冬の彩り 散歩の写真
仕事が終わった後、気分転換に久しぶりにカメラを片手に別府方面へと向かってみる。
最近、なかなか仕事が忙しく早く上がれませんが、今日は少しだけ早くラッキー!
この季節なら、別府公園でのイルミネーション『冬粋彩』をやっているかなと・・・

3年ぶりに別府公園のイルミネーションにきてみた。平日で21時過ぎだと言うのに
結構〜人がいるよ。小さなチビッ子達が芝生の上をあっちに行ったりこっちにきたり
遠くからはお父さんやお母さん達の『そんなに走ったらいけんよっ』のおたけび!
でも〜ハイテンションになり、走り回りたい気持ちもわかる、わかる。

ありがたい事に〜子供達はカメラの前を駆け回っていましたが、やはり動く物は
開放して撮影したら写りません。全部の写真には、人が10〜20人くらいの方が、
カメラの前にいましたが、長く止まらない限り大丈夫!カメラの開放時間は30秒!

今年も早いもので、あと10日で終わるんですね。これから急に寒くなりますが、
風邪などひいて体調崩したりしない様に、気をつけていきましょう。 旅彦
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最近、なかなか仕事が忙しく早く上がれませんが、今日は少しだけ早くラッキー!
この季節なら、別府公園でのイルミネーション『冬粋彩』をやっているかなと・・・

3年ぶりに別府公園のイルミネーションにきてみた。平日で21時過ぎだと言うのに
結構〜人がいるよ。小さなチビッ子達が芝生の上をあっちに行ったりこっちにきたり
遠くからはお父さんやお母さん達の『そんなに走ったらいけんよっ』のおたけび!
でも〜ハイテンションになり、走り回りたい気持ちもわかる、わかる。

ありがたい事に〜子供達はカメラの前を駆け回っていましたが、やはり動く物は
開放して撮影したら写りません。全部の写真には、人が10〜20人くらいの方が、
カメラの前にいましたが、長く止まらない限り大丈夫!カメラの開放時間は30秒!

今年も早いもので、あと10日で終わるんですね。これから急に寒くなりますが、
風邪などひいて体調崩したりしない様に、気をつけていきましょう。 旅彦


九州横断・龍馬! 散歩の写真
先週、長崎・五島で、偶然にもいろいろと龍馬のゆかりの地に行ったのをきっかけに
大分にも龍馬がきた事があるの?の疑問から調べてみる〜すると大分にも龍馬が!
龍馬が九州で最初に足を踏んだ土地は、佐賀関!徳応寺というお寺に宿泊した記録

佐賀関・徳応寺のお寺に〜初めは駐車場がなく、どこに止めようかと悩みましたが、
少しだけ、郵便局の駐車場に止めさせて頂いて、階段を登っていくと〜本堂の扉に、
御自由にお入り下さいの貼紙があり、中に入ると龍馬のコーナーがありましたよ。

第十世住職・東光住職が書いてた絵日記ふうに当時の様子を記した『日本人物誌』の
中に、当時、龍馬は追われてる身で、何処にも実名を残さず、偽名を使っていたのに、
この佐賀関の徳応寺に宿泊した時だけは、はっきりと自分の名前を残していると・・・
そして龍馬の右隣に書かれている方が、五島の海で沈没した『ワイル・ウエフ号』の
船長さんだと、ご住職の方が、いろいろと詳しく説明をして頂きました。

1864年2月15日〜23日、勝海舟さんと、佐賀関、鶴崎、野津原、久住、内ノ牧、
大津、熊本、高橋、島原、会津、日見、長崎と9日間かけて九州横断の旅!
同年4月には長崎から佐賀関への道を逆戻りして神戸に向かった記録が残っている。

当時、佐賀関からは海岸線の道がなく、今の道の駅・佐賀関付近までは、山々の峠を
抜ける道しかなかったらしい。龍馬も大分の山々九州の自然を眺めながら、同志たちと
いろんな事を考えながら駆け抜けたんでしょうね〜わずか150年前の出来事〜
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大分にも龍馬がきた事があるの?の疑問から調べてみる〜すると大分にも龍馬が!
龍馬が九州で最初に足を踏んだ土地は、佐賀関!徳応寺というお寺に宿泊した記録

佐賀関・徳応寺のお寺に〜初めは駐車場がなく、どこに止めようかと悩みましたが、
少しだけ、郵便局の駐車場に止めさせて頂いて、階段を登っていくと〜本堂の扉に、
御自由にお入り下さいの貼紙があり、中に入ると龍馬のコーナーがありましたよ。

第十世住職・東光住職が書いてた絵日記ふうに当時の様子を記した『日本人物誌』の
中に、当時、龍馬は追われてる身で、何処にも実名を残さず、偽名を使っていたのに、
この佐賀関の徳応寺に宿泊した時だけは、はっきりと自分の名前を残していると・・・
そして龍馬の右隣に書かれている方が、五島の海で沈没した『ワイル・ウエフ号』の
船長さんだと、ご住職の方が、いろいろと詳しく説明をして頂きました。

1864年2月15日〜23日、勝海舟さんと、佐賀関、鶴崎、野津原、久住、内ノ牧、
大津、熊本、高橋、島原、会津、日見、長崎と9日間かけて九州横断の旅!
同年4月には長崎から佐賀関への道を逆戻りして神戸に向かった記録が残っている。

当時、佐賀関からは海岸線の道がなく、今の道の駅・佐賀関付近までは、山々の峠を
抜ける道しかなかったらしい。龍馬も大分の山々九州の自然を眺めながら、同志たちと
いろんな事を考えながら駆け抜けたんでしょうね〜わずか150年前の出来事〜
