2009/1/30  20:24

ドナルド・キーン  日本史
昨年秋にアメリカ国籍でありながら「文化勲章」を受章したのがドナルド・キーン。文学者・評論家である。阿部公房・三島由紀夫・川端康成・谷崎潤一郎、司馬遼太郎などの作家と交友があった。1922年(大正11年)生まれである。むろん日本語はぺらぺら。

昭和47年に司馬遼太郎と対談した「日本人の戦争観」は読み応えがあり何度も読んでいる。「司馬遼太郎対談選集5 日本文明のかたち」(文春文庫)今年平成21年2月号の「文学界」の「作家の日記を読む」は緻密な評論である。むろんハワイ真珠湾攻撃の時代、昭和16年の日記。永井荷風を除けば文学者の大方は万々歳だった。

結論として「日米開戦」は、当時の世論が後押しをしたのが偽りのない事実。軍国主義者の所為といって片づけるのは誤りだと思う。だからといって軍人の戦争責任は明確でいささかも逃れられない。アメリカと戦争をして負けるのが一番判っていたのも軍人だからである。判っていなかったのがメディアと庶民だった。


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2009/1/28  21:30

長州・薩摩  日本史
近代史ことに「昭和史」前半の本を読んでいると、存外長州・薩摩という記述にぶつかる。幕末なら桂小五郎や大久保利通など長州・薩摩のいわば武家社会の下級武士が活躍して明治維新がなった。昭和前半を凌駕した陸軍は大村益次郎、海軍は勝海舟が創設者である。

だが太平洋戦争の開戦や終戦にも軍人の長州・薩摩、山口県、鹿児島県出身者が関わっている。それがなぜかは幕末・明治維新の諸事情にまでさかのぼることが可能のように思う。司馬遼太郎の著作は「関ヶ原」「城塞」「この国のかたち」などは熟読したつもりだ。そこで「長州の人間のことを書きたいと思う」で始まる添付の本を読み始めた次第。今は3巻目である。

因みに日米開戦の引き金となった「日独伊三国同盟」の推進者は松岡洋右という山口県出身の外交官。岸信介・佐藤栄作兄弟の義理の伯父である。昭和16年8月の「南部仏印進駐」の張本人も石川信吾という大本営(戦争作戦部)海軍の軍人だった。

今、思えばこの「南部仏印進駐」が日米開戦の決定的転機にほかならない。

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2009/1/26  14:47

新パソコン2  パソコン
ウインドウズビスタを購入したが、XPより多機能になっているので手こずっている。しかし今日から3日間は文字入力の仕事でしばし休憩。

「ワード」も「電子メール」も文書作成が多機能でアイコンも複雑になっている。さらに「エクセル」を覚えればいろいろな文書が素人でも作れる。中小の印刷会社が要らなくなるわけである。

なおオリンパスのXDカードは、カードリーダーが無くてもXD・SDカードの取り込み口が付属していた。これで1つ問題は解決したが、一昨年鎌倉・長谷寺の源氏池に池ポチャしたオリンパスSP550UZのスイッチが一度で開かなくなってきた。これも修理するかどうか難問である。新パソコンの地上デジタル録画もこれから。

今までのXPも今度のビスタもNTTのルーターへ接続。双方が使い分けられる。添付のその名も「スゴイケーブル」で新旧パソコンのUSB端子を使用、データ移送が実に簡単。スムーズにデータの移送ができた。画像の微妙な曲りなどはXPのフォトショップで直し、JPEGでビスタへ送る。どんどん技術は進歩しているのが実感。

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2009/1/24  13:28

ブルートレイン  身辺些事
昨日は年2回、数十年に及ぶ歴史の好きな仲間との新年会だった。いつもは7、8人の参加だが今回は昨年、奈良・京都へ行った4人だけだった。

数年前から会の名を「青甍会(せいぼうかい)」と名付けた。由来は往年の大演歌歌手・三橋美智也の「古城」の「甍は青く苔むして─」からきている。今年も5月の3週目の土日に奈良・京都に決定。京都・広隆寺と奈良・中宮寺の弥勒菩薩拝観が中心になる。

久し振りに東京駅へ来たらアマチュアのカメラマンが大勢いた。なにごとか聞いたら3月で廃止される特急「はやぶさ・富士」、九州熊本行きの、いわゆるブルートレインがお目当てある。小生もこれで平成5年、九州の国東半島・臼杵へ石仏を見に行ったことがある。帰途は別府からホバークラフトで大分空港だった。国東・臼杵はデジカメ画像が無いのでまた行きたい。

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2009/1/20  21:12

新パソコン  パソコン
新パソコンを導入。ウインドウズXPは購入して5年、最近時々マシンが唸りをあげる。故障しないうちに導入した。ついでに物置にあった昔のウインドウズ98を引き取ってもらった。新パソコンはNECのウインドウズビスタ、3ヶ月前、20万円だったものが今は15万円。多分パソコンはこれが最後となるだろう。

それほどウインドウズの戦略には乗れない。おいおい報告するが、右側がXPのバイオ。左がNECのビスタ。どちらもルーターからモジュラーケーブルで使用可能。フォトショップエレメンツは電器店が間違え、ムービー専用のソフトだったので取替えに行った。だがエレメンツはフォトショップからすれば性能が遥かに落ちる。画像の微妙な曲りは直せない。当分は併用となる。右上のプリンタはB4用紙が印刷可能。2年ぶりに使用したら色が大分ずれていた。但し顔料系なので光沢写真はよくない。昨日・今日は双方使用するのにインストール・移動・整備でくたびれた。
この投稿はまだバイオから。

