2009/8/30  21:57

竹下派七奉行  政治
衆議院議員選挙の投票締切、開票が始まった途端20時05分に「当選確実」第一号が東京第07選挙区の民主党の「長妻昭」だった。御存じ年金問題のエースだ。

今回の選挙はこの当選確実第一号がすべてを物語っている。民主党政権の課題は山積している。「こども手当」「介護現場」に先ずとりかかるべきだ。高速道路無料化などはもっと先の話である。今回の民主党勝利は、小泉改革の失敗が主因であり、怒れる庶民の投票率向上だろう。自民党を壊すと言った人が本当に壊してしまったことになる。

平成05年、宮澤喜一内閣で「内閣不信任決議」に同調して党を割って出たのが当時の経世会・竹下派七奉行の4人である。残った3人は、この時から16年経って既に死去している。橋本龍太郎・小渕恵三・梶山静六。二人は総理になり、梶山は幹事長だった。

自民党を出た4人は細川内閣のあと2カ月の短期間、総理になったのが羽田孜。東北弁のおじさんで実力者の渡部恒三、道半ばで死去した石川が地盤の奥田敬和、そして小沢一郎である。

筆者の家の門前から北側へ歩いて3分が公民館。真ん中の車の左側が公民館。そこが選挙の投票所で画像は夕刻。かすかに見える山は阿夫利(あふり)神社のある大山(おおやま)。手前に小田急線と東名高速がある。この道路などは筆者の子供時代は両側が田圃だった。

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2009/8/28  22:25

第45回衆議院議員総選挙  政治
24〜28日に掛けての「文字入力」の仕事が終了した。

なにしろ指の感触だけでキイを打つ「ブラインドタッチ」なるものはできない。初期コースを省いた活版印刷からの転向だったので我流である。さらに寄る年波で最近はかなり眼がしょぼしょぼとなる。通常2〜3日で済むところを丸5日も経過した。夕方には1時間の速歩を課して汗を掻く。

30日は衆議院議員選挙だが筆者は、選挙はなべて不在者投票である。投票所の公民館は歩いて3分。もう25日には投票は終えている。不在者投票の理由はとりたててない。近いからである。筆者の住む平塚市は昭和20年代から「河野一郎」一族の牙城だ。今は三世の太郎さん。これに投票したかどうかは秘密?である。(投票するわけはない、天の邪鬼につき)筆者の親戚は「赤旗」購入者、小学校の級友は公明党へ頼む、母親の級友筋からは自民党へと頼まれる。何かへんだな、と毎回思うのは、頼まれて投票などする人が居るのか?

筆者の天の邪鬼ぶりを披歴すれば「小沢一郎」ファンである。40歳代で自民党幹事長に就任したのなら黙って「待合室」で待っていれば、橋本竜太郎や小渕恵三なんぞより先に総理大臣に就いていて、とっくに一丁上がりの筈である。二大政党の政権交代を夢見たロマンを買っている。だが田中角栄・金丸信の弟子だったので少々お金に汚い。

戦前、何千億円もの機密費を自由に使え、お酒に、女性に、生活に贅沢し放題のできる立場の総理大臣がいた。だが彼は教科書に載るようなそれはそれは慎ましく「清廉潔白」な人物だった。だが悲しいかな陸軍という組織のことしか知らなかった。その人の名を「東條英機」と言った。当初は国民全体から神様のように崇められたらしい。

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2009/8/23  19:52

嗚呼、いしだあゆみ  映画TV
暮の「紅白歌合戦」は、ほとんど見ないが、夏の「思い出のメロディ」は毎年見るし、録画もする。昨年は、昭和30年代のロカビリートリオが出演していた。

今年の目玉は13年ぶりという「いしだあゆみ」は、もともとやせ気味の女性だったが、ずいぶんと褪せていて見るからに痛々しかった。まさか拒食症ではないだろうが、声の張りもあまりなく「ブルーライトヨコハマ」は、司会者、伊東四朗が98点などと言っていたが、容姿の衰えもあって自分で言っていた50点くらいだった。口元の周囲は老婆のそれで、単なる加齢ではない気がする。

「いしだあゆみ」は、昭和23年生まれの団塊の世代のアイドルだが、このとき出演した20年生まれの「三沢あけみ」、筆者と同じ19年生まれの「園まり」、昭和08年生まれの「ペギー葉山」にあまり衰えはなかったので、余計目立った。病気ではないことを願うばかりだ。「恋人よ」の五輪真弓は変わらぬ声である。五輪のピアノの弾きながらの歌は見事だった。

