2015/12/8  22:34

真珠湾攻撃  昭和史
今日は12月08日、76年前、大日本帝国はアメリカ・ハワイ真珠湾を攻撃した。今では簡単に無謀な日米戦争の始まりと言うのは容易い。昨日・今日の日本のメディアでは、これは過去のことなのだろう、報じない。アメリカでは屈辱の日であって、記念式が執り行われていた。

小生は日本語でさえ!ままならないのに、英語のヒアリングは、殆ど困難だが真珠湾攻撃のあとの当時の32代・アメリカ大統領、フランクリン・デラノ・ルーズヴェルトの議会演説でのその出だしの部分だけ記憶がある。
“イエスタディ デッサムバッサム ナインティーン フォーリィワン”と聞こえる。正確にはネットで検索できた。
Yesterday, December 7, 1941 - a date which will live in infamy - the United States of America was suddenly and deliberately attacked by naval and air forces of the Empire of Japan.(昨日、1941年12月7日という日は屈辱のもとに生きる日となるでしょう。この日にアメリカ合衆国は日本帝国の海・空軍の意図的な攻撃に突然さらされたのです。)

極東国際軍事裁判で否定されるまで日本は「騙し討ち」の卑怯な国家だった。今でもそれを信じている人がいる。それも日本人に多い。むろん近・現代史の教育に欠陥があるからである。当時のアメリカは、母国!イギリス・ロンドンがナチスドイツの空襲に晒されていても介入を避けた。モンロー主義と云いアメリカは戦争をしない国だった。だからルーズヴェルトは、明らかに日本の“最初の一発”を待望!して国民世論を誘導したことになる。日本の最初の一発は、シナリオ通りになった。

智謀の限りを尽くして、自国国益のため「日米開戦を誘導した」のは、英国・チャーチル、中国・蒋介石、ソ連・スターリンであるのは詳らかになっている。ルーズヴェルトの父親は中国大陸のアヘン貿易で財を成していたから中国大陸から撤退しない日本に手を拱いていたことも原因。

後付の解釈だが陸軍の機構・組織のことだけしか知らない東條英機が総理大臣だったから、これは致命的だった。国務長官コーデル・ハルは後に「回顧録」で辛辣に指摘している。≪彼(東條英機)は典型的な日本の軍人で、小さい、単純な、一本気の男だった。彼は片意地で我意が強く、バカで勤勉で馬力があった。外務大臣・東郷茂徳は典型的な外務官僚で、外交技術は優秀だが、視野がせまく広い展望は無かった≫仮にも日本の総理大臣、日本人として悲しいことだ。世界を俯瞰できた吉田茂や山本五十六などは遠ざけられていた。その頃“親米”は、とにかく弱虫だった。反米の急先鋒は新聞メディアだったのは、今、復刻版に明らか。戦前戦後に朝日新聞の罪は重い。

真珠湾を攻撃したのは帝国海軍だが、その海軍は、実は日米戦争は大いに懐疑的だった。駐日アメリカ大使ジョセフ・グルーが昭和16年02月の段階で日本の「真珠湾攻撃」情報を入手、打電しているが、アメリカ政府・軍部も「極東の小国」日本がアメリカを攻撃などできるわけはないとグルー情報を相手にしなかった。日米双方とも当初は、日米戦争など考えもしなかったことになる。昭和16年春から秋にかけての日米双方の判断の錯誤が戦争になった。

対米宣戦布告通告の遅れは、アメリカ駐在大使館、日本の外務省、陸海軍軍人或いはアメリカそのものと、今でもその責任論は曖昧模糊としている。責任者出て来い!と言いたい。

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