2010/6/26  23:00

四字熟語  身辺世相
平成の大横綱と称される「貴乃花」の所属した父親の双子山部屋では、力士が大関・横綱に昇進するときに「四字熟語」を用いて挨拶した。「不惜身命」など聞いたこともなかった。目下月末の「文字入力」の仕事で詳しくは日を改めたい。

メールでのやり取りはかなりあったのだが、本日、画像掲示板へ初めて「信州伊那の自遊人」さんから投稿があった。「青い芥子の花」は見事である。自遊人さんのページの中の「日本のチロル・遠山郷 下栗の里」の画像は見事につきる。信州の季節の画像も見事というしかない。

いずれくわしく書き込みたいが、意味深長な四字熟語を紹介したい。

 東亜撹乱・断固駆逐・一億憤激・驀進一路・聖業完遂

因みに筆者に相応しい四字熟語は、

 粗衣粗食・青息吐息・一知半解・五里霧中・浅学非才・付和雷同

などずいぶん当てはまるなと思う。添付は花菜ガーデンの百合「ロイヤルトリニティ」。

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2010/6/24  22:24

第22回参議院議員選挙  政治
参議院議員選挙が公示された。参議院は終戦後の現憲法下なのでまだ22回目である。筆者は昭和40年の07回参議院議員選挙からである。丁度二十歳だった。別に自慢するほどのことはないが、選挙という選挙は、衆議院議員選挙から東京都知事・県知事・地方議会選挙まで一度も棄権したことはない。ただし衆議院議員選挙では大体誰に投票したか覚えているが、直近の選挙でも地方議会までは記憶にない。20代の若い政党に属さない若者に投票するからである。

記憶にあるのは昭和51年からの「新自由クラブ」旋風のときである。河野洋平は総理に成れず引退。西岡武夫が今、民主党の参議院で頑張っている。田川誠一や柿沢弘治も死んだ。筆者は貧乏であるのに社会主義政党、某宗教政党には投票したことは記憶にない。したがって投票する人は大抵落選しているような気がする。むろん自民党は政治的ものごころがついてから投票したことはない。

比例区では「官尊民卑」を是正する政党に投票したい。昨年の政権交代で民主党に期待が集まっているが、多分公務員改革は無理だろう。そのうちギリシャのように大ナタを振るう時がやってくるに違いない。官尊民卑を是正するには内閣から独立した「人事院」や「会計検査院」などを壊さないとできないだろう。いくつものペーパーテストをクリアして頂点に立った高級官僚は法律のプロ。政治家より数段頭がいい。人事院からだって天下っている。

まな板の鯉が自ら包丁を握って自分の身を切ることは決してないから、とはよく言われることである。

添付は「花菜ガーデン」の百合。ブライトダイアモンド。

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2010/6/22  23:07

昭和20年06月23日  昭和史
明日06月23日が「何の日」か即座に答えられる人は、筆者の上の世代でもなかなか居ないだろうと思う。若者ではなおさらである。昭和20年06月23日は沖縄の地上戦が終結した日である。むろん大本営の無謀で稚拙な戦争指導が沖縄の25%の人を死に追いやる結果になった。20年04月には鈴木貫太郎内閣が成立。海軍大臣・米内光政などと共に終戦を画策したのだが、陸軍中枢を抑えるのは当時としては至難の業だった。

縒りによって「ソ連」に仲介を頼もうとしていたのだから始末が悪い。このへんの経緯は筆者の「私解・戦争の昭和史」で文章推敲中である。沖縄の「普天間基地」問題は、ミクロに考えれば、これは沖縄の人にとっては、とんでもないことである。しかしマクロに考えれば「日米軍事同盟」を崩すのは甚だ危険な選択である。

