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2004/12/5

御茶ノ水  日記

へ出かける。ギター購入に向けてスタンド・カポ・音叉などを買った。スタンドって1000円〜2000円するものかと覚悟していたら、激安380円のものが巷にあふれていた。高けりゃネットで700円くらいのを買おうと思ってたので、嬉しい誤算。やっぱりお買い物は実際に出かけてみませんとね〜、奥さま。カポは奮発してシャブを。かっこいい
帰って、ウチにあるミニギターの弦を張り替えて練習。指痛い。や、がんばろ

と、30分ほどやってたところ、カツキ姉さんとスギタさんから千駄木の韓国家庭料理「唐がらし」へ来ないかとお誘い。年長者のお誘いをお断りするわけにもと(建前)、いそいそと出かける。「唐がらし」は不忍通りのスリーエフ横を入ってすぐ左にあるカウンターだけのお店。まだできて一年経ってない。若い夫婦(奥さんは韓国人で旦那さんは日本人)が切り盛りしております。綺麗で落ち着く店内。女性の一人客が多いとか。で、ヒョンも合流して楽しく飲んだあと、まあお約束と言いますか、ヒョンと私はウチに流れて二次会。例によってコバちゃんも参加。

さて、このブログをご覧になってる人は私が毎日のように飲んだくれてるとお考えかもしれませんが、決してそのようなことはありません。飲まないでいれば、何日飲まずとも平気です(ホントですって)。お酒は料理の一部。しみじみ味わいたいものです。(前日の土曜日もウチに荷物を取りに来たfamilyのカズやんとご飯を食べ、そのまま似たような面子で飲みになり、結構酔っ払って日曜の昼過ぎまで寝てたことは内緒。)
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2004/12/5

噴飯也!  学術

『ヨーロッパ ユニバーサリスU アジアチャプターズ』というPCゲームがある。詳細はこちらを参照していただきたい。歴史好きにはたまらないマニアックなゲームということで、いろいろ面白い評判も聞いており、機会があれば是非プレイしてみたいと思っている(朝鮮王朝のほぼ全期間をカバーしてるしね)。

で、いったい何が噴飯なのかと申しますと、このゲームの日本版公式サイトである。まずこちらを見ていただきたい。注目は↓の部分。

EUIIで朝鮮は二領域、ヤールー、キョングジューとしか区別されていませんがEUIIアジア・チャプターズでは八つ、ハムグヨング、ピョンガン、ワングヘイ、ジョンジイ、ギャングウォン、チュングチョン、ジヲラとジオンサングに区別されています。

いやあ、韓国語の響きってかっこいいですね〜。特にジオンサングなんてモビルスーツの名前みたい







って、そんなわけあるか〜〜〜い!
英語版のアルファベット表記を素直に素直にお読みになったようですね。あれですわ、HongKongを「ホングコング」って読んじゃう厨房と同レベル。あのねえ、朝鮮の八道の読み方くらいちょろっと調べればわかるでしょが!韓流喧しいこのご時勢にこりゃ何だ?仮にも歴史ストラテジーゲームの発売元がこんなんでいいのか?ヨンさまの追っかけのおばちゃんに笑われまっせ。

※よい子のみなさん、正解はこちらですよ〜。

ハムグヨング→咸鏡(ハムギョン
ピョンガン→平安(ピョンアン
ワングヘイ→黄海(ファンへ
ジョンジイ→京畿(キョンギ
ギャングウォン→江原(カンウォン
チュングチョン→忠清(チュンチョン
ジヲラ→全羅(チョルラ
ジオンサング→慶尚(キョンサン

まだまだ朝鮮の認知度はひくいということかねえorz(ちなみにヤールーは何だかよくわかりませんが、キョングジューはおそらく慶州:キョンジュだと思われ

【補足】
この記事のカテゴリが「学術」なのは我ながら詐欺っぽい気がするので少々補足を。
現在の北朝鮮に位置する咸鏡道(北東部)と平安道(北西部)は、ゲームが始まる1410年ごろにはまだ現在の国境線(白頭山を基点にして南は鴨緑江、北は豆満江)が定まっておらず、咸鏡道は名前も違っていた(朝鮮の道名は道内の主要な二邑の名前から決められる。例えば慶尚道なら慶州と尚州)。そもそも朝鮮半島北部は、高麗時代から女真などが跋扈し、政府の統括が及ばない土地であった。朝鮮王朝が現在の領域まで北進を始めるのは15世紀中ごろの世宗代からだが、それも順調に進んだわけではない。中国(清)とのあいだで近代的な国境線画定が為されたのは1712年のことである。このとき清の使臣と朝鮮の地方官が白頭山に登って国境線を規定し、そこに「白頭山定界碑」を立てた(朝鮮の地方官はしんどくて頂上まで登らなかったので後に詰責された)。ここで鴨緑江・豆満江国境が定められるわけだが、実は豆満江の源流とした川が後に別の川であることが発覚して問題となり、日帝時代まで(否、ある意味現在まで)続く、間島地方の領土問題の一原因となってしまった。肝心の定界碑は満洲事変あたりのゴタゴタで失われてしまったらしい。
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