2009/4/30  20:23

ワープロ・書院  身辺些事
昨日夕刻、文字入力の仕事が終わった。ワープロで打ったものをMSDOSに変換、パソコンのXPにフロッピーディスクで取り込む。その名もSUGOIケーブルでビスタへワンタッチ。電子メールで所属短歌会の代表・編集長へ送る。

いまだにワープロを使うのは文字入力が楽だからである。ワープロは「麻生太郎」とキイを打てば、次は暫くの間「A」を打てば「麻生太郎」が出るのである。また旧仮名の「」も「」も出易い。「居る」は「ゐる」、「入る」は「いる」の区別が合理的。

「シクラメンのかほり」は明らかな間違い。旧仮名では「かをり」新仮名では「かおり」が正しい。小椋佳は間違いを正そうとしない。東大法学部出身の方は、しもじもの意見を無視するのは昔から…。いい曲を作っているのに、「佳」を「桂」としたら気分が悪いだろうに…。因みに「顔・尚」は「かほ・なほ」となる。小椋は「古文」の成績が悪かったに違いない、私と同じで…。閑話休題。

平成11年、このシャープのワープロは、定価が28万円を18万円で購入。十分に使いこなしたのでそろそろパンクしても仕方無い。印字ヘッドの部品もないので印刷はできない。キーボードも磨滅して「A」「S」などはVHSのラベルを貼ってある。

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2009/4/26  20:12

黄金週間  身辺世相
昨日より世の中はゴールデンウイーク・黄金週間が始まったという。会社によっては16連休もあるらしい。筆者も黄金週間は正月休みと共にサラリーマン時代は楽しみだった。会社に行かなくていいからである。だが今は毎日が日曜日で黄金週間である。

筆者の場合、勤務体制は、毎朝05時50分に家を出る。バスは05時55分始発である。JRは平塚発06時34分。東京駅まで65分、会社は印刷会社の現場なので08時00分まで入る。つまり通勤時間は往復4時間強であった。この通勤から解放された途端、自律神経がおかしくなった。平成17年夏の多汗症状から始まって、不整脈・耳鳴り・消化器障害・不眠症と散々である。何とか服薬とウォーキングで身体をもたせている。

毎日が黄金週間はこれはこれでいいが、小企業の退職後はみっともないくらい年金は安い。そこから源泉徴収があり、住民税・固定資産税は厳しく取り立てられ今度は、介護保険徴収が待っている。「お代官様、おねげえだ。勘弁してくだせえ」といいたいくらいだ。むろん公務員のようにべらぼうな退職金・年金などない。

筆者は天の邪鬼である。早く衆議院議員選挙が行われ、政権が代わってほしい。自分たちの共済年金は手をつけず、サラリーマンの厚生年金を食い荒らす高級官僚、庶民の郵便預金・簡保などを食い荒らす特殊法人を一刻も早く失くしてほしい。形式犯にすぎない小沢一郎代表の秘書逮捕は、法務官僚の体制擁護と思うのは筆者の錯覚か邪念か!?

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2009/4/24  19:51

美の壺  映画TV
NHK教育TVに「美の壺」という番組がある。番組は続くのだがナビゲーターが、谷啓から草刈正雄に代わってしまった。

昭和40年代からコメディアングループとしてクレージーキャッツが割と好きであった。銀座アシベ?に当時としては高額の500円のコーヒーを飲んでクレージーキャッツを観に行った。母親と妹を同道したこともある。植木等もいいが、私は「谷啓」が好きだった。むろんダニー・ケイをもじった芸名だった。ジャズマンとしてトロンボーンの名手でもある。

谷啓のひょうひょうとした「美の案内」が好きで地上デジタルでかなりの本数を録画した。一回25分の番組だが私の好みだった。京都・奈良・信州・沖縄などは50分番組もあった。谷啓が降りた以上、もう録画することもない。

ついでに言えば「新日曜美術館」の「壇ふみ」も交代となった。また一年くらいしたら復活してほしいし、他の番組にレギュラーとして登場することを願う。壇ふみの場合、その和服姿にメロメロだったにすぎないかも知れぬがこれも相当録画してある。

