2021/3/5  14:30

畏友 追悼15 この花は  身辺些事
このメールは2016年03月19日。畏友の追憶の時代、小生も当然当時56歳、その2年前の平成10年に短歌会に入会した。定年の6年前で「冬雷短歌会」の歌誌は勤務する印刷会社の仕事だった。畏友の家族構成は息子一人、孫三人を知らされていたが、この頃、細君は存命だったのか。畏友の両親のこと、父親の勤務した墨田区の大企業、精工舎の社宅は離れていたと思われるし、両親はどこに住んでいたのかも知らない。当然畏友自身も定年前、両親の面倒も見ていた筈。前回も記述したが“花の名”をよく訊いてきたが、この花を何と解答したのか覚えていない。「3月のピンクの花」で検索を試みた。ハーデンベルギアとあった。黄泉の国でも咲いているのか、訊きたい!?ものだ。

久しぶりです。毎日鴨川へ通勤。今日は雨休み。今は相撲観戦、琴奬菊の綱取り場所…はたして。最後の日本人横綱は確か若乃花だったと記憶。2000年の大阪場所から16年経った。

16年前の自分は…56才。2000年・平成12年は、母が亡くなった年で真ん中の孫の男の子が生まれた年。彼は4月で中3。随分と昔のことだ。愛の伝導活動にも油がのっていた頃。二股で多忙を極めていた。この年は車で下北半島・大間やら伊勢やら黒部なんかへも行って…今は、そんなに無謀なことはスルーしたい。さて、添付の花の名が判らない。庭の持ち主も判らんとのことだ。是非とも調べて連絡をお願いします。それでは また。

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