2017/3/17  19:59

エッセイの昭和02  昭和史
裏窓の風景』(英潮社発行 B6判9ポイント42字×16行×216頁)
著者・外山滋比古は、英文学者・言語学者、大正12年生で現在94歳。著書をウィキペディアで検索すると多分100冊になんなんとする。

殆んどの単行本が、いわゆる“四六判”で、ハードカバー(上製本)にしろ並製本のソフトカバーにしろ、手触り感は手頃で読み易い。寸法は4寸×6寸、127o×188o。全紙は788o×1091oで32面に分割される寸法。これは普通「四六判」と呼称され単行本としては最も多い。全紙を5回折ると32面になる。B6判はやや小さく高さが数ミリ少なく182o×128o。この四六判よりやや大きいのがA5判で、通常の月刊誌の大きさになる。

本書は「英語文学世界」という小冊子の編集後記をまとめたもので1977年・昭和52年発行。見開き2頁がひとつの項目になっていて春夏秋冬・雑に分かれ夫々が20項目、計100点。その中の一つ「都電」は懐かしい。

筆者の私もこの昭和46年頃までは都電を使用していた。今より車の通行は、かなり少なかった。江東区佐賀町、永代橋脇の公団住宅に住んでいた。流しが付いているが、トイレもシャワーも共同の刑務所の独房のような趣だった。これでも申し込む時は、29倍の競争率で、これに当選。筆者の運はこれで使い果たした気がする。この佐賀町から都電に乗り、当時開通したばかりの地下鉄日比谷線の茅場町まで行く。そこからこの地下鉄に乗り換え、秋葉原まで乗る。あとは神田明神下の勤務先まで歩いた。都電が廃止された後の昭和47年からはJR錦糸町から日本橋を経て東京駅までは都バスが運行された。

結局、昭和46年から54年まで、毎日永代橋を越えて戻ったことになる。偶然だが、筆者の戸籍上の兄弟の弟が28歳頃より都バスの運転手。この錦糸町─東京駅間が、ほぼ専門だったらしい。弟の運転する都バスに乗車したことがある。当時は、運転手は国鉄・地下鉄・バスもフリーパスだった。筆者も地下鉄の定期券で都バスに無賃乗車した。ただし弟の運転のバスだけである。もう遙か40数年前のことだから時効だろう。

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