2017/3/19  21:25

エッセイの昭和04  昭和史
坂道と雲と』(角川書店、昭和47年発行、四六判・9ポイント43字×18行・320頁)。著者にとっては3冊目の随筆。この本が刊行されたのは昭和47年11月、04月に川端康成が逗子のマンションでガス自殺した。三島由紀夫が割腹自殺したのは昭和45年。川端・三島の自殺を大いに比較している。この年、田中角栄内閣発足、札幌五輪、日本赤軍など列記されるが、この随筆は政治的なものには一切触れていない。小説の舞台の鎌倉、旅、きもの、酒、作庭記など新聞、雑誌に発表した随筆が多数。

『心のふるさとをゆく』44年、『秘すれば花』46年、『風景と慰藉』49年、『夢幻のなか』51年、『日本の庭』52年、『冬の花』55年、『紫匂ひ』56年、などの随筆集があった。いずれも上製本。

立原正秋という純文学・大衆文学、どちらも熟す作家が居た。昭和55年、54歳の若さなのに食道がんで亡くなった。直木賞受賞後、新聞・週刊誌連載など流行作家の仲間入り、その絶頂期の死去なので衝撃的に報道された。「その年の冬」という新聞小説が読売新聞で終了したばかりだったので、読売新聞では社会面に大きな記事になったのを覚えている。添付の本は随筆集。

この作家は、本人は父母共に朝鮮貴族と日本人の日韓混血という触れ込みだったが、これは立原自身の創作で純粋の朝鮮人だったことが今では解っている。1926・大正15年生だから昭和の元号とほぼ同じ。三島由紀夫は大正14年生だったからこれは昭和の元号と年齢が同じだった。

立原は戦前、創氏創名を経験している。日本人女性と戦後、結婚して日本に帰化した。どの本に記されていたか忘れたが、戦前、差別があり希望する高校?に進学できなかったこともあったらしい。大学は、早稲田大学国文科中退。『剣ヶ崎』で芥川賞候補、『白い罌粟』で直木賞受賞。『冬の旅』がベストセラーになり、テレビドラマ化された。昭和40年頃から15年間だが多くの作品を刊行、映画・ドラマ化されたものも多い。

出版社からの借金で鎌倉市の当時は開発中の梶原に邸宅を構えた。中世の日本文学が原点なので、能・陶磁器・日本庭園を好んで自宅も豪華ではないが凝ったものであることが、のちの随筆で解る。その頃なのか、昭和46年頃、友人と鎌倉を散策しているときに鎌倉駅西口で出くわしたことがある。夏だったのか白い和服(浴衣?)着用で編集者を引き連れていた。昼間から顔が赤かった。

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