九州横断・龍馬! 散歩の写真
先週、長崎・五島で、偶然にもいろいろと龍馬のゆかりの地に行ったのをきっかけに
大分にも龍馬がきた事があるの?の疑問から調べてみる〜すると大分にも龍馬が!
龍馬が九州で最初に足を踏んだ土地は、佐賀関!徳応寺というお寺に宿泊した記録

佐賀関・徳応寺のお寺に〜初めは駐車場がなく、どこに止めようかと悩みましたが、
少しだけ、郵便局の駐車場に止めさせて頂いて、階段を登っていくと〜本堂の扉に、
御自由にお入り下さいの貼紙があり、中に入ると龍馬のコーナーがありましたよ。

第十世住職・東光住職が書いてた絵日記ふうに当時の様子を記した『日本人物誌』の
中に、当時、龍馬は追われてる身で、何処にも実名を残さず、偽名を使っていたのに、
この佐賀関の徳応寺に宿泊した時だけは、はっきりと自分の名前を残していると・・・
そして龍馬の右隣に書かれている方が、五島の海で沈没した『ワイル・ウエフ号』の
船長さんだと、ご住職の方が、いろいろと詳しく説明をして頂きました。

1864年2月15日〜23日、勝海舟さんと、佐賀関、鶴崎、野津原、久住、内ノ牧、
大津、熊本、高橋、島原、会津、日見、長崎と9日間かけて九州横断の旅!
同年4月には長崎から佐賀関への道を逆戻りして神戸に向かった記録が残っている。

当時、佐賀関からは海岸線の道がなく、今の道の駅・佐賀関付近までは、山々の峠を
抜ける道しかなかったらしい。龍馬も大分の山々九州の自然を眺めながら、同志たちと
いろんな事を考えながら駆け抜けたんでしょうね〜わずか150年前の出来事〜
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大分にも龍馬がきた事があるの?の疑問から調べてみる〜すると大分にも龍馬が!
龍馬が九州で最初に足を踏んだ土地は、佐賀関!徳応寺というお寺に宿泊した記録

佐賀関・徳応寺のお寺に〜初めは駐車場がなく、どこに止めようかと悩みましたが、
少しだけ、郵便局の駐車場に止めさせて頂いて、階段を登っていくと〜本堂の扉に、
御自由にお入り下さいの貼紙があり、中に入ると龍馬のコーナーがありましたよ。

第十世住職・東光住職が書いてた絵日記ふうに当時の様子を記した『日本人物誌』の
中に、当時、龍馬は追われてる身で、何処にも実名を残さず、偽名を使っていたのに、
この佐賀関の徳応寺に宿泊した時だけは、はっきりと自分の名前を残していると・・・
そして龍馬の右隣に書かれている方が、五島の海で沈没した『ワイル・ウエフ号』の
船長さんだと、ご住職の方が、いろいろと詳しく説明をして頂きました。

1864年2月15日〜23日、勝海舟さんと、佐賀関、鶴崎、野津原、久住、内ノ牧、
大津、熊本、高橋、島原、会津、日見、長崎と9日間かけて九州横断の旅!
同年4月には長崎から佐賀関への道を逆戻りして神戸に向かった記録が残っている。

当時、佐賀関からは海岸線の道がなく、今の道の駅・佐賀関付近までは、山々の峠を
抜ける道しかなかったらしい。龍馬も大分の山々九州の自然を眺めながら、同志たちと
いろんな事を考えながら駆け抜けたんでしょうね〜わずか150年前の出来事〜

上五島の龍馬 散歩の写真
長崎県・上五島で偶然にもあと一週間後に終わってしまう『龍馬』の足跡を発見!
1866年4月28日、練習船として購入した『ワイル・ウエフ号』を、長州・ユニオン号で
長崎を出港、鹿児島に向かっていた。5月1日に甑島沖で嵐に遭い、漂流後、5月2日に
上五島の江の浜郷の“潮合岬”沖に座礁し沈没。
龍馬の仲間12名が亡くなり、4名生還。6月14日、坂本龍馬がこの地を訪れ、碑文書を
書いて渡し、碑と同志の墓の資金も渡したというお話し。
仲間の死を悼み、五島の地まで訪れ、手を合わせた龍馬の行動力も素晴らしい・・・

もし龍馬が暗殺されず、生きていたら、しなくて済んだ戦争もあった事だろうに。
その戦争でたくさんの命も落とさず、悲しむ人もいなかったであろうに。
もっと違う日本、世の中があり、違う文化が生まれていたかもしれませんね。
平和主義をアピールし、時代を動かし生きた事が、回りから命を狙われてしまう時代
大仕事を無事に終わらせて、お龍さんと仲良く幸せに暮して欲しかったものです。

龍馬もきっと五島の地で、海や山々を眺め、こんな夕焼けを見ていたのかも・・・
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1866年4月28日、練習船として購入した『ワイル・ウエフ号』を、長州・ユニオン号で
長崎を出港、鹿児島に向かっていた。5月1日に甑島沖で嵐に遭い、漂流後、5月2日に
上五島の江の浜郷の“潮合岬”沖に座礁し沈没。
龍馬の仲間12名が亡くなり、4名生還。6月14日、坂本龍馬がこの地を訪れ、碑文書を
書いて渡し、碑と同志の墓の資金も渡したというお話し。
仲間の死を悼み、五島の地まで訪れ、手を合わせた龍馬の行動力も素晴らしい・・・

もし龍馬が暗殺されず、生きていたら、しなくて済んだ戦争もあった事だろうに。
その戦争でたくさんの命も落とさず、悲しむ人もいなかったであろうに。
もっと違う日本、世の中があり、違う文化が生まれていたかもしれませんね。
平和主義をアピールし、時代を動かし生きた事が、回りから命を狙われてしまう時代
大仕事を無事に終わらせて、お龍さんと仲良く幸せに暮して欲しかったものです。

龍馬もきっと五島の地で、海や山々を眺め、こんな夕焼けを見ていたのかも・・・

