2009/2/27  20:39

二・二六事件  昭和史
今日はこの冬いちばんの寒さで東京には雪が散らついたらしい。

昨日は2月26日、いわゆる二・二六事件のあった日である。3年前の平成18年、昭和だと81年で70年の節目にあたり、保守的と思われる「産経新聞」でやっとわずかな特集があった。

1936年、昭和11年2月26日のこの日、雪の積もった東京・永田町の首相官邸・警視庁などに陸軍の青年将校1300人が踏み込んだ。斎藤実(まこと)内大臣・高橋是清大蔵大臣など3人の閣僚が惨殺された。昭和維新を掲げたクーデターだった。

首相官邸近くで女中奉公をしていた私の伯母ももう居ない。今ではもうTV・大新聞などは取り上げない。当時、何だか判らないが動員を命令された「柳家小さん」など新兵が20歳としても、90歳を超えている。陸軍はこの時からいわゆる「皇道派」が斥けられ「統制派」が実権を握り、誰にも耳を貸さなくなるのである。皇道派の若手将校はそそのかされたのが実情と思う。

3人の閣僚の惨殺と記したが岡田啓介総理大臣は官邸の「女中部屋」に隠れていて難を逃れた。中公文庫の下記の書は本人が詳しく語っている。首謀者の一人、栗原安秀陸軍中尉は押入れに隠れているのが首相であることを知っていて知らぬ素振りだったという。むろん鎮圧のあと栗原は銃殺刑。

栗原安秀の幼馴染が歌人の斎藤史。首相と間違われて銃殺されたのが予備役の松尾伝蔵陸軍大佐。松尾は岡田の妹が夫人。松尾の娘婿が瀬島龍三。岡田の娘婿が迫水久常

わが子同様に乳母として昭和天皇を育てたのが終戦時の総理大臣・鈴木貫太郎夫妻。その当時、重臣の鈴木貫太郎海軍大将が襲われたのだから昭和天皇の怒りに触れるはずだ。東北の農民が当時飢餓に苦しんでいたにしてもである。

このあと東條英機など「統制派」の軍人が統帥権を盾に日本を戦争に導いていくと言って過言でない。つまりテロへの脅えが官民を支配してゆくのだと思う。蛇足ながら前年、昭和10年、相沢三郎事件があった。帝国陸軍の逸材と云われた永田鉄山が白昼惨殺された。「永田鉄山ありせば日米開戦」など無かった、とはA級戦犯の鈴木貞一の戦後の発言である。

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2009/2/25  19:34

巨木・巨樹  日本史
私の参加している短歌会の女性の友人は、私を「巨兄さん」という。

これは多分に私が巨大な心をもつ偉大な人間だと思うからであろう!間違っても私が、歌の数首に「巨木」や「古木」と表現したからではない?

坂東三十三観音霊場の寺にはまさに、巨木というより巨樹にふさわしい樹木が多い。銀杏に限って言えば、

 05番 勝福寺(神奈川県小田原市)
 08番 星谷寺(神奈川県座間市)
 10番 正法寺(埼玉県東松山市)
 29番 千葉寺(千葉県千葉市)

私の勝手な想像だが、銀杏が大木になるので昔は歩いて行くしかない寺の目印の意味なのかも知れない。

源実朝が甥の「公暁」に刺殺されて源氏一族が絶えたのは鎌倉鶴岡八幡宮である。本殿への石段脇に巨樹がある。そこに隠れていたというのが伝説か、事実か。当時は巨木で無かった筈。坂東三十三観音霊場成立は、源氏政権の後ろ盾が大きい。権力や文化の関東への意図的・政治的に移行を目論んだとも云えるのか…。

添付は10番岩殿山正法寺。

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2009/2/23  14:16

東京湾フェリー  旅行
先日17・18日の「南房総の旅」をページアップ。72回目の更新。ページの容量が徐々に増えているので更新はやはり月一回のペースで行きたい。100MBを超えるのはどうするか研究中。

