大学ではいろいろ勉強しましたが、一番とった授業は人物ドローイングのクラスでした。
動物もそうですが、人間を描くというのは一番難しいと思います。
10秒から長くても10分、20分の間に描くというのを6時間通してやる授業は、基礎を鍛える上で今の仕事で一番役に立った授業の一つです。
短い時間のドローイングでも、練習とはとらえず、ひとつひとつ作品を仕上げる気持ちで大切に描くという目標でやっていました。
授業が終わるともうヘトヘトでした。
課題は毎日大量に出て、毎日何十ページの美術史を読んでこいとか、実技以外のこれまた何十ページの英語のレポート、イラストレーション専攻だったので、クライアントを想定した作品プレゼンの準備など、一日2時間寝れればいい方でした。
授業の始めにやるディベートでは、眠いし英語苦手だし、ほんとにつらかったです。
アメリカ人でもついていけなくてやめていく人がたくさんいたので、留学生にとってはみんなかなりきつかったです。
その分、留学生同士の助け合いはありがたく、戦友のようで、今でもつながりがあります。
当時は学費を払うためにバイトだけでは足りず、日本へは4年間一度も帰らず学費を削って、ほとんど毎日ソーセージと卵だけで食費を削って、授業のある日も自分で朝、握り飯を作って持っていき、片手で描きながら食べていました。
学校の課題こなしながら、ギャラリーに売り込むための作品を朝まで描いて、夏、冬休みはみんな自分の国に帰っている中、親の負担を減らすために少しでも早く卒業しようと、夏、冬休みも授業をとって合間にバイトしながら売り込みする毎日でした。
それでも親にはだいぶ負担かけました。
母親を泣かせてまでアメリカに行った手前、何も結果残さずに帰れないと必死でした。
だから、日本に帰国してすぐに賞を取ったときには両親が一番に喜んでくれたと思います。
これからも少しずつでも恩返ししていきたいです。

いつも通っていた校舎の前の通りです。
毎朝この坂を画板かついで上っていました。
有名なケイブルカーが走っているPowell Street です。