2021/3/9  9:45

畏友 追悼20 終 浅草  身辺些事
当初のガラケーから始まった畏友・増田邦昭とのメール交換は80回前後に及ぶ。その中から20回に厳選して、主に畏友から送られた画像を中心に徒然日記を構成した。亡くなる5日前の拍手のコメントが最後になった。これは「迷惑メール」(2020・01・26)の記述だが、小生の添付画像はその日の午前中、拙宅の2階の居間から撮影したものだった。年明けから暫くは、北陸は豪雪だが太平洋側は好天が続き、富士山に冠雪は殆どなく“青富士”だった。畏友はその5日後に帰らぬ人になった。驚天動地、茫然自失だった。

≪木更津です。いつも見事な富嶽の姿。羨ましい限りです。木更津からは昔は見えたようだ。富士見通りと言う通り名や富士見町と言う町が今でも残っている。晴れた風の強い日に木更津港から横浜の奥に見える。貴方のブログのような大きな富士の姿はありません。(2021/1/26 9:54)≫

畏友と連絡が密になったのは2014年・平成26年、明けてすぐ、先ずは同窓会で再会する切っ掛けになった墨田区石原の錦糸中学とその校庭の裏側にある級友が営む喫茶店を訪問した。スカイツリーを撮影後、都営地下鉄で浅草へ移動した。中学時代、悪ぶっていた級友が今では真面目な喫茶店のマスター。同行の畏友が中学時代、堅物の読書家の雰囲気だったのだが、今は仕事に恋に知識欲、色欲旺盛なだいぶ破天荒な行動力ある人物に化けていた。

畏友は上記のコメントから5日後、多分、心臓麻痺の突然死だった。2021年01月26日で最後になった。ほぼ毎日ブログの記事を読んでくれ2回に一度はコメントをくれた。平凡な言葉だがこれからは只々寂しい限りだ。

畏友、追悼は20回、今回で終了。電話でのやりとりの中で生き残った方が、先に死んだ方へ墓参する約束だった。暗黙の了解で、筆者の私が当然、先だと思い、墓地と墓碑を知らせておいた。世の中思い通りにはいかない典型だ。遺児に問い合わせをするが、納骨が終了したら千葉県市川市の墓地へ墓参する。友よ!待たれよ!

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