昨夜、小夏ちゃんの死を聞いた時には涙がこぼれました。エリーが亡くなって以来、私の心にはとてもナーバスな部分ができているようです。トラウマになっていると言っても過言ではないような気がします。そんな時にはキャンディーやラッキーが私の気持ちを察したように、いつも頭をなぜてくれと側によってくるのです。
20歳の時、両親が相次いで病死した時でさえ、泣かなかった私が、エリーの時にはペットロスにおちいりました。チャチャとビッキーを散歩に連れて行っても、エリーがいるはずの空間がつきまとっていました。河島英五さんの「酒と泪と男と女」の「忘れてしまいたいことやどうしようもない寂しさに包まれたときに男は泪をながすのでしょう。」という歌詞をいつのまにか、くちずさんでいました。
それを救ってくれたのがラッキーとキャンディでした。(その出会いについては「エリーの部屋」の「キャンディトラッキーとの出会い」に書いてあります。)
いつの日か、チャチャ、ビッキー、ラッキー、キャンディとの別れの日が来るでしょうが、彼らをみとるまでは元気でいたいと、ふと思うのです。
小夏ちゃんとママさんに星野道夫さんのエッセイの文を贈ります。
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すべての生命が動き続け、無窮の旅を続けている。
一見静止した森も、そして星さえも同じ場所にはとどまってはいない。
ぼくは「人間が究極的に知りたいこと」を考えた。
一万光年の星のきらめきが問いかけてくる宇宙の深さ
人間が遠い昔から祈り続けてきた彼岸という世界、どんな未来へ向かい
何の目的を背負わされているのかという人間の存在の意味・・・・
そのひとつひとつがどこかでつながっているような気がした。
人間がもし本当に知りたいことを知ってしまったら
私たちは生きていく力を得るのだろうか、それとも失ってゆくのだろうか。
そのことを知ろうとする想いが人間を支えながら
それが知り得ないことで私たちは生かされているのではないだろうか。
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虹の橋を渡った小夏ちゃん、いつもママさんのそばにいてあげてくださいね。キャンディーより。


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