日本の領土・領海・領空を守るには、これはたいへんなことだからでもある。どこかの子供みたいな政党が昔、「非武装中立」などと、のたまわって居られた。日本の近隣には朝鮮半島、北方領土、台湾海峡、尖閣諸島、竹島と話し合いや外交などで解決しない問題が山積している。菅直人新総理が明日沖縄へ行くのか。先ずは、終戦間際の沖縄の惨状をミクロにも、マクロにも反省するところから「沖縄問題」は解決する方向に行く。沖縄から米軍が撤退したら一体誰がいちばん喜ぶのか。沖縄の人ではない気がする。日本本土の人は多分対岸の火事にしか思わない。と言ったら言い過ぎか。

添付は「花菜ガーデン」の百合。ディメンション。

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2010/6/20  20:46

おくりびと 海晏寺  身辺些事
今日は墓参に行ってきた。品川から京浜急行で3つ目「青物横町」、場所は品川区南品川・海晏寺(かいあんじ)。曹洞宗の古刹である。江戸時代の古地図にもあり、池波正太郎の小説にも出てくるらしい。池波正太郎の時代小説は「鬼平犯科帳」をはじめほとんど読んでいるが、小説に出てくる社寺まで記憶になかった。

筆者は昭和50年前後、友人の友人(男性)が主催する表千家の茶の湯の会に参加していて、台東区谷中の寺の一室で月2回ほど茶の湯を習った。濃茶は難しいが薄茶の風炉は少し思い出せばできるような気がする。その主催者だった友人が筆者より1歳若いのに平成20年の暮れに亡くなっていた。心筋梗塞だったという。お酒はよく飲んだらしく委細はともかく私事でいろいろ心労があったらしい。

一定期間交際のあった人物の死である。墓参はすべきと仲間に呼びかけた。花鋏やフード付きライターなど持って行き、花と線香も持参で用意周到だったので「おくりびと」などと言われてしまった。だがこれで一区切りの気持ちは大である。自分より若い人の死はただ悲しい。

添付は百合。ただし海晏寺ではなく「花菜ガーデン」の百合園、パーティダイヤモンド。

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2010/6/18  20:58

月下美人  身辺些事
筆者の北側の家の夫婦は芸術家夫婦である。ご主人が電機大手メーカーに勤務していた人。奥さんは筆者の従姉と同級生。3年間、ご夫婦でスペインへ留学。陶磁器の研究・修行をして来られた。自ら焼いたという抹茶茶碗も頂いて、鶴・亀と共に玄関に飾ってある。

筆者の家の庭は、草ぼうぼうだが、このご夫婦は、庭の花、樹木もよく手入れされている。自宅庭に陶磁器の窯を設置。本格派である。夕刻、ご主人が「月下美人」が開花したとお知らせがあった。名前を聞いて知ってはいたが、むろん初めて見る花だった。これがサボテンの種類であるのをインターネットで調べてみて知ったほどの花オンチである。

昨日、一昨日みた、ネット購入DVDの「野村芳太郎」監督のミステリー映画、昭和53年「事件」、54年「配達されない三通の手紙」は名作である。その感想はまたいずれ。

初めて生でみる月下美人。

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2010/6/16  22:07

シベリア抑留者特別法  昭和史
おおかたのシベリア抑留者は死亡、戦死しているのに今頃になって「シベリア抑留者特別法」が成立とは訊いてあきれる。昭和26年「サンフランシスコ条約」発効でようやく世界の仲間に入れてもらえたころは、日本は戦後復興の真っ最中だった。だが戦後いくら遅くてもその頃に、日本政府は過去の戦争を日本独自で清算すべき、あるいはその機運が芽生えて当然だった。自民党政権がやったことは生還した軍人に厚くもてなす「軍人恩給」だった。選挙の集票マシンだからでもある。

