2010/8/6  20:43

学童疎開  昭和史
本日、横浜市栄区本郷台の「あーすぷらざ」で学童疎開の講演を聞いてきた。講師は、元・ABC朝日放送アナウンサーだった、上田博章氏。学童疎開の話を90分飽きさせずに興味深い内容だった。

五年ほど前、インターネットサーフィンで「短歌」と入力。過程は省くが文京区播磨坂の「ナガタニ」さんのHPを発見、この方のリンク欄から、横浜のHARUKOさん、そこから成田のヒロチャン、小布施のみかんちゃんなどと知り合い、前年、善光寺の御開帳で信州での「オフ会」に出席。「みかんちゃん」にお会いした。面倒見のいい貫禄?のある美女!だった。

ナガタニさんの掲示板で「靖国神社」のことで、いろいろ交流の始ったのが大阪の「上田博章」氏。「上田博章@昭和8年com」というHPを持っておられる。上田氏の父親は諜報将校だった陸軍少将。上田氏の父親が、戦前の「学童疎開の政策立案者」。学童疎開にも「集団疎開」「縁故疎開」「強制疎開」とさまざまあるようだ。疎開して命が助かったなら、それでいいのではないか、と単純に思うが、上田氏の場合、縁故疎開のたらいまわしで、先々で強烈な苛めでよくぞ生き残ったもの、というほどすさまじいものだったと言う。

名刺交換をしたが、名前の上の肩書は「隠居」だった。ユーモアのある方である。もう一度上田氏の「疎開絵日記・学童疎開」を読み直したい。

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