2017/4/19  20:49

お役所仕事  身辺些事
昨年07月、戦没者特別弔慰金の請求書を提出した。昭和20年、34歳で戦病死した実父の弔慰金。この請求は、既に10カ月を経過しているから、そろそろ年間5万円の国債(すぐ現金化は無理だろうと思う)が届くのかと構えていたが、やはり“お役所仕事”だった。市区町村の次の県庁に留まっていた。そこから厚労省・財務省に回り、承認されればそこからすぐに元へ戻ってくる手筈と思っていた。甘かった。

どうもお役所仕事は、つまりは書類主義、戦死した実父は「五男」と戸籍にある。この目で長男の伯父は知っている。この人は昭和44年に死んでいるが、この伯父と2男・3男・4男の伯父・伯母の除籍(死亡の戸籍)謄本が必要との由。つまり弔慰金を貰う資格者が筆者の私だけだということ。

戦死した実父は末っ子でも大正元年生だから今、生きていれば105歳。その兄弟など110歳代だろう。実父の戸籍からも伺えなければ、明治時代末期のこと生後すぐ亡くなって成長したとも思えない。長男の伯父と実父の間に、三人の兄弟があったことなど全くも知らないし名前も知らない。

◇昨年07月揃えた書類
@請求書A請求者本人の戸籍謄本B母親の除籍謄本C戦没者(実父)の戦没記録のある戸籍謄本D請求者と戦没者の関係の解る戸籍謄本Eマイナンバー・住民票F本人確認(免許証)

◇書類の経路
請求書提出→市区町村→神奈川県(戦没者の都道府県・千葉県)→厚生労働省→財務省→厚生労働省→県庁→市区町村→請求者本人の居住する郵便局

徴兵された多くの一般市民は、数カ月の訓練で戦場へ送られ310万人も死んだのだ。例えば昭和19年の「インパール作戦」など指揮して部下を6万人も死なせた「牟田口廉也」などは「陸軍中将」、戦後は多大な軍人恩給を手にした違いない。戦死した者の家族は、現実に多くの苦難を乗り越えて今があるだろうし、無かった者も多い筈。

明日はまた市役所へ行って5人の除籍謄本の請求の按配を訊くことになる。これから5年間、頑張って生きねばならないのはこれも結構タイヘンだ。筆者が早々に死ねばそこで“ジ・エンド”だ。戦死者を父に持つとこれはこれで面倒だ。そんなことは忘れろ、という人も居る。そうはいかないのだ。

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