2019/3/13  21:41

東京大空襲  身辺世相
東日本大震災は「3・11」で通じるようになった。筆者の記憶では、その2日前の3月9日にも大きな地震が宮城県沖にあった気がするが、これは今もメディアで詳しく報道されていない。どうやらこれが生かされた報道はお目に掛かれない。もっと大きな地震が直ぐにあるとは思わなかったのか。

筆者がブログに三度記述したが、もうメディアでは「東京大空襲」は小さな扱いになっている。最初の東京大空襲を記述した翌日、東北大震災は起った。
 2011・03・10「東京大空襲」
 2013・09・13「墨田区石原町」
 2016・03・10「東京大空襲」
又ここで安易だが、これらの記事を要約して三度目の掲載にする。

日米開戦のあと、米軍は大正12年の「関東大震災」を詳しく研究、どうしたら東京市民を大量殺戮出来るかを入念に考えた。B29爆撃機320機、投下爆弾38万発、1783トンでは「木と紙と土」でできた建物の下町は計算通り焦土と化し、効果的だったと云う。広島・長崎の原爆、この大空襲も昭和26年の「サンフランシスコ講和条約」で不問に付された。また“卑怯”の代名詞「日本海軍真珠湾攻撃」は昭和23年の「極東国際軍事裁判」で不問に付されている。後者は、これを追及するとルーズベルトの暗号傍受の経緯が明らかになるからである。政治や官僚の隠蔽は今に始まったことではない。

この大空襲を指揮したカーチス・ルメイ米国陸軍少将は、なぜだか東京オリンピック開催の頃、日本国政府から「勲一等旭日章」を授与された。当時「真珠湾攻撃」に深く関わった源田實航空幕僚長もアメリカから「勲功章」を授与されていて何やら日米双方の軍上層部で取引でもあったのか…。

大空襲でも救世軍のある神田、ニコライ堂、皇居は意図的に避けたとも云われている。外国人が多く居住する箱根・軽井沢も連合国は空襲を避けた。筆者は何度も口にするが、戦争はリアリズム、数字・物理・科学である。「鬼畜米英」「神州不滅」「欲しがりません勝つまでは」などの掛け声は誰でも言える。日本を屈服させるまでは容赦のなかったアメリカ政府、負けた戦争を早く止められれなかった日本政府の罪は重い。犠牲者は庶民だ。

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