これは書かずにはおられない、というわけで、2週間分の雑記更新を終えて、書きたかったことを。
今年の1月に、スウェーデンの作曲家・ラーションの「
偽装の神」という曲のCDを注文しました。前から、良い曲らしい、という噂をあちこちで聞いていたのですが、CDが手に入りにくい(といってもがんばれば結構簡単に手に入る)ということで後回しにしていました。アマゾンで注文しっぱなしにしていたCDが半年以上も経って届きました。さて、聴いてみると、、、これは素晴らしいですよ、本当に。僕は、スペクタクルな物や、刺激的な物、独創的でアヴァンギャルドな物が好きなのですが、この音楽はまた別物。これほど美しい音楽があるのだろうか?という曲です。第二次世界大戦の最中、ナチスドイツに占領されたデンマークやノルウェーに向けて、スウェーデンのラジオ放送にてこの曲が流されたと言います。大束省三さんの
北欧音楽入門に書いてある説明が非常にシンプルで、ずばりこの曲の良さを過不足なく伝えていると思いますので、興味を持った方は一読ください。詳しい情報は、ノルディックサウンド広島の
ニュースレターを参考にしても良いでしょう。
この曲を依頼したグッルベリはラジオ放送に先立って次のような詩をつけたそうです。
この世の強き者のためではなく 弱き者のために
戦士たちのためではなく 農夫たちのために
不平も言わず その土地を耕した…
ひとりの神は笛を吹く
それは ギリシャの物語
曲は、ホルンの頂上的な美しい旋律で始まります。他の楽器が加わるにつれ、音楽が静謐なしかし広大なキャンバスを形作ります。序曲が終わる頃には、既にスカンジナビアのどこかの畑の真ん中に立っていることでしょう。そして、ナレーションが入り、笛の音(おそらく変装した神の)に合わせて人々の合唱で素朴に歌われます。やがて物語は北欧の暗い空を表すかのような情景に変わります。バリトンが象徴的に歌い上げ、合唱が背景を支えます。その後に現れる舞曲風のリズムは、春がやってきたのでしょうか。やがて雄大なメロディーが加わって踊りはちょっとした盛り上がりを見せ、すぐに舞曲風の主題に戻ります。ナレーションの後に、ソプラノが情熱的なしかしどこか懐かしさを感じさせる歌を聴かせます。そして、再度ナレーションが登場し、終曲へ向かいます。ややドラマチックな様相を見せながら、バリトンとソプラノが二重唱を奏でます。物語は大団円(吟遊詩人の歌のクライマックスのように)を迎え、神の笛の音で再び静けさが戻ってきます。合唱が終わって再現する序曲のテーマは最上の美しさを持っています。最後の1分半を上回る美しい音楽は、美しさを誇る他の北欧の作曲家(グリーグも、ペッテション=ベリエルも、ステンハンマルも、シベリウスも!)も作り得なかったと思います。
さて、スウェーデン語がわからないので、曲を聴いたままの感想を書いてしまい、話の筋としてはちょっと間違っているかもしれません。これから、ナレーションは歌の歌詞の意味を調べたいと思います。戦争に関係する曲というと、ヨハン・シュトラウスのような軍隊を鼓舞するような曲や、シベリウスのフィンランディアのような愛国心を激しく揺り動かす曲、ショスタコービッチのような皮肉と精神的圧迫を感じる曲などが多いわけですが、このラーションの曲は全く異なった視点で作曲されていると思います。皆が願う「平和」を優しく素朴に謳い上げ、戦争で疲れきった人々の心を癒す目的で作られているのです。あの酷い戦争の真っ只中にこれほどの暖かさを持って描かれた曲は、是非とも評価されてほしいものです。
最後に、「偽装の神」という訳語はあまり良くないですね。なんだかネガティブな印象を与えてしまいます。広島の聖地で使われているように「変装した神」が一番近い訳語のように思います。