先日のバス旅は帰路、金谷─久里浜フェリーを利用した。甲板からスナック菓子を放るとカモメが追いかけて来てうまくキャッチする。いつも感心することとして東京湾を南北に航行する船とはうまい具合に交差できるマニュアルがあるのだろう。それにしても航行する船は多い。

HPを見たらフェリーに替えて、富津・横須賀を東京湾口横断の橋およびトンネルの構想があるらしい。「海ほたる」建設の費用は返済し終わっているのか。フェリーで十分と思うが…。フェリーにカモメが追いかけてくる情緒は残したいものだ。何か害があるのなら別だが。画像はカタログより。

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2009/2/21  15:08

南房総の旅U・晩白柚  旅行
同級生のおばちゃんグループの旅行会「南房総・鴨川温泉の旅」第二弾。初日、昼食の次に参拝したのが「小湊山誕生寺」。日蓮宗の宗祖・日蓮誕生の地。この小湊山誕生寺の謂われは省略。

境内に隣接する土産物店で夏ミカンよりさらに大きい柑橘類らしきものが売られていた。今はインターネットで調べればすぐ解る。熊本県特産で「晩白柚」は「ばんぺいゆ」と読むという。以下HPから。

晩白柚は、一般に知られる赤い実のザボン(白柚)の一種で、その実は淡い黄緑色です。柑橘類の中では最大級で、直径は20〜25p、重量は1.5`〜2.5`。重いものになると、3`を優に越える。原産地は、マレ−半島。白柚より完熟期が遅いことから、晩生白柚⇒晩白柚と命名された。 

発見者は、当時の台湾の農業技手で植物研究家の島田弥市(しまだやいち)。「晩白柚の父」と称えられる島田は熊本県八代郡東陽村の出身。同村を全国有数のショウガ産地にして「ショウガの父」としても知られ「ポンカン博士」としても有名。

熊本県の特産物がなぜ房総半島で売られているかは解らない。なお一個千円弱はするらしい。

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2009/2/19  18:43

房総半島の旅  旅行
2月17・18日、小学校の同級生のおばちゃん(当然、私はおじさん)主催のバス旅行に参加した。名前はフレンド旅行会

おばちゃんは姉御肌なので人がよく集まる。何と今年で30年目、しかも年3回である。更に今回は30年記念でバス2台、合計71人の参加。通常はバス1台で、旅行社・バス会社・ドライバー・ガイドさんも同じ。面倒見のいいおばちゃんなのでバス1台ではすぐ満杯になる。ここ2年はお呼びが掛からなかった訳である。

今回は東名高速から横浜・川崎を通り「海ほたる」経由で君津、小湊山誕生寺、鴨川温泉泊。翌日は房総半島の先端・野島崎、帰路は東京湾横断フェリー。横浜・横須賀道路から東名へ。行きも帰りも定番の海老名SAに寄る。“メロンパン”で夙に有名。

現在ページにするかブログで終わるか思案中。画像は帰路のフェリーから。放り投げたスナック菓子をキャッチしようとするカモメの群。一眼レフだと飛ぶカモメもまずまず映るが、差し出すスナック菓子をキャッチする瞬間はゲットできなかった。

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2009/2/16  15:48

水琴窟  日本史
近くにある「坂東三十三観音霊場七番・光明寺」に水琴窟(すいきんくつ)ができた。ウィキペディアで調べると、日本庭園の装飾の一つで、水滴により琴のような音を発生する仕掛けとある。以下はその説明。

構造としては底に小さな穴の開いた瓶が逆さに伏せた状態で土中に埋められており、底は水が溜まるように粘土などで固められている。上には一般的に手水鉢(ちょうずばち)が置かれており、そこから流れ落ちる水が瓶の穴を通して滴り落ちるようになっている。その時の音が瓶の中で反響し琴の音のような音となる。伝統的な水琴窟は茶室前の蹲踞(つくばい)に併設されることが多い。

