2015/6/25  22:21

神田練塀町  身辺世相
テリトリー東京 秋葉原05 神田練塀町
4年前の1月に「神田練塀町」を記述した。今回はその続きになる。あくまで筆者のテリトリー東京・最終回!の秋葉原の一連。なにしろ34年間半を勤務した会社の存在地、よくも悪くも愛着があるし歴史もある。前回の取っ掛かりは、その町名の読み方だった。“ねりべい”の歴史を知れば簡単なのだが「れんべいちょう」と言っていた人が居て、笑うに笑えない。その人物が神田生まれだから始末が悪い。思い込みにしても東京の中心地に住むと歴史には無頓着。更に始末が悪いことに、その人物が勤務先の社長のお嬢様だった。経緯は省くが我儘なお嬢様は「出戻り」で且つ「行かず後家」だった。

千代田区のHPにはその歴史の案内がある。以下は要約。≪練塀(ねりべい)とは、瓦と練土を交互に積みあげ、上を瓦で葺いた土塀。瓦と土の縞模様は関東ではとくに武士たちに好まれた。江戸時代、この界隈は練塀が一帯に広がる武家地、南北に神田から下谷まで通じる道には、立派な練塀の屋敷が多く「下谷練塀小路」と呼ばれた。正式な町名は明治05年(1872年)、昭和22年、千代田区ができたときに神田練塀町となる。大正12年の関東大震災後に、神田青果市場ができると、練塀町は東京の物流拠点となった。≫

秋葉原は、今の「つくばエクスプレス」が開通、家電量販店の「ヨドバシカメラ」が出来てから様変わりした。この周辺の町名を探索。つくばエクスプレス駅の地上部分区道を挟んで存在するビルは“目と鼻の先”だが町名が違う。
◇富士ソフトビル 神田練塀町
◇秋葉原センタープレイスビル 神田相生町
◇ヨドバシカメラ 神田花岡町

秋葉原駅南側は、神田佐久間町、神田川を越えれば神田岩本町、神田松下町、神田富山町、神田乗物町、神田紺屋町、神田美倉町がある。「神田」を冠する町は須田町、小川町、淡路町、多町、司町、駿河台等々。明治大学西側の猿楽町(さるがくちょう)は先頃「神田」の名を冠する決議が為された。江戸時代は今の東京駅以東は屋敷町で淋しかったに違いない。千代田区の「神田」と中央区の「日本橋」を冠する町は江戸経済の中心地だった。江戸の歴史が何だ!とも思うが地域の当事者のこだわりはどこも同じ。

 神田の名復活さるる「猿楽町」思ひ出してゐる坂多き街 平成26年

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