『朝日新聞』[2008.06(Jun.).03]が文化面で報じたところによると。
18世紀末の日本は、西洋でも
世界の
7大帝国
の一つ
と認識されていたらしい。ロシアに漂着した大黒屋光太夫の体験談『北槎分略』(1794年)などを史料に、平川新.教授(東北大)が結論を導き出した。
えっと、新聞記事ではロシア語だけど、まーくはロシア語はからっきしなので、英語で表現します。
西洋諸国にとって「王国(kingdom)」というのは当たり前。(それ以下の「公国(duchyとprincipality)」とかもあるよな。
エヴァンジェリン姫のエッセンシュタイン公国とかね。)
しかし、いくつもの王国を配下に従える建前の「帝国(empire)」というのは、希少な存在。18世紀末時点で、地球上で
帝国 と呼べるのは、7ヶ国しか認められていなかった。
日本もそのうちの一つ、
日本帝国 。光太夫らも、「王国からの漂流民」というなら軽んじられるけど、「帝国の臣民」と名乗ると、“上座を譲ってもらえる”、“
エカテリーナ女帝に謁見を賜れる”ほどの厚遇ぶりだったとか。
徳川時代の日本が「帝国」というのは、ちょっと違和感がある。(あっ、言うまでもないけど、当然この場合の「日本帝国皇帝」は、「京都の天皇」じゃなくて「江戸の将軍」ね。)
まあ、古代の日本の「天皇」が、
隼人とか、掖久(屋久島)とか、多褹(種子島)とか、
蝦夷とか、
任那とか、
を、属国扱いして、小中華 → 帝国 を自負していたのは知られてるけど、なぜ徳川将軍が?
どうやら西洋人の目から見たら、「元亀・天正の頃」(戦国時代末期)に日本各地に割拠した戦国大名たちは、その国力(人口・経済・軍事)からしてヨーロッパの「王国並み」と認識されていたらしい。確かにねえ、上杉・武田・北条・毛利・島津・・・100万石レベルの国王(king)だな。
で、それら諸王の頂点で覇権を握っていた豊臣秀吉 → 徳川将軍は、そりゃ「皇帝(emperor)」になるわな。
どうも日本人は、変に自国を卑下して「極東の果ての小さな島国」と謙遜する傾向もあるけど。(逆に“Japan as Number One” も極論だけど。)
少なくとも中世以後、人口・経済力から見て、日本は世界の諸国家・諸文明(どの範囲までを同一の国家・文明と呼ぶかは議論百出)の中で、
トップ10から落ちたことがない
のは事実のようです。

『経済成長の世界史』

"Growth Recurring
Economic Change in World History"
E.L.Jones
名古屋大学出版会 2007
ところで。それでは18世紀末当時、地球上に「7つあった帝国」とはどこなのか?記事を読んでみると。
中国(清朝)
ロシア
インド(ムガール)
トルコ
神聖ローマ
そして、
日本
の名前が挙がるんだけど、うん?
7つ目が分からんぞ、これでは!書いてない新聞記事に喝だ!
(大英帝国?違うわな、あれはインドを征服してムガール帝国を継承したから初めて帝号を名乗れたわけだし。
ナポレオンのフランス帝国?ちょっと時代が後だろう。
オーストリア帝国?神聖ローマ帝国と入れ替わりだし...)