「なんかもう岩になりたい」
という時期が度々有る。
物事がうまくいかない。
振り返ると今までもだな。
尼崎の電車事故のニュースを見る。
人生何があるか分からない。
今このときナメック星からベジータとナッパが来てチャオズが自爆するかもしれない。
列車事故が起きる前に実験を繰り返していたら大惨事は免れたのではないかと考える。
無差別殺人犯達を車両に乗せ、高速でカーブを曲がって限界速度を調べる。
死んでもしょうがないだろ、そういう奴は。
犯人を実験材料に使うことは死刑より極刑に値するんではなかろうか。
それが一般市民の役に立つのなら尚効果的ではなかろうか。
エアバックの衝突実験に使われるダミー人形は実験されるために、苦痛を受ける為に生まれてくる。極刑より悲惨だ。彼らは言葉を発することなくただただ実験を繰り返される。もう人間として取り返しのつかない行為をした者は彼らの代わりに社会へ貢献することが出来るんではないだろうか。「痛い」ぐらいは言えるだろう。
終身刑などあってないようなもので、ほとんどが仮釈放が許されると言う。
つまりは人を故意(悪意で)に殺しても許されるということだな。
そんな世の中じゃ恐ろしくてしょうがない。
こんなことを書いている自分もどうかと思う。
ただ、一生懸命生きている人間には生き続けてもらいたいだけだ。

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