 軍人恩給=総務省
 遺族年金=厚生省
 特別弔慰金=地方自治体

筆者の父親のように昭和18年秋に召集され、守備兵としてほとんど何もしないうちに2年を経て戦病死。戦後母が再婚では、死んだので恩給は無し。母が再婚では遺族ではない。(因みに義父は再婚5年目で個人破産)特別弔慰金は請求しない限り貰えない。それも5年に一度、5万円の国債の由。シベリア抑留者が、とにもかくにも戦後65年になって救済されるのは、これはこれでいい。しかし義憤に駆られて、あるいは頼まれてインドネシア独立義勇軍、中国・蒋介石軍に身を投じて死んだものは「棄民」の扱いになっていると云う。日本政府(専門の官僚)は調査しようともしない。

私の父親は世間でいう「無駄死に」「犬死」の類である。しかし他人がそれを言うのは許されない。当時は出征拒否は非国民だった。戦争を煽りに煽ったのは当時のメディア・世論・空気である。戦前のすべては「軍国主義のせい」では、戦争を知らない無知に等しい。もうすぐ66歳にもなる戦争遺児がひとりくらい過去の探究をしても神様は許してくれるだろう。

添付は保坂正康氏の名著『昭和陸軍の研究』(上・下)筆者はこれを3回は読んでいる。3000人の旧軍人に取材した保坂氏の指摘は重い。恩給について詳しい実態が書かれている。

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2010/6/14  21:53

サッカー・ゴルフ  身辺世相
南アフリカで4年に一度のサッカー大会が始まった。プロ野球のあるアメリカ圏、アメリカ、カナダ、韓国、台湾、そして日本などはあまりサッカーに強くない。発祥の地、英国はイングランド・スコットランドと二つあるのか。サッカーはやはり欧州が盛ん。スター選手は何十億の報酬である。やはり歴史のゆえだろう。

それにしても球技でこれだけ世界大会があるのは、サッカーだけであろう。筆者のみるところゲームとしては極めて簡単で、なおかつ得点するには高度の技術と体力と持久力を必要とするから世界中に受け入れられるのだろう。今日から日本の試合が始まるが、天の邪鬼の筆者はTV観戦はしない。土曜日に購入したDVDを見る。

ゴルフはアメリカを中心に盛んだが、これも球技としては簡単だと思う。ルールは解らないが、サッカーは腕は使わない。ゴルフはクラブを使用する。いずれも才能と技術と習練が必要なのは当然であろう。筆者の悪友は昨年、永年の看護師を退職されたが、ゴルフ・碁などに努力されているらしい。短歌の才能は認めるがイケメンのコーチに腰を触られたくらいでのぼせていては、上達はない。食い意地は治らなくていつも胃を壊して会うたびに「胃がん」だとのたまわっておられる。「がん」の方でもいい迷惑だろう!

ところでサッカーのTV中継でなぜか「ブーン」とヘンな笛?の音が入る。自分の耳鳴り以上にうるさくてかなわない。見るなら音声を消すのが妥当。

添付は純白のシレネ・コロナリア。

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2010/6/10  21:19

新人物文庫  読書
筆者がまだ20代のころは、文庫本と云えば、新潮社、岩波書店、角川書店の文庫くらいしかなかったようである。もう倒産して無いが「現代教養文庫」という文庫もあった気がする。文庫本とは通常の文藝春秋などの月刊誌A5判の半分である。

カバンやバッグにも入るし、何より単行本より安価で今や、主な出版社ほとんど文庫本を出している。昔からある『歴史読本』の新人物往来社は、図版・画像の多いB5判の「別冊歴史読本」が昔からなじみがある。週刊誌大のこの本は日本史の好きなものには分量といい、値段といいまずまずの書籍だと思う。だが日本史が趣味の年代もやはり年金生活に移行しつつあるのだろう。爆発的に売れる著書などはない。

満を持してかこの書店も「新人物文庫」を出してきた。内容はやはり戦国時代・幕末などが主である。しかし昭和史・太平洋戦争関連も徐々に出版されるようになってきた。添付の著者・新名(しんみょう)丈夫は、戦前毎日新聞の記者で昭和56年、75歳で亡くなっている。昭和史では有名な「竹槍事件」として名を馳せる。東條英機内閣末期「竹槍でアメリカに勝てるか」と正論を書いたために陸軍に睨まれ、強度の近視であるのに徴集され、最前線の南方へ送られた。

