資本主義の世界にも、利益を追求できなくても必要なものってありますよね。
たとえばむかあしボラやってた水族館は、非営利団体でした。
利益は出さないけど、水族館の運営・維持に必要なお金は稼ぎます、ってことです。
それでも、水族館ですから、いいときもあるけど、お客さんが少ないときもある、不意の大きな出費が続くときもある、そういうときは実入りも当然少なくなり、そうなると、どこかで使っていたお金を使わなくしなくてはなりません。
そこでまず標的になるのは、環境保護や研究などの、ただちには収益に関係しない部門です。
部門がなくなったり、研究の一部をやめたり、職員が減ったりと言うことになります。
景気のいいときなら、やってもいいけどね〜という部門です。
でも、利益を追求できないところ=不必要なところではないんですよね。
そういう、一見無駄に見えるところを予算縮小や民営化で削られると、今すぐには差し障りなさそうでも、将来が行き詰まりそうです。
無駄に見えても、ぐるりぐるりと回ってひょうんなところで役立つことは、たくさんあります。
むしろ、そういうところから肉付けされて、いろんなものが発展してきたように思えます。
そういう”無駄(とあえて言うことにして)”を抱えることのできる余裕も、必要なんですよね。
でも、利益を追求しなくてはならない企業で、それを続けるのは無理なのでは。
何が言いたいかというと、ずいぶん回りくどかったんですが、今回の、マンションやホテルの耐震偽造の事件で、やっぱり審査という要の仕事を、利益追求を目的とする企業にまかせてはまずいんじゃないかと思ったんです。
利益や効率だけではいい仕事ができない分野は、国や自治体のほうがむいてるんじゃないでしょうかね。
もっとも、横浜市(だったっけか?)も、審査で見逃しをやったって今日のニュースで言ってましたから、やり方にも問題ありそうですけど。

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