画像は「男はつらいよ・あじさいの恋」(昭和57年)からのキャプチャー、静止画キャプチャーは著作権に触れるかもしれないが、「いしだあゆみ」ファンなので許されたい。いしだは今は還暦を超える。当時は33歳くらい。いしだの最も美しい頃だろう。

この映画で「鎌倉のあじさい寺で待っています」のラブレターを渡すシーンは山田洋次監督の演出の妙だった。ちなみに「あじさい寺」というと「北鎌倉・明月院」だが、この映画のあじさい寺のシーンは、明らかに長谷寺と極楽寺の中間にある「成就院」であることが解る。

 1枚目 江ノ島のレストラン
 2枚目 成就院参道

月末の仕事モードに入りました。明日から5日間ブログはお休みします。

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2009/8/22  22:07

石川啄木の子孫  日本史
インターネット上でお付き合いしている方に「HARUKO」さんが居る。詳しくは筆者の「リンク欄」の「HARUKOの部屋」をご覧ください。

HARUKOさんは筆者よりやや年上か、横浜在住の方である。詳しくは知らないが、どうも教師をしていたらしく日本史・世界史に詳しい。とくに海外旅行は欧米だけではなく中東・東南アジアにも頻繁に訪れておられる。とくにすごいのは「母の語る20世紀」「日本史ウォーキング」「行き当たりばったり銅像めぐり」は内容が濃く素晴らしい。教師だったHARUKOさんの仙台での高校時代の教師だった方が三宅奈緒子氏である。新アララギの選者で大正10年生まれ、現在もお元気で活躍しておられる。

高校の同窓会はみちのく出身の歌人、文学者の石川啄木・宮澤賢治にゆかりのあるところへ赴くという。今回も啄木記念館より岩手山を眺めたらしい。

 かにかくに渋民村は恋しかりおもひでの山おもいでの川
 ふるさとの山に向かひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな

「記念館からは、おもひでの山(岩手山と姫神山)が東西に見え、眼下には、おもいでの川(北上川)が流れている」と記されている。

HARUKOさんは≪記念館の展示で、妻の節子さんも彼の死後約1年で亡くなったことを知った。3人の子どものうち長男は生後すぐ亡くなり、長女と次女(啄木の死後生まれた)は親戚が育てた。長女は2児を残して24歳で他界。次女も19歳で亡くなった。記念館の職員に「子孫はご存命ですか」と聞いてみた。「はい、東京に住んでいらっしゃいますが、文学者ではありません」の答えだった≫と尋ねたらしい。

昭和55年11月発行の雑誌「太陽」に啄木の子孫へのインタビューが載っていた。啄木の長女も次女も早逝、啄木自身も早逝だった。長女・京子の子、つまり啄木の孫は健在である。石川玲児氏は当時51歳、今は80歳くらいか。末娘が子供神輿を担いでいる。今なら40歳代か。偉大な歌人の子孫が健在は嬉しい。画像は当時の石川玲児氏。

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2009/8/20  20:55

天下り法人  政治
あと10日のちに「衆議院議員選挙」がある。毎度よく解らない「最高裁判所裁判官国民審査」なるものも付随している。巷間言われるには民主党が圧勝で政権交代があるらしい。筆者の選挙区は平塚市・茅ヶ崎市で昔から「河野一郎」一族の指定席で面白くない。昔「新自由クラブ」の河野洋平には投票したが、三世の河野太郎さんは麻生太郎さんと同じく投票したくない。しかし民主党は有利、有利などと言っているとろくなことはない。敵は自民党・公明党などではなく、目に見えない「霞が関」という官僚組織だと思う。

霞が関に「三冠王」というのがあるらしい。東大法学部・公務員上級職・司法試験をクリアしたエリート中のエリートに冠せられる呼称である。こうした法律のプロには、伝統と実績がある自民党でさえ何もできなかった。顔の見えない官僚組織は見えないだけに揺るがないのではないか。八月末が例年だと各省庁の概算要求がある。来年度予算はどういう展開になるのか…。

筆者は政治に疎いが、新聞記事によれば天下り法人は4600あり、天下っている公務員は28000人、そこに流れる資金は12兆6000億円。官僚はポストを減らさず、自分の省庁予算が増えることのみを目指す。

つまり天下りとは公務員の人事の延長上にあるのだから公務員も必死である。国家予算はもうすぐ税収と国債発行額が同じ程度になる。国の財政破綻と筆者の家庭予算の破綻とどちらが早いかである。これはみものである。