新名は海軍に助けられたが、形を整えるために同時に召集された当時40代の老兵250人は、硫黄島に送られ全員戦死した。軍部にヨイショの新聞社にも硬骨漢は居たのである。太平洋戦争とは、軍部には敵国に勝つという数字・科学は無く、あったのは運命論と情実人事だった。戦後、あらゆる層の反省も殆んどが感情論にすぎない。

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2010/6/8  21:58

讃・守屋浩  映画TV
最近、火曜日の歌謡コンサートを見る。これは多分に演歌系だからである。それも昭和の30年代・40年代に活躍した歌手が誰か一人出演する。今日は守屋浩だった。

守屋は、昭和33年、日劇ウエスタンカーニバルでデビュー。本名は守彦。既に第一線で活躍していた井上ひろし、水原弘に合わせたものと言う。3人合わせて「三人ひろし」と言われた時期もある。だが水原も井上も鬼籍に入っている。酒が原因だろう。

守屋は昭和35年、ホリプロ設立に参加。その前に歌謡曲に転向し「僕は泣いちっち」が大ヒット。昭和34年、51年前である。筆者は15歳、中学三年生だった。この年、今上天皇が結婚してミッチーブーム、伊勢湾台風、南国土佐ブームでもあった。又、筆者の好きな三橋美智也の「古城」が大ヒットした。イタリア映画「刑事」がヒット。クラウディア・カルディナーレの美しさと主題歌に魅せられていた。

守屋は今は、ホリプロの宣伝部長・スカウト部長を兼務で若い歌手及び社員等の教育・指導にも当たっているという。島倉千代子と同じ昭和13年生まれだからとうに70歳を超えている。その高音にあまり衰えはなかった。うれしい限りである。「僕は泣いちっち」もいいが「夜空の笛」「有難や節」、島倉千代子とデュエットの「星空に両手を」もある。長く現役の歌手でいてもらいたいものである。84歳の青木光一、85歳の岡本敦郎もいる。

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2010/6/6  22:46

MSK症候群  身辺世相
さて二日に一度のブログを標榜すると、何を書こうか迷うことがある。今日は一日天気が良いのに、過去の旅の画像の再処理と紀行文を投稿時に20行以内に収まるように文の縮小に明け暮れた。

沖縄の普天間基地問題、軍事抑止力、現代の軍事バランス、日本国憲法、太平洋戦争と個人の意見は多々あるのだが、ある程度の行数を考えて、画像を一枚と考えると「書くこと」はごく普通の感想文になるのは、仕方ないし、筆者の能力の限界だと思う。

今「私の戦争論」は、少々恣意的で内容で、論考だか、情緒的なエッセイだか自分でも解らなくなるのは困ったことである。そこで「私解 戦争の昭和史」と題名を変更して「序文」から推敲している。キーワードを設定して、それを解きほぐすようにしたら「太平洋戦争」も素人でも謎めいていいかもしれない。だが戦前も戦後も変わらないのが日本人の国民性のように思えてならない。

戦前の昭和17年06月の「ミッドウェイ海戦」も、きょうこの頃の「米軍普天間基地移設問題」にも当てはまるようだ。今日現在まだ総理大臣の鳩山由紀夫氏は軍事評論家・小川和久氏をワシントンに行って貰って、自身、沖縄を訪問してやっとアメリカの意思を確認したらしい。つまり「抑止力」の意味である。これは外務大臣・防衛大臣・官房長官も総理以上に罪が重い。みなMSK症候群のなせる業。

筆者が勝手に名付けたのがMSK症候群。これは戦前戦後変わらず永久に不滅だと思う。

 =見て見ぬふり
 =触らぬ神に祟りなし
 =臭いものにフタ

添付はブラシの木。

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