10月30日に、父が亡くなりました。そのため 葬式〜納骨が終わるまでの間、活動を自粛させて頂いており、皆様には大変なご迷惑をおかけしました。
4年前の今頃、父は起きられなくなり介護無しには生活できないようになりました。それまでも徐々に認知症の進行がみられており、それが限界に達したということだったのでしょう。
ここから4年に渡る、私の介護生活が始まります。ようやく脳内出血による介護から自立へと母を回復させてからの、つかの間の出来事でした。
私は次男坊でもあり、父に何処か連れて行ってもらったりとか、何かしてもらった記憶がほとんどありません。少なくてもよその親子ほど、絆の深い間柄ではなかったように思います。
しかし人生において、初めて父と真剣に向き合ったのが、この4年間であったように思います。介護職員として多くの方と接してきましたが、身内とくに絆が深いとはいえない間柄だった人間の介護は全く別物といえるものでした。
そんな父でしたが、入院したのは50代に患った胃ガン以降、今回の入院まで一度もなかったというほど丈夫な人でした。そういった意味では、起き上がれなくなって往診の先生を呼んだりとか、外にいって転んで出血し病院に連れてゆくことはあったものの、大きな病気にかかったことはなく有難かったです。
そんな4月のある日、父がデイケア施設から戻ってくると、施設から職員の中にインフルエンザが発症したものがいると連絡がありました。その職員の近くにいたので、感染の可能性があるとの話でした。それから数日後、父のインフルエンザが発症します。
インフルということで高熱が出たことで、熱さえ下がればと思い様子を観ていました。しかし発症中から誤嚥が増えるようになり(それまで殆どなかった)、さらにこまめに水分補給を行ったものの脱水なども進んでしまったようです。これではダメだと病院を受診し、そのまま緊急入院の運びとなりました。
一週間後容態が回復してきたので、自宅近くの病院に転院しました。しかしこのときのダメージで、父は歩けなくなり今までどうりの介護が困難になりました。また認知症なども重なって、口から栄養補給も困難になるなど、一気に寝たきり状態になりました。
その後も、肺炎など体調悪化を何度か繰り返す日々でした。一時は入所施設への話も進むほど回復の兆しがみえたのですが、ちょうど空いている施設がなく病院からは退院できず。そのうちに父は、体調を崩すごとに機能低下が顕著になってゆきます。
2,3週間前にも熱が出て体調が悪化し、熱は下がったものの機能低下は想像以上もので意思疎通もかなり困難な状況に。視点も合わなくなり家族の認識さえできなかったのではないかと思います。今までにない弱り方からも、年を越せないだろうなと悟りました。そして亡くなる5日ぐらい前からは酸素吸入を行うようになり、いよいよ深刻の度を深めてゆきます。週末を挟んだ火曜日の早朝に病院から連絡があり、家族が呼ばれる運びとなりました。お昼過ぎに容態が悪化し、そのまま静かに息を引き取りました。
父にいま感謝することは、私がやりたいということには一切反対しないで黙認してくれたこと。そして経済的な制限をかけずに、これまで育ててくれたことでしょうか。そして何より、母が倒れてからの多くの時間、父が母を支え慣れない家事や介護をして面倒をみてくれていたことを強く実感させられてました。
ほとんど病気もしない人だったので、うまくことを運べばあと15年ぐらいは生きられたのではないかと思うと 「すまなかった」 という思いが今は強いです。そしてここまで家族を支えてくれて 「本当にありがとう」 という言葉しかありません。生きている間に、親を喜ばせるようなことをしてあげていればと後悔の念はきんじえません。皆様も親御さんが元気な間に、何か一つぐらいは喜ばせてあげてください。死んでから後悔しても、取り返すことはできないので。私から皆様に伝えたいことは、ただただそれだけです。

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