明日から二日間幼馴染のおばちゃんのご命令!によりバス旅に参加します。

17日、東名から保土ヶ谷、川崎、アクアラインで千葉県へ。鴨川温泉泊、翌日は、野島崎散歩。帰途は浜金谷からフェリー乗車。おばちゃん達はたくましい。宴会では食べる、飲む、歌う、踊る、買い物旺盛。

17日・18日はブログはお休みです。

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2009/2/13  17:39

坂東三十三観音めぐり  日本史
平成18年春から始めたHPのページを作るための「坂東三十三観音霊場めぐり」の作成が終わった。9日から4日間を要した。ただし各お寺の朱印と簡単な案内及び撮影した画像のページである。

それぞれの寺の歴史や訪問記は未完成な部分が多い。いずれ自分の勉強と興味を兼ねて文章は推敲する予定。

目次と最後の33番・那古寺のページに参詣・訪問の期日を記した。添付は神奈川県厚木市の6番・飯山観音。

後は丁寧な参詣には「お礼参り」として長野市の善光寺、上田市の北向観音へ行くことになる。「お礼参り」は、あぶない世界の言葉ではない。

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2009/2/11  17:55

笠森観音  日本史
昨年11月19日、思い立ったら気持ちが萎えないうちに坂東三十三観音の残り3か所を日帰りで行って来た。撮影と朱印のためだ。

今日33カ所の画像処理が終わった。一寺院3点の画像でも100点の画像だ。多分容量も増える。今日からページの作成。

千葉県は広く3か所でも一日掛かりだった。3度目でも道順は記憶も薄れている。最後の館山市の那古観音では猛烈な季節風。浜金谷から久里浜へのフェリーも欠航だった。笠森観音の寺院は「崖造り」という京都・清水寺と同じ。高さ30メートル、階段は70余段。傾斜45度である。国の重要文化財。33カ所の中でも堂宇は最も優美だと思う。

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2009/2/9  22:36

今日の散歩道  散歩道
明日は三月の陽気だそうだが、今日は肌寒かった。今日の散歩は自分にしては速歩だった。散歩というよりは運動である。1時間半で10222歩。今日は西のコース。

東海大学の校舎を左に見て進み、開発が急ピッチの北金目界隈を進む。昔の整備されていない集落と縦横のはっきり区画整理された集落の道を進む。やはり2月・3月は公共工事が多いのか。方々工事だらけ。

水仙は2月の花なのか。各家の庭に咲き始めた。これは東海大学湘南校舎・学生向け駐車場の土手に咲いていた。

ようやく新パソコンのフォトショップエレメンツに慣れてきた画像。微妙な曲り以外はこのソフトで十分対応する。今XPのマシンで坂東三十三観音の画像整理中。二月半ばには三十三観音の全画像の整理を終えたい。

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2009/2/7  23:03

黒澤明映画  日本史
昨年、黒澤明没後10年ということで、全30作の放送があった。放送は先ごろ全作品の放送が終わった。そのアンコール放送の第1位が今日、放送されている。

【5位】2月2日(月) 「天国と地獄」昭和38年(1963)
【4位】2月3日(火) 「生きる」昭和27年(1952)
【3位】2月4日(水) 「用心棒」昭和36年(1961)
【2位】2月5日(木) 「赤ひげ」昭和40年(1965)
【1位】2月7日(土) 「七人の侍」昭和29年(1954)

私の好きな黒澤明映画は全国投票と大体同じだ。私の順位は次の通り。

1 「七人の侍」  この映画を超える映画は現れない。
2 「天国と地獄」 私が18歳のとき観覧。以後最も優れたサスペンス映画だと思う。
3 「赤ひげ」   全役者が個性的でいい。映画音楽作曲家・佐藤勝の最高の音楽。
4 「生きる」   志村喬が長生きしたら文化勲章間違いない。
5 「椿三十郎」  赤ひげまではモノクロ画面だが赤・白の椿が想起される。

これらはすべて10数回は観ている。

添付は昭和21年、原節子主演の「わが青春に悔いなし」
平成11年「サライ3号」P35より。

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