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2009/4/22  20:44

テニアン島  昭和史
今日、「テニアン島」と言ったら何を連想、想起するのだろうか。

筆者は相変わらず、へたくそな短歌を毎月10首、こねまわしているがちっとも進歩はない。今は「太平洋・大東亜戦争とは何か」を自分に課しているので短歌を詳しく勉強している暇はない。それではいけないのだが、勉強しても詩歌の感性は無いので自信もない。

歌壇に「憲法9条を守る歌人の会」なるものがあるという。内容を知らないので軽々に何か批判するわけにもいかない。だが、歌人に限らず今、多くの日本人は余程のことがない限りすぐに「テニアン島」と言っても思い浮かばないに違いない。サイパンは知っていてもテニアンまでは思いが及ばないのではないか。筆者はいささか戦争関連の本を読んでいるので多少の知識はあった。

先頃HPでお付き合いをいただいている関西の方から、こういう方が居られるとメールをいただき、長崎の方からCD-ROMの提供を受けた。詳しくはページを興そうと考えているが、昭和19年7月、筆者がこの世に生を享けて2週間経った頃、テニアン島の日本軍守備隊は97%が玉砕したと云う。10,000人の日本兵は300人しか助からなかった悲劇の島である。

因みに昭和20年8月、この島から「広島」「長崎」へ原爆投下のB29が飛び立った。

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2009/4/20  19:29

東條英機  昭和史
連想ゲームのようで申し訳ないが、二日前の新東宝映画で思い出したことがある。昭和32年、まだ映画がモノクロ主流のころ「総天然色シネマスコープ」で「明治天皇と日露大戦争」という映画が上映された。明治天皇を演じたのは鞍馬天狗でお馴染みの嵐寛寿郎。

公開されるや空前絶後の記録的な大ヒット映画となった。観客動員数は2,000万人、日本人の5人に1人が見たと言われ、日本の映画興業史上の大記録を打ち立てた。興行収入5億7千万円は、封切映画の入場料150円の時代の大記録である。新東宝の上映館は数なく、松竹に依頼して上映館を増やしたが、上映した全ての映画館はすし詰めの超満員となった。この頃が新東宝の全盛だったような気がする。

嵐寛寿郎はそのあと「大東亜戦争と国際裁判」では東條英機も演じている。昨年暮にはTBS「日米開戦と東條英機」で、ビートたけしが東條英機を演じた。

今、丁度拙論「私の戦争論」では東條英機をめぐる24人の軍人と政治家を制作中。嘘は書けないので多量の参考書と首っ引きである。このページは「フリー百科事典・ウィキペディア」を参照させていただいた。

添付は何の脈絡もないが近所の家のモッコウバラ。

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2009/4/18  21:22

新東宝  昭和史
二日前の「愛染かつら」<吉田輝雄>の書き込みで思い出したことがある。私の10代、昭和30年代は日本映画が全盛、歌は演歌だった。

映画会社は5社協定というのがあって、それぞれの契約している主演級の俳優は他社に出演できなかった。思いつくまま記してみると、

東宝 三船敏郎・原 節子・森繁久弥・高峰秀子
松竹 鶴田浩二・岸 恵子・佐田啓二・嵯峨美智子
東映 中村錦之助・佐久間良子・大川橋蔵・三田佳子
日活 石原裕次郎・吉永小百合・小林 旭・浅丘ルリ子
大映 市川雷蔵・山本富士子・勝新太郎・若尾文子

趣味・嗜好の先が読めなかったのか、時代の趨勢か、日活・大映はもう無い。だが映画の全盛時代、ワンマン放漫経営で昭和36年に倒産した映画会社が6社目の「新東宝」だった。詳しい経緯は省くが昔「新東宝」所属だった俳優が今も活躍している。

先頃亡くなったが丹波哲郎をはじめ、菅原文太、宇津井健、大空まゆみ、高島忠夫、池内淳子などが新東宝出身。吉田輝雄は倒産寸前売れ出した「ハンサムタワーズ」の一人。菅原文太もそのひとり。

