2017/3/22  20:58

エッセイの昭和06  昭和史
昭和44年・45年、京都・奈良の同じところを日本史愛好会の仲間と旅した。京都南部の浄瑠璃寺・岩船寺、奈良の室生寺・長谷寺だった。当時は、皆20代で若く且つ貧乏!なので、ユースホステルを利用したように思う。このユースホステルが今も存在するのかよく知らない。当時は、旅行社のパック旅など皆無だったので自分たちで計画をたて、新幹線など利用せず、往きは夜行列車に乗り、帰路のみ新幹線の自由席だった。それでも往復の交通手段に草臥れた記憶はない。

この二度の関西旅行で記憶にしっかり残ったのが、室生寺へ行くときの車窓から見た「大野寺の摩崖仏」、浄瑠璃寺近辺の「当尾(とうの)の石仏」群だった。浄瑠璃寺の阿弥陀如来・三重塔、室生寺の金堂・五重塔は、国宝ゆえに歴史の財産で、誰でも圧倒されると思う。だが古都であっても路傍の仏、野ざらしの仏は、それほど印象に残ることは無い。田畑の畦道を歩いたりして見学、素朴ゆえに何がしか記憶の底に残ったものと思う。神奈川県北部から山梨・長野にかけては道祖神が分布、これは幼い頃から馴染みだ。野ざらしゆえに朽ちる運命の石仏・道祖神は、自分の感性に合ったということになる。神仏の違いはあるが。

今では石仏・道祖神関係の書は写真集も含め、案内書もかなり集まってしまい、捨てられなくなった。そこから著書を通して知ったのが、加藤恵(けい)という旅案内・日本史紀行の作家。最近調べたら“ケイ”は、「かおりぐさ」とも読み、紫蘭の別名らしい。加藤恵の本は4冊を数える。「野の道・野の塔・野の仏」(読売新聞社 B6判・上製本、9ポイント×45字×17行×288頁)」は、日本史・仏教・探訪を基にした紀行エッセイの先駆的な著書。他に「日本古代史の旅」(四六判・新人物往来社)、「武蔵野の石仏」(カラーブックス・文庫仕様)、「鎌倉 ブルーガイドブックス、小B6判」がある。

加藤恵氏には年賀状を書き、返礼も頂いた。最近著作は見当たらない。1929年生だから元気で居られるなら80歳代後半。

加藤氏の名前は「恵」の上にくさかんむりが着く。文字化けのため添付の著書の表紙をご覧頂きたい。

月末の仕事、短歌の原稿がどっさり到着。来週までこのブログは休みます。

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