2015/10/12  22:32

父系祖先02  身辺些事
21年前、母親が死去、遺産相続をした。預貯金は無かったが、祖父から母親が譲り受けた感の62坪の現住所の土地があった。実妹と知人の司法書士事務所で「遺産分割協議書」を作成。司法書士は、職権で関係者の全ての戸籍謄本を取り寄せることができる。そこで初めて自分の“父系”が解った。実父は戦死していて母親は筆者を連れての再婚だったから父系は殆ど知らなかったに等しい。実妹だが父親は違うことになる。ここから先は“お涙頂戴”の話ではなく良く言えば、自分が何者か!或いは父系の病歴などが知りたいだけ。因みに母系は4代前の明治・江戸時代まで遡れる。

父系の祖父の名は判明したが、祖母は手書きの戸籍謄本で読めなかった。然も原本からのコピーでは判読不明の箇所も多く天眼鏡で拡大しても今でも読めない部分がある。今回改めて戸籍謄本を見返しても祖母の名前は解らずじまい。そこで10年程前購入してあった「はじめての古文書教室」で当該文字を探訪し、江戸時代の古文書から、平仮名の崩し字は「はま」と分かった。だが謄本では大正・明治時代はかなりいい加減で祖父の死亡は記述されているが生年月日は不明。祖父の場合は祖母からの類推。鐘次郎なら長男ではない。

◇祖父 櫻井鐘次郎 明治08・1875年??生→大正02・1913年死 38歳
◇祖母 後喜多はま 明治10・1877年生→大正10・1921年死 44歳
◇伯父 長男 櫻井考一 明治30・1897年生→昭和44・1969年死 72歳
◇伯母 長女 新橋アイ 明治35・1902年生→昭和50・1975年死 73歳
◇実父 五男 櫻井正徳 大正01・1912年生→昭和20・1945年死 33歳

実父が“五男”なのは、三人の兄が死んでいることになり、新たな発見。父は兄と15歳の年齢差がある。父は大正元年生、その父は大正二年に亡くなっている。確かなことは父もまた自分の父を知らないことになり、兄に育てられたのだろう。戸籍謄本ではそれ以上の父系の私生活・経緯は解らない。

筆者の定年後に近所のクリニックで整形外科部門に通う伯父の家の嫁と再会!した。リウマチを患っていた。そこで実父の両親、つまり父方の祖父母に付いてプライベートを訊いた。以下はその伝聞。この従兄の嫁は今もクリニックで時々会う。七年前には伯父の金庫に残っていた父の死に様のあらゆる書類を譲り受け「戦争の昭和史」で紹介した。戦争の強制性とはこうした事実だ。正義論・理想論を物差しにしたら戦前は全て悪だ。そんな筈はない。

伯父は昭和44年まで歯科医だった。当時は自分で義歯も作る職人肌の歯医者だったらしい。祖父は「小田原警察署」の署長だった。祖父の出身地は今の成田市、千葉県香取郡下総町だった。だが経緯は解らないが神奈川県小田原へ転居したらしい。息子である伯父は歯科医院の書生となって歯科技術を学んだ。大学など出ていないように思う。筆者が二十代の昭和44年に所謂、水銀中毒で死んだ。患者をほったからしにして平塚競輪に通ったというから流行らない歯科医だったに違いない。明治・大正時代の衛生事情からしても祖父母は若死にだった。実父は戦病死、伯母は生まれ故郷の成田市で病死した。今でもここに父系の再従兄弟が住んで居る。

戸籍謄本祖父の死の記述は大正弐年実父もまた父の顔を知らず 平成24年
一寸木といふ屋号の店の娘とぞ祖母も昭和を待てずに死にき 平成24年

一寸木(ちょっき)なる姓は、旧武田家家臣が祖先で小田原市に多い。ここに祖母「はま」が居て祖父と知り合ったのか。ここは定かではない。ともあれ実父はかなりの酒飲みだったらしい。筆者は一滴も飲めない、母も全く飲めなかったから体質は母系だ。喫煙者なのに母系の祖父は94歳まで生きた。母系の祖母は、その先代からの養子。結論として血筋からの体質は、母系の心臓疾患・脳溢血が確実だ? 母親はくも膜下出血だった。これは楽に死ねるかも知れないという“落ち”になった。古文書への興味が増したことは収穫。

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