残念ながら越後湯沢から富山までの風景をほぼ記憶することはなかったが、とにかくも解決策はすべてこなし、午後九時過ぎには金沢の新天地「哲」にて生魚に舌鼓を打ちつつロキシー・ミュージックとシックのDVDを見てまことにアホのように涙し、午前三時死亡。

翌朝午前九時復活。午前十時ラジオ番組収録。それで全行程終了。帰りの飛行機は午後四時過ぎ、というわけで、石川近代文学館にでも久しぶりに、と行ってみたら改装中。そこまで歩いた時点で自分が少なくとも座って眠るべき状態にある、と気づき、携帯iモードでJRを検索。午前十一時十七分発のはくたかに乗れば午後三時過ぎには東京、という情報を入手。シネモンド支配人上野氏を捕まえて要求。上野氏、承諾。タクシーで金沢駅へ。滑りこんで自動販売機でチケットを購入してもらって上野氏と熱い抱擁の別れ(ウソ)、ホームで待機していた電車に乗りこんだ途端に爆睡モード突入。目覚めると青い青い日本海が。

教訓。
1、地方巡業にひとりで出かけるべきではない。
2、ひとりの場合は前夜入りにしてもらう。
3、ひとりの場合は空港に早く到着しすぎない。
4、ひとりの場合は空港で窓際のベンチに座らない。
5、お金は郵便為替で送るものなり。

申し遅れましたが、富山・金沢の皆様、まことに申し訳ありませんでした。
そしてありがとうございました。

今週末の川越スカラ座ではこのような失態を繰り返さぬよう、注意したいと思います。
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2007/10/31

十二時間就労  労働

急ぎの原稿を二つアップさせて、長々と書き続けているものに再度手をつけるべく、呼吸を整える。現在約七十枚。内容的にはあと半分弱、といったところ。ここからが勝負なのでじっくり攻めたい。
それにしても朝五時半に目覚め、午後零時まで仕事して、さらに午後三時から六時まで、そして九時から午前零時まで、というこの作業工程はなかなかのものだ。延べ十二時間仕事しているのだからそりゃあなかなかだ。腰は痛いけど。このペースをキープするとそれなりの枚数を書けるのではないだろうか。
どうせ大したものなど書けないならせめてたくさん書けるようになりたい。

そう言えば食後、西麻布から恵比寿ウエスティンまで歩いたのだった。この上さらに運動もしているという……。

かと思えば、先ほど某誌から月曜〆切と通告が入った。なんか日々綱渡りだなあ。。。
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2007/10/12

在仏だより4  労働

月曜。起き抜けから頭痛がひどい。昨夜ジュスタン邸で呑んだアブサンか何か、透明な蒸留酒のせいと思われる。結局昼まで何度も寝たり起きたりのあと、劇場前のカフェでランチ(鴨のサラダ)を食って二日ぶりのメールチェック後、部屋に戻ってまた寝る。夕方、松井とクリュニーで待ち合わせ、DARTYで電源コードなど購入後、dvd屋物色。欲しい物もなくはないが(オルミの『時止まりて』を含んだ三枚組とか。でも他の二作は持ってるし)立ちくらみがひどくて、結局何も買わず。シナリオ翻訳が済んでいないと家に戻った松井とサン・ミッシェルのカフェで再集合。そこに録音部のエルワン、編集の秋元みのりさん(パリ在住の日本人女性)が来て軽い打合せ。秋元さんの夫はオーストリア人で映写技師なのだそうだ。さらにそこにサラと助手のレイラも来て教授役候補のオーディション。かなりの個性派が来た。終了後、松井と秋元さんとともに、マビヨンの路地にある豚人形が飾ってあるビストロ・アンリへ。前菜はリエットとテリーヌ。そしてついに「豚」を食す。やっと美味い仏料理にありつけた感あり。
結局ワインをガブガブ呑んで、帰りはなぜか乗換駅(デリュック)の自販機に一生懸命小銭を注ぎこんでチョコバーとか買いつつ、ふと気づくと掃除のあんちゃんに起こされた。ジュヌヴィリエが終点でよかった。

