実は
私・まーくはネオコン(neo conservative)かもしれません。
ネオコンといえば、アフガニスタンやイラクに兵を進め、米国の大義を押しつけようとしている、日本国内ではいささか評判の悪い人たち。
wikipedia参照。
ところが、『SAPIO』[07.01.24]にあのフランシス・フクヤマ(Francis Fukuyama)氏の論説が。
フランシス・フクヤマと言えば、『歴史の終わり』を著し、タカ派・保守・強硬派として知られた人物。それが今回は、
現在の米国政府の政策は、本来のネオコンから逸脱しているから怪しからん!
という主張です。
でもまあ、ここは。あんまり政治的なblogにするつもりはないので。
ところが、フクヤマ氏の解説する「本来のネオコンの基本理念」。それを読んで、まーくはびっくりしました。
以下、『SAPIO』記事を要約すると。
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ネオコンの源流は1930・40年代、ニューヨーク市立大の優秀なユダヤ人学生を中心とするグループ。
最初は社会改革に燃える左翼活動に走っていた。
ところが、スターリン体制など現実の社会主義の失敗を目にし、
「理想主義的な目標も、意図せざる結果を生む」
「極端に走る善意が持つ危険」
「大胆に社会改造を求めれば、かえって社会は悪い状態になる・社会改造の限界」
と自覚するに至った。そこで右派に「転向」したわけだが、元々左翼主義だった人が保守主義になったから、「新しい保守主義(neo conservative)」
その主張は、民主主義・人権・道義を米国以外の国でも重視。
でも、国際法も国際機関も頼りにならないから、米軍事力が必要(第二次大戦や東西冷戦が成功例)。
たーだーしー。
世界が民主主義・自由主義・資本主義経済・人権重視になるのは、長い目で見れば当然。
左翼の言葉を借りれば「歴史の必然」
フランシス・フクヤマ流に言えば「歴史の終わり」
なんだから。
何もわざわざアメリカが嫌われてまで、小さな外国にお節介を焼くのは逆効果。
放っておけば、自然と民主・自由・・・に収れんする。
そう、アフガニスタンやイラクに介入するのは、本来のネオコンが最も嫌う、人為的な善意の押しつけ。
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これを読んで、まーくは唖然・呆然。
人為的な社会改造に燃える左翼に惹かれて。
でも現実の社会主義は失敗してるし。「計画」の失敗を自覚し、保守主義に走り。
でも、民主主義・自由・人権・市場経済は、「プロテスタンティズムの国」や「西側先進国」だけでなく。
長い目で見れば世界中に普及するのが歴史の必然だと考える。
これってまさに、
私・まーくが積み上げてきた「思想の変遷」そのもの、全く同じじゃないですか!
そうか、
私はネオコン だったんだ!(肯定的な意味で言ってます)
ちなみに私の最近のお勧めの二冊は、
『貧困の終焉』 Jeffrey D. Sachs 2005(日本語訳 2006 東洋経済)
『豊かさの誕生』 William J. Bernstein 2004(日本語訳 2006 日経新聞)
です。中国もインドもアフリカも。民主主義と人権・経済成長へと進むのは。
「長い目で見れば」歴史の必然です。
(ここは政治的に議論するblogにするつもりはないので、
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