2009/4/22  20:44

テニアン島  昭和史
今日、「テニアン島」と言ったら何を連想、想起するのだろうか。

筆者は相変わらず、へたくそな短歌を毎月10首、こねまわしているがちっとも進歩はない。今は「太平洋・大東亜戦争とは何か」を自分に課しているので短歌を詳しく勉強している暇はない。それではいけないのだが、勉強しても詩歌の感性は無いので自信もない。

歌壇に「憲法9条を守る歌人の会」なるものがあるという。内容を知らないので軽々に何か批判するわけにもいかない。だが、歌人に限らず今、多くの日本人は余程のことがない限りすぐに「テニアン島」と言っても思い浮かばないに違いない。サイパンは知っていてもテニアンまでは思いが及ばないのではないか。筆者はいささか戦争関連の本を読んでいるので多少の知識はあった。

先頃HPでお付き合いをいただいている関西の方から、こういう方が居られるとメールをいただき、長崎の方からCD-ROMの提供を受けた。詳しくはページを興そうと考えているが、昭和19年7月、筆者がこの世に生を享けて2週間経った頃、テニアン島の日本軍守備隊は97%が玉砕したと云う。10,000人の日本兵は300人しか助からなかった悲劇の島である。

因みに昭和20年8月、この島から「広島」「長崎」へ原爆投下のB29が飛び立った。

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