NECバリュースター(マイクロソフト2007・地上デジタル対応)
・アドビフォトショップエレメンツ
・デジカメdeプリント9
・ホームページビルダー13
・カードリーダー(デジカメ取込ソフト)
・XP→ビスタ移動(SUGOI CABLE)ケーブル
で185000円。

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2009/1/18  18:04

横浜・関内  日本史
所用があって横浜の関内へ行って来た。横浜からJR根岸線で二つ目。正式には「関内」という地名はない。幕末、横浜に設置された開港場の区域を「関内」と呼んだことに由来するという。関内の駅前の横浜市役所は、中区港町、南に歩いて「横浜市開港記念館」は中区本町である。手前の桜木町には「みなとみらい」「ランドマークタワー」が近い。南隣の石川町には「元町商店街」「横浜中華街」「港が見える丘公園」「山下公園」がある。古い西洋館などあって散策にはもってこいである。

今年は、日米修好通商条約(安政の五カ国条約・1859(安政5年)年)から150年でいろいろ催事があるらしい。関内は、古くからの観光地が多く、神奈川県庁舎、横浜市役所、神奈川県警など官公庁や企業が集まる、横浜の中心地である。

添付は「横浜市開港記念館」すぐ横が「神奈川県庁」、その先は横浜港。

自分のHPに「横浜散歩」の頁を作成しようと思う。取りあえずは石川町から近い「山手地区」の西洋館などを探訪したい。

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2009/1/16  21:28

丹沢山  日本史
小生の家の近辺から、空気の冷たい今頃見えるのは富士山ばかりではない。「日本百名山」にも選定されている丹沢山も見える。

深田久弥(ふかだきゅうや、1903─1971)は、戦後、登山仲間の小林秀雄からの助言で山の文章中心の執筆活動を行う。昭和34年─38年に発表した『日本百名山』は高く評価され、日本山岳会の副会長にも就任した。100の選定は高さだけでないらしい。山の品格、歴史、個性が加味されたという。なにしろ長野県を中心に2000メートル級の山は夥しい。その選定は全山、自分が登ったからか説得力があり定着している。

1000メートル以下の名山は筑波山、鹿児島の開聞岳。丹沢山も低い順番に近い。深田は山岳信仰を十分に加味したといえる。新潮文庫の『日本百名山』は私が所持しているくらいだから版を重ねている。

丹沢山は1673メートル。撮影したのは近くの高台から。手前は東海大学。冠雪のある真ん中か、右側の山かはよくわからない。10年以上も前、BS放送で100名山、一つの山が10分の放送で全て録画してある。語りは今は亡き相川浩アナウンサー。

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2009/1/12  17:48

江東区豊洲  身辺些事
昨日第二日曜日は、短歌会の例会で江東区豊洲まで出掛けた。往復4時間である。昔は20数年、平塚・東京間を往復4時間の通勤だったが、定年になった途端その反動が来た。自律神経失調症で、不整脈・多汗症・胃腸障害・不眠症・筋力低下など散々である。だが服薬が効いたか、今は持ち直した。

20数年以前は、江東区亀戸や深川佐賀町の公団住宅に住んでいた。江戸時代は池波正太郎の「剣客商売」「鬼平犯科帳」の舞台である。江東区豊洲などは当然、江戸時代は海の中。今はどんどん東京湾は埋め立てられ、固められ、高層マンションが林立。池波正太郎が生きていたら古き良き江戸の面影はどんどん失われていて、大いに嘆いているだろう。

実在の人物だった長谷川平蔵が「人足寄場」として罪人の更生施設を作ったのが今の佃・月島あたりだと思う。戦後復興のシンボルでもあった「石川島播磨重工」という造船会社ももう無い。

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2009/1/10  18:11

私の戦争論  昭和史
明日11日は第2日曜日で所属結社の本年最初の歌会なのでブログはお休みします。今では月一回の上京となっている。

自分のHPで『私の戦争論』など大仰に父親の戦死を追及しているつもりだが、ちくま文庫に「私の戦争論」があって2年ほど前に購入、再読、今は三読している。

吉本隆明は、戦後思想界の巨人と言われ古今東西の本を読破したすごい言論人だと思う。その著書は難解である。60年安保の思想的リーダーで左翼と思われがちだが、左右の決まりきった?イデオロギーをコテンコテンにこき下ろしている。皇国少年だった吉本が立ち直るのに5年はかかったと正直に告白している。隠れたファンが多いらしいが、「吉本ばなな」の父親といった方が判りやすい。

吉本隆明は左翼だか保守だかわからない超のつく知識を持つと思われる。政治・歴史・宗教など多岐にわたる。その言論・思想の基礎が、昭和20年8月15日の「太平洋・大東亜戦争」の敗戦だったのは間違いない。吉本は当時20歳である。吉本は天皇制以前の縄文時代にも言及する。「天皇」を生き神様信仰と論ずるのはイデオロギーを超えて多分に正しいようにも思う。

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2009/1/9  20:54

直江兼続  読書
HHKの大河ドラマは今年は「直江兼続」、便乗組の「歴史街道」を買った。どのような武将だったか知るには手っ取り早い。

一言で言えば私の好きな歴史上の人物である。謀略をつくして天下を取った徳川家康は勝れた武将であっても到底好きにはなれない。「義」に生きたこの直江兼続・真田幸村・石田三成など愚直な武将を私は好む。

ドラマの後半になるのだろうが、「関ヶ原の戦い」は天正5年(1600)9月15日に西軍が一日で敗れている。直江兼続がこれを知ったのは10月下旬だという。歴史の表には現れないが、いわば唯一通信手段であったと思う、草の者・忍者の戦いが陰であったに違いない。電話・飛行機・電車などなくても、当時の会津と岐阜の距離で1ヶ月以上の音信不通はあきらかにおかしいのは素人でも解かる。

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