2010/8/28  23:04

「インパール作戦」とは 01  昭和史
筆者は、父親が戦死ということもあって、定年後、自分のHPで「私の戦争論」という甚だ恣意的な文を綴っていたが、今は「私解 戦争の昭和史」と名を変えて推敲している。だが昭和史・太平洋戦争の本を読み進んでいくと次々に新事実を知ることになる。書き直しがここ3年続いている。段々完成が怪しくなっている。だがあまり手を入れなくてもいいかな、と思っているのが「第六章 太平洋・大東亜戦争とは何だったのか@帝国・陸海軍は何をしたのか インパール作戦」である。日本の太平洋戦史でも最も悪名高い。

これは一言で表現できない無茶苦茶な作戦である。どういう目的でどういう成算があって立案・実行されたのかが、一人の司令官の目算だけでは済まされないと言える。

ビルマの中央部からインド東部まで500キロm弱の行軍で、食糧・兵器・薬品も3週間分しかなく、あとは密林で食料は何とかしろ、というもの。結果7万人が動員され、死者は6万人、100人中、91人は戦闘ではなく、餓死・病死だった。この記述以後、少しでも真相にたどり着きたい。

当時、15軍31師団の指揮官が上官を指して「馬鹿の4乗」と言ったのは、それだけで軍法会議ものである。実際逆らたっら処分されるのは必定だった。文庫本が多いが、200冊余の本の中でどの部分だったか、2年間、そのページを探したが見つからない。やっと見つかったのが平成05年に録画していたNHKの「太平洋戦争の敗因4・責任なき戦場インパール」だった。角川文庫にも収録されたが、文庫ではそこがカットされていた。解らないわけである。

大本営→総軍(南方軍)→ビルマ方面軍→第15軍の「馬鹿の4乗」がインパールの悲劇をもたらした』と佐藤幸徳は述懐した。命令を出した牟田口廉也(むたぐちれんや)陸軍中将は「大将」の位をほしいだけの作戦だった。上官の命令を拒否して撤退命令を出したのが佐藤幸徳陸軍少将(当時)。これによって救われた兵士は多い。

「馬鹿の4乗」の記述のある本は、『抗命 インパールU』高木俊朗 文春文庫 1976年発行。P273
2017年・平成29年08月追記

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