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2009/8/18  18:29

踏み台  身辺些事
この春、看護師を勧奨退職した友人が居る。むろん若い時から地方公務員だったので退職金はたっぷりだろう。短歌の友人のその女性は堰が切れたように外国旅行やゴルフや美術館めぐりに明け暮れている。

筆者は国家公務員や地方公務員のべらぼうな給料・ボーナス・退職金にかねがね疑問をもって居る。下々の公務員まで民間の中小の会社員の倍のものを貰っているからである。近い将来、その厚遇が原因で国家も地方も財政が行き詰まるのは目に見えている。国家のパンクは確実と思う。だが筆者は看護師・警察官・自衛官など国を守る、国民を守る公務員は高給でいいと思っている。介護の現場の薄給は特殊法人を整理すれば改善されるだろう。

その友人が踏み台を使ういい運動を教えてくれた。散歩・ジョギングよりはるかに「スローステップ運動」なるものはいいらしい。コレステロール・中性脂肪の健全化、膝痛にもいいらしい。拙宅の一階の居間はパソコンルームだが司馬遼太郎・池波正太郎・藤沢周平の文庫本・歌集を収めた本棚がある。天井にまで達しているので市販の踏み台を使う。

十数年前オーディオのラックを作ったとき、余った板で踏み台を作った。これが約20cmの高さなので丁度いい。一日2回10分づつ上り下りの運動をする。確かに10分で汗びっしょりである。左は市販、右は自作の踏み台。画像の2枚目は本棚上部、天井で止めてある。

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2009/8/16  23:36

短歌会例会  身辺些事
毎月第二日曜日が所属短歌会の例会だが、今月は会場の都合で本日16日の第三日曜に変更された。場所は江東区豊洲。八月は暑気払いがあり、ビールに寿司弁当が出る。筆者は下戸につきウーロン茶。ビール・寿司は、90歳の長老の寄付、元軍人である。

例会後はたいてい二次会でコーヒー店に行く。だが今日は40数年におよぶ歴史の好きな者同士の友人と東京駅で会うので例会の会場は早めに出た。貸してあった「古今亭志ん朝」のDVDを返してもらうためだった。「志ん朝」の落語の中身はまたいずれ。二日に一度を目指すブログ、今日はあと10分で終了なのでここまでとする。

友人と待ち合わせたのは東京駅のほぼ真ん中、中央口通路のしかも09・10番ホームの真下。昭和05年11月14日、時の総理大臣浜口雄幸(はまぐちおさち)は右翼にピストルで撃たれた。5ヶ月後に浜口は亡くなる。翌年昭和06年に「満州事変」が起こり、日本は破滅の道へと突き進む。そのプレートの前での撮影である。

写したのは友人、映っているメタボリック気味の初老の男は、筆者である。帽子をとるとハゲのおじさんである。若いころはもっとイケメンだった。あと5分で今日はおわり、ここまでとします。

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2009/8/14  21:10

校正ミス  昭和史
よく新聞や週刊誌に「校正記号」を覚えて家庭で収入を得よう! などという通信教育の案内を見る。関係者がこのブログを見ていたら申し訳ないが、これほどいい加減な案内もない。

校正などというものは印刷会社勤務だったら誰でもできることで、校正記号が何種類もあるわけでなく、筆者などは校正の仕事があれば大金持ちである。出版社関係の親戚などがあれば別だが素人が校正記号を取得してもあまり意味はない。

真の校正者は作家を上回るほどの高度な知識を必要とする。辞書などの校正はかなりの経験を積む出版社のベテランが4人も最初から最後まで担当すると言う。家庭で出来るような生半可な仕事ではないということである。

添付の中公文庫は近代史に興味があればかなり面白い本でもある。昭和20年12月、戦犯としてGHQより出頭を命じられた近衛文麿が何で服毒自殺をしたかが新たな視点で描かれる。三度も組閣した近衛文麿は、軟弱な政治家として語られるが、終始「日米開戦」に反対だったのは事実である。文庫本としては500ページに及ぶ読みでのある本である。

401ページに明らかな記述ミスがあったので、初めてだが中央公論社編集部に電話した。記述ミスか校正ミスかは筆者には解らない。戦前戦後を通じて加瀬俊一という外交官が居た。昭和20年09月02日ミズーリ号甲板で「降伏調印式」が行われた。首席全権の重光葵(まもる)にサインするところを指摘したのが外務省の加瀬俊一である。振り仮名には「しゅんいち」とあった。明らかな間違いである。正確には「としかず」である。加瀬俊一は同姓同音同名で二人居る。ただし正確には「しゅんいち」は大加瀬、「としかず」は小加瀬という外務省では区別がある。

