『朝日新聞』beに、磯田道史.氏が「昔も今も」という歴史エッセイを連載中。
[05.08.20]には、徳川将軍家と水練の記事が。
それを元にまーくが作文してみると、
ソモ、
東証晋くん(←ホントにこういう変換が出ちゃったんです!)じゃなくて、、、
東照神君家康公ハ、馬上天下ヲ取リ給ヒシ御方ナリ。
源平ノ世ヨリ、河海ヲ夾ミテ弓矢ヲ交ヘシ戦、数多シ。
神君、御家ノ子孫、アルイハ海ニ溺レ、河ニ沈マム事ヲ恐ル。
依テ、ソノ若子ラニ教フルニ、水練ノ術ヲ以テス。
之ヲ嚆矢トシ、将軍家ノミナラズ、尾張紀州大納言、水戸中納言等、
御連枝ノ家々、貴顕トイヘドモ水練達者ニシテ世ニ聞コエシ藩侯モ多シ。
てなわけで、徳川光圀(いわゆる、水戸黄門)公は江戸藩邸で過ごした少年時代、
「浅草川で泳いだ」そうだし、
尾張藩二代藩主、徳川光友(家康の孫)は、参勤交代中、
「大井川を泳いで渡った」
記録があるらしい。
さらに光友、江戸藩邸では八丁堀(の堀)に飛び込んで、
(和風の)古式泳法の冴えを見せて立ち泳ぎ、
「
立ち泳ぎしながら、お膳のご飯を食べた」
って言うんだから、「殿様」のイメージじゃないね。
江戸時代初期(武断期)にはこれほど鍛えていた殿様(→武士)たちも、天下泰平、パックス・トクガワーナが定着するとすっかり軟弱に。
日本の中流家庭で、
子どもにスイミングを習わせるのが当たり前、になるには、1970年代を待たねばなりませんでした。