火曜。十時まで寝ていた。一時に松井が来て、昨日と同じ店でランチを食す。本日はサラダ・パリジャン。メールチェック後、劇場にてオーディション。本日は中国人の男の子と教授役の四人目、そしてヴェトナム人のおばあちゃん役二人。かなり悩む。
夕方、ピンボールのあるカフェ(かっちょいい)をロケハンしがてらビールを呑む。驚くべきことにパリ市内の半額を少し越える程度(たとえばクリシーで一杯4.50ユーロ、ここだと二人で5ユーロ)の値段。何なんだ、この格差社会は。
店を出て、歩いて五分ばかりのところにある中華料理屋へ。ひどく地味な店だが、これがまたえらく美味くて吃驚。羊のカレー味と海老チャーハン。本日はジュヌヴィリエを一歩も出ることなく、疲労もピークに達し、本格的に降り始めた雨のなかをへろへろと帰宅。
もし明日何もなかったら本当に、酒買ってきて日がなでれでれ部屋で呑んだくれそうで、ちょっと怖い自分がいる。ひとはこうやって孤独に潰されていくのではなかろうか。

水曜。朝十時からリパブリックで今回の総まとめ。スタッフ構成からロケ地選びまでもろもろ。近所でイジルド・ル・ベスコとランチ。もっとナーバスな感じかと思いきや、意外にフランクで面白い。午後はプロデューサーのジュスタン宅でシナリオのチェック。まだ第一稿だが、ダメだししまくる。何かマニュアルでもあるのか、と思うほど、どこの国でもプロデューサーは同じような考えを持つ、ということがよくわかった。べつにそれが悪いわけではない。むしろ私は好意的に受け取る。それで映画がよくなるかどうかはべつとして。そもそもまだ第一稿だし。
帰国前にルー・カステルと、シャトー・ルージュのピザ屋でもう一度、飯。やっぱり彼は素晴らしい。本当の意味でのコスモポリタンだと思った。帰りにバルベスの駅の自販機でチョコバーを買おうとしたが、落ちてこなかった。2ユーロの損(怒)。パリの自販機には気をつけろ!

木曜。最終日。セーヌを船で行く。超寒いなか、薄着でしかも船酔い気味という松井君、最後までホントにお疲れさまでした!……最後、目が落ち窪んでたもんな、松井。
てなわけで、さあ!帰るぞ!(涙)
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2007/10/8

在仏だより3  労働

土曜。ゆっくり寝た。といっても八時には作業開始、延々とシナリオ書き。途中、苦しんだところもあったが、十四時には書き上げ、翻訳してもらうために松井に送る。
ちなみにタイトルは仮題『赤頭巾』。
劇場の前にあるスーパーで買い物、さらに劇場の並びにあるケバブ屋で羊のサンドイッチをテイクアウトし、部屋で食ったが別にまずくもないけどどうでもいい味だった。もうちょっとやる気出してもいいんじゃないか、とも思われるが、まあ無理でしょうね。それにしても中国人とアフリカ人の間を突いて世界中に進出するトルコ人のパワーというのは、なにげにとんでもないものがある気がする。進出だけであとはやる気ゼロだけど。
夕方、あらためてピガールのギター屋へ。最初に入った店でいきなり「あれ」と思っていたギター(アイバニーズ・ジェットキング・サンバースト)が、しかもこちらの予算以内で存在したからこの霊感に驚いた。他の店もまわったがそれ以上のものはなく、戻ってアンプも通さずに即ゲット。約三万八千円。状態もかなり良好。高音の伸びが何しろいい。
クリシーのカフェで長々と時間を潰して、20時からミア・ハンセン・ラブの『すべて許される』。処女作としては悪くない、丁寧な作り。しかしDVのシーンでの被写体との距離の近さなど、活劇的魅力はいまのところ皆無。後半に出てくる女優の瞳があまりに左右に動くので、お前は崔さんか、と思わず心で呟いた。それよりここで問題となるのは、十年の時間経過を老けメイク無しで押し通すのはありかなしか、ということである。老けメイク無しでやるなら十年待つべきではないのか。十年待てないならいさぎよく老けメイクを択ぶべきなのではないか。リアルということを考えると、老けメイクなんて気恥ずかしい、という感覚はわからぬでもないが、あえてそれをやる勇気こそいま必要なのではないか。これもまた活劇的な問題である。そもそも主役の顔ではない男を主役に据えているのに、十年後もそのまんまでは……。変わらんといかんとです!

しかしそれより何より、昨夜最大の問題は松井宏である。たしかにすべてを松井に任せた私も悪い。そこに「ミニョン」と書いてなかったことは確認していた。だがまさか「豚のサーロイン」というものが存在するなんて、日本では聞いたことがないではないか。サーロインといえば牛、それも私の持病にとっては天敵である。夕食の店で私は松井が牛だというメニューを避け、豚だという肉を注文したが、出されたものはまぎれもなく「牛のサーロイン・ポテトフライ添え」であり、食ってみてもやはりそれはそれだった。そこにおける松井の台詞が「え? サーロインって豚ですよね?」だったわけだ。牛肉、特にサーロインもポテトフライも医者から止められているが、松井には私の健康状況などもちろん知ったことではない。というわけで私は寿命を縮めながらそれを食ったのだった。
……松井よ、お前も(B型)か?