添付は向い家の藤。

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2009/4/16  17:08

愛染かつら  昭和史
先週、土曜日、善光寺へのバス旅は最初に上田市・別所温泉にある「北向観音」に詣でた。善光寺に対して北向の観音。正式には北向山常楽寺、天台宗の寺院。通称名の由来は、通常寺院は南に向いているが、ここは北に向いているからとの由。

この寺の境内には、通称「愛染かつら」がある。カツラの木は本堂の正面、北側に立っており、立地のわりには樹勢は旺盛。「愛染かつら」とは昭和10年、第一回・直木賞を受賞した川口松太郎の『愛染かつら』によるといわれており今でも縁結びの霊木として親しまれている。樹齢300年、樹高24m、根元の樹囲は6m弱。

この樹木の下で病院経営者の医師と子持ちの看護師(婦)が愛を誓い合う。看護婦は「高石かつ枝」医師は「津村浩三」、戦前・戦後に3回映画化される。

昭和13年 田中 絹代 上原  謙
昭和29年 京 マチ子 鶴田 浩二
昭和37年 岡田茉莉子 吉田 輝雄

昭和37年、日本映画全盛のころ観にいった記憶がある。この年、職場の同僚が定時制高校の修学旅行に行かなかったばかりに「三河島列車事故」で死んだ。筆者も定時制高校の担当教師と齟齬があり、休学を申し出たのに退学にされてしまった。あまりいい思い出はない。

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2009/4/14  13:31

善光寺大僧正  観音霊場
4月11日の「善光寺参り」は「坂東三十三箇所観音霊場めぐり」の御礼参りだった。迷える衆生の筆者だが今回は単に北向観音・善光寺の朱印をいただくことのみが目的だった。

実は善光寺の詳しい歴史や経緯を知らなかった。開山は642年というから<ムシゴヒキ645>「大化の改新」の前で元号のない聖徳太子の時代だ。本来は無宗派であるが実際は「天台宗大勧進」「浄土宗大本願」という本坊があり、二宗教の運営で成り立っている。また本来は尼僧寺院でもある。開山が聖徳太子の妃で蘇我馬子の娘の「尊光上人」であるという。

現在の大僧正は、第121世・鷹司誓玉師。「鷹司家」と言えば「近衛家」などと共に昔の五摂家のひとつ、天皇を補佐する家柄である。鷹司誓玉善光寺大僧正は昭和4年生、全日本仏教婦人連盟名誉会長。

紫の法衣は宮中から勅許されたもので大僧正しか着られない。「お数珠頂戴」は大僧正から数珠で頭にふれて貰うと功徳があるという。「撮影しないでください」というのに撮影してしまった。これでは宝くじの当たる功徳もない。

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2009/4/12  23:40

善光寺御礼参り  観音霊場
今日は第2日曜日、江東区豊洲で歌会があった。午前中は昨日の疲労で就寝。午後3時に会場到着。

昨日は日帰りバス旅で「善光寺・北向観音」へ行って来た。善光寺は今、善男善女で混雑している。私の場合は「坂東三十三観音巡り満願」の御礼参りである。御礼参りとは本来は危ない社会の言葉ではない。

11日朝7時、平塚出発、北向観音は13時着、善光寺へは長野市内の渋滞で何と15時50分到着、出発は17時30分、自宅帰着は23時30分。本尊御開帳で善光寺はたいへんな混雑だった。中庭の“回向柱”へ触るのでさえ一時間待ちの行列だった。善光寺参拝はページを起こすか検討中。

画像は上田市・北向観音から見た浅間山、ほのかに噴煙が見える。

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2009/4/8  17:28

桜まつり  散歩道
日本列島、どこにも桜の名所がある。小生の隠棲する平塚市にも「金目川土手桜並木」があり、日曜日に「桜まつり」があった。当市は女性市長だがお出ましがあった。添付は「金目観音」境内。

自分の生まれた集落は今日、4月8日がいわゆる「お宮さん」の祭りだった。鎮守の森には「熊野神社」がある。しかし最近は催事をきかない。都市化のせいかも知れない。

もう後期高齢者にしか記憶はないだろうが、66年前、昭和18年04月18日に、連合艦隊司令官・山本五十六が戦死した日である。今、愚かな戦争をした軍部とは何かを性懲りもなく調べている。

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