2017/3/29  22:50

エッセイの昭和 番外編  昭和史
その昔、あまり読みもせず多くの書物を購入したのは、印刷の製版の現場、活字の文字を拾う文選、それを組む植字の参考の意味合いが濃かった。むろん小説を読むのが好きなのは、今も昔も同じ。単行本より安価な文庫を多く購入した。だが鉛の活字の文庫本は、当時は8ポイント仕様、文字数は42字前後、左右は16行〜18行。今では売れる作家の重版、新人の作家の書物でも文庫・単行本に関わらず9ポイント仕様。10ポイントはおよそ3. 5o。

いわゆる「菊版」の単行本は、今も昔も少ない。正式には菊版は、全紙の32分割。A5判(月刊誌大)よりやや大きく、B5判(週刊誌大)より小さい。昔、菊版の雑誌があった。至文堂の『解釈と鑑賞』、學燈社の『國文學』。共に月刊誌で国文学を専攻する大学生や専門家が引用する文学専門の学術雑誌だった。共に発行元の出版社は東京都新宿区、この雑誌をいつも求めたのは神田神保町。新宿には早稲田大学があり、神田御茶ノ水は明治大学、中央大学、日本大学があった。前者は2011年、後者は2009年に休刊している。共にインターネットが普及したので需要が少なくなったことを推察する。

解釈と鑑賞』は8ポイント30字×2段組×208頁。今では老眼用(近眼だが)の眼鏡を使用しないと読めない。ここでは印刷・製版の感想を述べて置く。鉛の活字の製版は、あくまで物理的作業だったことにある。それを列記する。

縦横の罫線は亜鉛罫を使用。アルミ罫は1ポイント。通常は5号活字(10. 5ポイント)の8分の1を使用。
表題は模様入りの亜鉛罫を囲みとして使用。鉛だから柔らかく固いものにぶつかると凹んで印刷できなくなった。
鉛の活字のいちばん大きいものは初号(42ポイント)。基本は5号。表題は2号(21ポイント)が多く、これは明朝体では圧倒的に印圧感があった。
ルビ、圏点は職人泣かせ!で国文学にはフリガナが多かった。漢文などは更に面倒で返り点、はみ出しの記号もあった。行間を調節して挿入した。
写真は銅板を使用。銅板は、銅を塩酸?で腐食させて作られたもの。
菊版の製版の原版は縦19p、横12pがあり、ゲラ(木製の箱)に2ページが納められ、210頁なら105枚が必要、鉛は重いから全体の重量は大変なものだった。場所も必要とした。
柔らかい鉛の活字の原版では、鉛の突端は摩滅するから5000枚程度が限度だった。それ以上ものは紙型(原版に特殊な厚紙を載せ模る)を取り、その紙型に溶かした鉛を流し込んで複製した。新聞社は紙型を使って輪転機用の丸みを帯びた複製版を空輸、地方に送った。

コンピュータの発展で以上の製版の作業は全て解決、製版技術は殆ど20年で様変わりして想像だに出来なかった。活版印刷は、今では名刺・葉書のみ?になっている。東銀座に中村活字、昔、入船町にあった築地活版は今も横浜で鉛の活字を販売している。

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