TV東京系、
『美の巨人たち』 松本城
2010.08.14土 放送
を見てみたら、面白いことを教わった。
それは戦国末期の城の「色」(壁の白黒)。
以前、復元された「豊臣秀吉の大坂城」(「阪」でなく「坂」なのに注意)の画像を見て、壁が黒ずくめなのに驚いたことがある。
実は、城の壁を黒く塗るのは、豊臣家の象徴。
豊臣秀吉の猶子(注:さすがはATOK、「ゆうし」→「猶子」まで変換できるぞ!)である 宇喜多秀家の岡山城も黒。
典型は加藤清正の築いた熊本城。これも黒一色。
豊臣家に忠誠を尽くす、譜代・家門である誇りが黒色に。
ところが豊臣家を滅ぼした徳川の世になると。
江戸城はもちろん、徳川の築いた大坂城も壁は白。
まるで、豊臣の黒を塗りつぶすかのように。
典型は、白鷺城の異名を持つ姫路城。家康の娘婿である池田輝政が改修し、幕府の西国支配の要に。
そういう目で信州松本城を眺めてみると。
黒いんだよね。別名「烏城」(からすじょう・うじょう)。
(揚げ足をとるけれど、TV東京の放送中、テロップの文字が「鳥城」になってたぞ)
つまりこれは、松本城建造当時、城主の石川数正・康長親子が
豊臣譜代であることを意識して、関東の徳川に備えるために築いた城であることが明白というわけだ。
いやあ、平家と源氏の争いは「紅白」だったけど、豊臣と徳川の争いは「黒白」だったのか。(もちろん、家康自身にも自分を源頼朝になぞらえて白を使う意識もあっただろうね)