2010/9/3  20:13

「インパール作戦」とは 04  昭和史
英国在住のマクドナルド・昭子さんからメールを頂いた。父親が88歳で健在。インパール作戦に従軍したが、運よく生還できて思い入れがあるらしい。つまり父親が戦死なら本人すら存在しない。昭子氏は来年還暦である。父親は、上官の命令に反抗、撤退を決断した佐藤幸徳少将(当時)の第31師団に所属した。

今回は帝国陸軍のヒエラルキー(ピラミッド型の命令系統)を記述する。これが解らないと名将であれ愚将であれ、戦争の作戦立案が説明できない。このブログを読んでくれるなりひら氏に投稿した軍部の実態である。

一口に「軍国主義」と言うが軍部とは「統治権」としての行政は、陸軍省・海軍省。一方こちらが問題だが「統帥(とうすい)権」はいわゆる大本営で、参謀本部(陸軍)・軍令部(海軍)に分かれていた。つまり司馬遼太郎が、終生追及したように統帥権は大元帥として昭和天皇に直結していたので、行政は一切口出しを出来なかった。「省」は編成・人事・調達、「部」は戦術・作戦専門で共に陸軍大学、海軍大学を出た超エリートによって占められた。つまり大東亜戦争の権化のように言われる東條英機さえ統帥と海軍には何も言えなかったのが、現状。更に言えば、陸軍と海軍は毎年予算の取り合いで別の戦争をしていた。戦後の極東国際軍事裁判ではGHQは最後まで統治権と統帥権がよく理解できなかった。

当時少なからず理性的・知性的軍人は英米と戦争して勝てるわけがないと主張していた。そういう本音を言う軍人・政治家ほどテロ・暗殺の対象だった。

帝国陸海軍の開戦時の人事。

◇参謀本部(大本営陸軍)参謀本部総長 杉山  元(陸軍士官学校12期)
◇軍令部(大本営海軍)軍令部総長 永野 修身(海軍兵学校 28期)
◇東條英機内閣陸軍省 陸軍大臣 東條 英機(陸軍士官学校17期・首相)
◇東條英機内閣海軍省 海軍大臣 嶋田繁太郎(海軍兵学校 32期)

昭和19年初頭の人事。

◇大本営参謀本部 参謀本部総長 杉山  元元帥(陸軍士官学校12期)
◇南方軍総司令官 寺内 寿一元帥(陸軍士官学校11期)
◇ビルマ方面軍司令官 河辺 正三中将(陸軍士官学校19期)
◇第十五軍司令官 牟田口廉也中将(陸軍士官学校22期)
 第十五師団(祭)師団長 山内 正文少将(陸軍士官学校25期)
 第三一師団(烈)師団長 佐藤 幸徳少将(陸軍士官学校25期)
 第三三師団(弓)師団長 柳田 元三少将(陸軍士官学校26期)

因みに陸士12期は明治12年生まれで、これは偶然。
添付は、前列中央が牟田口廉也。右縁が31師団長・佐藤幸徳。

次回は「what=何を」。

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