今週の朝日新聞の「Be」に載ってたんですが(土曜か日曜かの、サザエさんの漫画つき記事)、クーラーが出てくるちょっと前まで、サラリーマンの服装は、開襟シャツでネクタイなしだったんですってねえ。その後、英国式になって、イギリスとは気候が違うのに、ずっとワイシャツにネクタイ、背広という格好なんだそうです。
ちょと前お葬式に出ることがあって、実家の母に「今は、すべて黒だから目立つよ」と言われながらも、茶色のバッグを持っていくと、ほんとに皆さん、どこからどこまで真っ黒で、ちょっと恥ずかしい思いをしたことがありましたが、たしか、お葬式の時に喪服を着るというのも、明治以降の習慣だと聞いたことがあります。
サラリーマンの格好もお葬式の格好も、初めの頃は、少数の人がそういう格好をして、それがよさそうだってことで、段々同じ格好する人が増えて、そうなると、もうそれが当たり前になって・・・という風に、広がって行ったんでしょうか。
そう考えると、「それ」が常識となったあとは、決まりの方が先行してしまって、気持ちのあらわれが服装に現れるのではなく、逆に、決まりを遵守することが、同じ気持ちでいることの現れと見なされるようになったんですね。
ほんとは、気持ちさえ入っていればいいことですよね。
気持ちさえあれば、完全に他の人と同じことをしなくても、その場に合った身なりや態度が、自然に出てくるもんですし。
もしかして、気持ちはなくても、完璧な服装さえしてればカバーしてしまえるかも。そこまでひねくれてとることもできそうです。
ほんのわずかの年数で、いかにも遠い昔からある常識のようにのさばっているものが、服装だけでなく、あらゆるところに存在するような気がしてきました。
それらによって気づかないうちに、どんどんきつく、あらぬ方向へ、自分たち自身を縛り付けている私たちがいるような。

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