雑誌『SAPIO』[2008.08.30、09.03合併号]に、仙台での中華街構想が中止になった事情が解説されています。
「我が故郷に中華街は作らせない」 by 山村明義(ジャーナリスト)
中国資本が主導しての仙台中華街構想。三大都市圏に次ぐ「札仙広福」の一員とはいえ、地方都市仙台の景況は今ひとつ。
外国資本が仙台市長町に投資してくれる話には、飛びつくはず、、、が。
相原克彦.仙台市長(1954年生)が、これにストップをかけた。
中華街での治安の悪化を何よりも危惧したから。
そりゃもちろん、善良な中国人が多数派なのは間違いないが、
>県外から来た中国人が犯罪を起こしているケースも少なくない
>市民の生活や生命を守る使命と責任がある。
by 相原市長
えーーっと、ここではこの市長の判断の是非を、深く考察するつもりはありません。
そうでなくて、ちょっと面白かったのは、この市長自身の経験。
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東大法学部卒から通産省(当時)官僚を経て、仙台市長に当選。
でもこの市長、決して 反中国派、嫌中国論、というわけじゃない。それどころか、かなりの、
親中国派
と言っていいんでは?なんと、1973年に大学入学するや、第二外国語として中国語を選んでいる。当時としては、かなりの少数派だろう。
前年の1972年に、日中国交が正常化されたばかり。
でその中国語の授業では。
>教材は共産党の指導文書。
>マルクス・レーニン主義や
>文化大革命の本も、
>数え切れないほど読んでいた。
>中国とは30年来のつき合いで
>たくさんの友人もいる。
やっぱり、こういうのだったのかな。↓
無産階級文化大革命!
とか、
造反有理、革命無罪!
ちなみに私が、「その世代の人」から聞いたことがある決まり文句は、
Mao Ze-dong wansui wansui wanwansui !