日曜。でも仕事。すでに決めた俳優二人との顔合わせとべつの役のオーディション二人。
いやまったく国立の演劇学校で俳優を養成している国とそうでない国の層の違いをまざまざと感じさせられる。そしてそれでもやはり人間というものはどこの国であれ、そのひとそのものが最終的に勝負なのだとも思い知った。
夕方、ヴァヴァンのMK2にて女優イジルド・ル・ベスコの初監督作品『チャーリー』。いまどきこれほど瑞々しい処女作を作りえた、ということはまったくもって喜ばしいことではなかろうか。人間より牛や魚のほうがいきいきしているというのも無理からぬことだ。ドグマやトリアー、ハーモニー・コリンと連なる作風という意味では目新しさなど期待しても無理だが、人間=愚鈍なる存在の存在理由というものをかくも執拗に、かつ詩的に追求した作品は最近あまりお目にかかっていない。本年度処女作賞候補。
夜、プロデューサー、ジュスタン邸で歓迎会。ジャン・マルク・ラランヌが来てくれる。フランクという彼らの友人も。話しているうちに昨夜の『すべては許される』と『チャーリー』の共通項を見いだす。それは前者の「11年後」や後者の「キャンピングカーでの暮し」が老けメイクが無いとか外観ショットがないとかいう理由で作品内に宙吊りにされ、それにより登場人物にとって一種のユートピアになりえている、ということだ。それなら老けメイク無しもありえるだろうが、それでもなお『すべては許される』ではその先はない(ジャンキーの妄想で終わる)が『チャーリー』には目的を果たし家に帰る、というまったく希望はないが続きはある。ユートピアを出て希望のない続きを生きる、という結末を現代的だとかいう必要はないが、それもまた『チャーリー』の美徳だろう。
夜更け、はじめてタクシーで帰った。15ユーロ(2500円)以下。
アルコール度数の異常に高い酒を呑んだせいで、起き抜けから頭痛がひどい。
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2007/10/6

在仏だより2  労働

木曜。朝五時に目覚め、あれこれと仕事。しかし九時ごろダウンし、十一時に再び目覚める。まだまだ本調子ではないが、正午にリパブリックにある事務所でキャスティングの打合せがある。歩いて五分の劇場でメールチェックしたあと、地下鉄を13番線からサン・ラザールで3番線に乗り継いで約三十分。ダグマーにちょい似のキャスティング・ディレクターのサラ(たぶん同世代か、少し上……と思ったら下だったw)はきわめて優秀で、アイデアが次々に出てくる。面白い。こういうひとが日本にもいてくれると大きな事務所ばかりに幅を利かされることなく、スクリーンでも同じ顔ばかり見せられることもなく、スタッフ・キャスト・観客と三方お得であるにちがいない。続いて助監督ギョーム(三十代前半。ちょいヨン様風味w)とロケハンの打合せ。日本とはちがってこちらでは助監督がロケ場所を探し、許可取りもしてまわる。これがいいことかどうかは微妙である。たしかに私も助監督時代、現場を離れ制作部の運転でロケハンをしてまわった。いまはほぼ制作部任せであり、それで最良の結果を得られているから、たんに臨機応変ということでよいのだろう。監督としての私は助監督に現場を離れられるより傍で作戦を練っているほうがやりやすいのだ。
六時からのオープニングセレモニーに間に合うように、買い物(CDウォークマンの外部スピーカとスリッパ)しつつジュヌヴィリエに戻る。途中で気分が悪くなる。が、部屋に戻り顔を洗うと何とか持ち直し、セレモニーへ。舞台上で円卓を囲んで十名ほどがあれこれ喋る。ロスの演出家と私が海外からのゲストだと知る。私以外にもう一人、この催しに参加しているフランス人映画作家ともご挨拶。けど音楽家がいないのが気になる。大友さんの日記を読むと、大友さんこそ世界中を繋いでいる、と分る。大友さんのおかげであの門司港の旧大連上屋というわけのわからない建物が文化施設になっていることを知った。こうした場所にも大友さんのようなひとがいるほうがいい。まあ一応、それが私ということになるわけだが……役不足もいいとこだ。ところで、一緒に壇上に上がった松井は相当な緊張を強いられたらしい。本番が終わると、第二部の会議を拝聴したかったのだが一向に訳してくれずに、とうとう最後まで会場内で私一人、内容を理解できずじまい。これには頭に来て、文句を言う。言い訳に「寝てるかと思った」と言われ、よけいにカチンと来た。まあそれからパーティーがはじまり、例によってわらわらとなり、やがて帰宅。

