2017/8/21  22:21

永井荷風  読書
毎日、通勤で東京へ通っていた頃は、まだスマホなど無かった。その頃は、電話、手紙、テレビ、カメラ、ゲーム機、カーナビが同一の機器でできることなど想像できなかった。先日、今では月に一度訪れる東京までの東海道線で見た光景はもう自分が確実に老人になったことを実感した。青年が一台のスマホでは何やらゲームかメールを忙し気に操作している。それに飽きると今度は、もう一台でどうやら文字だけの文章?小説か何かを読んでいるらしい。これでは家の中も外出も関係ない。青年は見た限りでは不細工で高学歴!?には見えない。これはもう付いていけない世界だと思った。

これでは出版不況は確実だ。年に二度の芥川賞・直木賞も作歌の粗製乱造。その一つの作品で終わる作家も出るわけだ。10年くらい前、19歳・21歳で芥川賞を受賞した女性作家!は、その後どうなっているのか。

何が切っ掛けが忘れたが急に純文学のエロスが読みたくなって谷崎潤一郎の新潮文庫を取り寄せたが『鍵』『瘋癲老人日記』は、漢字カタカナ混じり文、とにかく読みにくい。『卍』『蓼喰う虫』は、会話は、関西弁でこれも読みにくい。

この若き谷崎を評価していたのが7歳年長の永井荷風。昭和史の延長で『断腸亭日乗』は、日付によっては読んでいた。「断腸」とは腸が弱かった?という説がある。「日乗」は日記のこと。筆者の生まれた19年06月17日の記述はない。16日には「晴、紫陽花の色漸く濃(こまやか)なり。米国空軍九州を襲う」とある。映画にもなった墨(さんずい+墨)東綺譚(ぼくとうきたん)は、読み易そうだ。永井は、戦前は銀座を戦後は下町の浅草、向島の玉ノ井などをこよなく愛した。

昭和34年、今で云う孤独死だった、79歳。明治40年・1910年には慶応大学教授も務めた。戦後は昭和27年、文化勲章も受賞、芸術院会員にもなった。肌身離さず持っていたカバンには土地の権利書や貯金通帳もあったらしく2300万円もあったという。今の価値では2億円はあったことになる。

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