 加瀬俊一(しゅんいち)1897─1956 終戦時のスイス公使
 加瀬俊一(としかず) 1903─2004 終戦時外務省報道官

としかず」は平成16年、101歳の天寿を全うした。「しゅんいち」は終戦時、スイスのアメリカ戦略事務局アレン・ダレスと終戦工作をした外交官である。これは出版社の昭和史を知らない社員が校正ミスをしたのであろうと思う。筆者に校正を依頼すればこういうミスはない。

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2009/8/10  21:19

テニアン島U  昭和史
今年4月に拙論「私の戦争論」を見たとかで姫路在住の女性から長崎の方を紹介された。金谷さんは太平洋戦争末期「テニアンの戦い」に遭遇、生き抜いて来られた。金谷さんは大正9年生まれ89歳になられる。今日、この頃「テニアン島」と言っても知らない人が多いに相違ない。

今は米国自治領・サイパン島の横の小さな島、テニアン島は玉砕で100人のうち97人が亡くなった割合になる悲惨なものだった。昭和19年7月、筆者がこの世に生を享けて2週間経った頃、10,000人の日本の守備兵は300人しか助からなかった悲劇の島である。ここを制圧したアメリカは、翌年昭和20年8月、この島から「広島」「長崎」へ原爆投下のB29が飛び立たった。

筆者は頼まれたかたちで『慟哭の島その真実』というCD-ROMの提供を受けた。内容はテニアンでの遺骨収集の一部始終である。それを自分の住む町、平塚市と隣接する秦野市の図書館へ寄贈した。両図書館も気持ちよく受領していただいた。とくに秦野市の図書館は受領書まで長崎の金谷さんに送ったとかで、当の金谷さんは感激しておられた。別に自慢でもない。我々の世代の次世代へ伝える義務である。

また先ごろ『戦塵の日々』の著述をIT化したものを、又もやCD-ROMの提供を享けた。実際に否応なく徴兵され、命令されて戦わされ、多くの戦友を亡くされた方の著述で重みのあるものである。

平和のために日本国憲法9条を守るのは結構なことだが、筆者は先ず太平洋戦争を「負の遺産」として逃避するのではなくきちんと認識するところから真の平和論は始まるものと理解している。我々の父祖の悲劇を知らないでは平和など語る資格はない。

明日11日、NHKハイビジョン放送で19時より「楽園の島は地獄になった─テニアン島」が放送されます。興味ある方は視聴されたい。

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2009/8/8  18:18

ギターアンサンブル  昭和史
筆者は若いころ「禁じられた遊び」などギター曲に魅せられ、安いギターを買った。昭和40年代はエレキギターが流行り、グループサウンズ・フォークグループも雨後のタケノコようだった、ムード歌謡グループも全盛だった。ギターの教習所へ行ったらビルからの転居、車の教習所へ行ったら教習所そのものが転居・閉鎖していて断念。車の免許取得は40歳を過ぎて家を新築してからの後だった。ギターは断念したままで専ら聴く側に回っている。

若いころから付き合いのあった友人は、高級オーディオ装置を持っていてクラシック音楽が好きで、イントロを聴いただけで何の曲かわかるほどだ。筆者も影響されて後年、アンプはアキュフェーズ、スピーカーはダイヤトーン(三菱)、CDはソニー、レコードプレーヤーはケンウッドなどを揃えた。クラシックはベートヴェン・モーツァルトの全集もあるが、ギターの演歌が好きである。

ギターアンサンブルは、コンガ・ボンゴ・パーカッションなどのラテン系の打楽器がギターの絃楽器といい組み合わせで演歌に合う。今度、古関裕而全集とともにレキントギターの名手・鶴岡雅義の全集を買った。レキントギターとは高音の出るギターでかなり高度なテクニックが要るらしい。むろんアンサンブルは抜群。筆者はジャズ・ロックは、煩いだけでまるで体質に合わない。

◇所持するギター曲全集
1 ギター音楽のすべて カンノ・トオル 6枚組 テイチク
2 ギターに聴く古賀メロディ 3枚組 古賀政男 日本コロムビア
3 ナルシソ・イエペスの芸術 20枚組 ポリドール
4 クロード・チアリ 魅惑のギター 8枚組 日本クラウン
5 ギター演歌の真髄 寺内タケシ他 8枚組 日本コロムビア
6 木村好夫 ギター心 6枚組 日本ビクター
7 アントニア古賀 魅惑のギター 7枚組 キングレコード
8 鶴岡雅義 昭和歌謡を弾く 9枚組 日本コロムビア

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