金曜。やはり五時起き。よく考えると五時というのは日本時間の午前十一時で、いつもと同じ生活リズムで生きているだけなのだった。……と、機内でわけのわからない時刻にまずいパンを渡され、JALのタイムテーブルは間違っている、と憤ったことを思い出した。あの結果がこれだ。やはり安くてもJALのエコノミーなんて乗るもんじゃない。11時に劇場前でギョーム&松井とロケハンの待ち合わせ。二十分ほど遅れてスタート。港湾地帯を中心にジュヌヴィリエの隅から隅まで見てまわる。殊に、地図上では突きたてた親指の形をしたこの街にその爪のように見える中州をくまなく。セーヌの中州には以前から興味があったが、やはり面白い。先端から見たセーヌは「映像」を喚起する光景だった。それはつまり記憶がいまも現実にそこにある、ということだ。一方、港湾地帯は活気がなく予想したほど面白くはなかった。ちょっと門司に近い廃れよう。
最後に劇場の部屋を見てまわり、ようやく夕暮れに目の前のバーでその日最初のビール。本日の成果をまとめてギョームにピガールのギター屋街まで送ってもらう。が、もう七時を過ぎておりどこもシャッターが下りていた。しかたないから松井のテリトリー、ベルヴィルへ向う。えらく遠くて、疲れ切っていたから不機嫌になる。駅を下りると看板は漢字だらけ。松井によれば、元々アフリカ系移民街だったところに中国系が進出してきた、とのこと。たしかに、ひとが一杯なのはアフリカ系料理を出す店だった。だが我々は普通のリストランテへ。スープラビオリみたいなのと鳥の丸焼きマッシュルームソースがけを食う。さすがにうまかった。帰りは2番線から13番線に乗り換え。松井がバルベスで降りたあと眠りこんだが、なぜかクリシーで目覚め、無事帰宅。久しぶりにシャワーを浴びて頭と髭を剃ってすっきりした。
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2007/10/4

在仏だより1  労働

すでにフランス入りして三日目の朝。

夕方着いた空港へはこの企画でずっと協力してくれているNobodyメンバーの松井宏が迎えに来てくれた。私と入れ違いで山形ドキュメンタリー映画祭のために日本に戻る土田環が一瞬、顔を見せた。時間を間違えて朝からシャルルドゴールにいたらしい。一時間後にはペドロ・コスタもそこに現れる、という。しかし待っているわけにもいかない。
滞在するのは地下鉄13番線の終着駅ジュヌヴィリエ。部屋は駅から徒歩数分、廃墟街に残るアパルトマンの六階。上がるだけで気絶しそうだ。おまけにドアの鍵は簡単に開いてはくれない。何度か試して押し開けるとき、ちょっと引くのがコツ、と気づく。そしてこの部屋にはテレビもなければネット環境もない。でも小じんまりとした、いい部屋だ。
で、初日は敬愛するルー・カステルと今回私を択んでくれたパスカル・ランベール、オリヴィエ・アサイヤスとのディナー@クリシーだけで完全ダウン。気絶するように寝床に倒れる。

二日目。まずはメールチェックしに新築中のジュヌヴィリエ劇場へ。明日オープニングセレモニーだというのに、まだ工事中。大丈夫だろうか。階段を複雑に昇り降りしたところにある小部屋を私専用にあてがってくれた。技師の活躍によってネットも無事開通。それから松井とともにランチ&ロケハン。五時間ほど歩いただろうか、この街のほぼ全容を把握。とりあえず収穫大。だが日が暮れて驚いたことにはラマダン中の現在、晩飯を食いたいと思う店が開いていない。というかこの街には繁華街というものがない、と夜になって分る。地下鉄で昨夜と同じクリシー広場まで出て、ディナー&ドリンク。病み上がりにつき、二人で白ワインボトル一本半、空けたらあとは地下鉄に乗ってへろへろ帰るのがやっと。むかつくことにその地下鉄のなかで無意識に口づさんでいたのは、泉谷しげるの「翼なき野郎ども」だった。どこのおっさんや、俺は。……で、例によって六階までの道のりで半ば死にかけながら寝床に戻り、またもや気絶するように眠った。
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