2017/3/18  21:22

エッセイの昭和03  昭和史
日本教の社会学』山本七平・小室直樹 講談社 昭和56年08月発行。
(四六判9ポイント44字×18行×352頁)。
元、植字工の筆者に言わせれば、この本の製版はかなり面倒だった筈。小室直樹の博学は、日本語に多くの片仮名のルビを加えている。当然ルビは4・5ポイント。本文の右側に込め物を除去して甚だ小さい活字を挿入する。目のいい若手でなければこの製版は不可能だったように思う。製版工泣かせだ。以下は巻末の著者紹介を引用。

山本七平(やまもと・しちへい)1921・大正10年生。青山学院卒業。1944年、ルソソ島へ派遣され、第103師団砲兵隊本部付、少尉にて終戦。1947年、帰国。1958年、山本書店創立、1991年・平成03年死去。主な著書に「ある異常体験者の偏見」、「私の中の日本軍」、「日本教について」(文芸春秋)、「聖書の常識」(講談社刊)ほか多数。

小室直樹(こむろ・なおき)1933・昭和08年生。2010年・平成22年死去。京都大学理学部卒業後渡米。ハーバード大学、東大大学院などに通算16年間在籍。物理学、理論経済学、政治学、文化人頬学などの学問をおさめる。主な著書「ソビエト帝国の崩壊」(光文社)、ほか学術論文多数がある。

何といっても山本七平は、イザヤ・ベンダサンというペン・ネームで『日本人とユダヤ人』が300万部を超えるベストラーとなったことで知られる。「日本人は、安全と水はタダだと思っている」は、戦後民主主義の欺瞞を突いた。小室直樹は天才肌の学者だが、奇人と云われる性格が災いして大学教授などがなかなか務まらなかった。東京工業大学特任教授だけは4年間勤務した。『ソビエト帝国の崩壊』は、旧ソビエト連邦崩壊の10年以上前に予測したことで一躍その名を轟かせた。それ以来著書は多数。

ここでは第2章の「戦前日本は軍国主義国家ではない」から所謂「百人斬り」の項目に触れたい。結論としてこれは、戦争を煽ったメディアの戦意高揚のデタラメな記事だった。ただ戦後昭和22年、GHQが二人を逮捕して中国へ送って死刑になった。「百人斬り競争」とは、日中戦争(支那事変)初期、帝国陸軍の野田毅少尉と向井敏明少尉が、日本刀でどちらが早く100人斬るかを競ったとされる行為である。今は、大人しくしている朝日新聞記者・本多勝一とイザヤ・ベンダサンが昭和40年代雑誌「諸君」で激しくやり合った。むろん本多は、朝日の記者で戦前の大日本帝国は“悪の権化”だとの主張。戦前いちばん戦争を煽ったのは朝日新聞なのにである。

ベンダサンこと山本七平は、学徒出陣の幹部候補生だった。戦争最前線、それも砲兵隊を経験した者でなければ解らない山本の指摘は、事実を語っていると思う。それは指揮系統のことだから猶更だ。つまり歩兵砲小隊長(向井)が砲兵隊を離れ、大隊副官(野田)が司令官の傍を離れて個人的な勲功を競うなどということが有り得ないことで、とんでもない軍律違反であることを論破。序に一本の日本刀で一人50人は切れないことを指摘している。でもいったんそんなこともあっただろうとの現在の“全体の空気”は容易に晴れない。

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