2009/4/2  20:50

未知の方からのメール  昭和史
先日、山形県酒田市に居られる未知の方からメールをいただいた。主旨は「海外関係の仕事ばかりしてきましたが、戦後60年を期に、日本はなぜ日清・日露戦争以後無謀な戦争に明け暮れ、揚げ句の果てに敗戦という厳しい現実を迎えることになったのか、書物を読みながら考えています。それは、我が国の最近の政治・経済・社会の状況は「大東亜戦争・太平洋戦争」についてのしっかりした総括を行っていないことが原因で、堕落・衰亡の危機を迎えているのではないかと考えたからです。」というもの。これは私の考えとほぼ同じ。

昭和19年の「インパール作戦」という無謀な戦いで正論を吐いて撤退を実行した佐藤幸徳陸軍中将は、何と隣町の山形県庄内町出身であるという。メールを頂いたA氏は「佐藤幸徳」の検索で私のHPを見たらしい。

佐藤は、太平洋・大東亜戦争で最も悲惨な戦いとして知られる「インパール作戦」で第31師団を率いた指揮官。インパール作戦では8〜10万人が動員され7万人が戦死した。10人のうち9人が死んだのである。佐藤(当時は少将)は、戦前の大日本帝国陸軍で初めての抗命(上官の命令に逆らうこと)罪となった。しかし大本営は責任が統帥権のある昭和天皇にまで及ぶこと恐れ不問に伏した。佐藤は、後に「大本営、総軍(南方軍)、ビルマ方面軍、第15軍という馬鹿の四乗がインパールの悲劇を招来したのである」という言葉を残している。これは平成4年放送のNHK「太平洋戦争・日本の敗因」6本の4番目に収録され、現在DVDソフトとして売られている。

この佐藤の撤退命令で辛うじて命を救われた四国出身者の兵により香川県高松市に記念碑が建てられているという。指揮した第15軍司令官・牟田口廉也中将は、日本の兵隊をたくさん死なせたので逆に「極東国際軍事裁判」では何の罪にもならなかった。戦勝国の米英は勲章でもあげたいと思ったそうである。牟田口廉也の「大将になりたい」ばかりの愚劣な作戦は現在、誰も弁護する人は居ない。

7万人の兵隊が食糧も薬も武器もなくジャングルで無残に白骨化してゆく昭和19年6月に彼らと入れ替わりに、私はこの世に生を享けた。詳細は私の「私の戦争論・帝国陸海軍は何をしたのか」を参照されたい。

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