2010/9/11  22:49

「インパール作戦」とは 08  昭和史
太平洋戦争の最前線の作戦はなべて悲惨・無惨である。阿鼻叫喚と言ってもいい。インパール作戦と同時期の「サイパン」「テニアン」の戦いも酷いものである。サイパン・沖縄などは民間人も玉砕と云う名の死を強要された。インパール作戦は、「盧溝橋事件」で日中戦争をぶり返した河辺・牟田口の陸軍中将同士の情実の絡む作戦立案だった。中国で上手くいかなかったので、今度は何とか英米に一矢を報いようとする無謀な武勲争いだった。武器・弾薬・食糧・薬品の補給のデタラメな必ず負ける作戦だった。

戦争は悲惨だから良くない、という感覚は理想論だと思う。戦争は古今東西無くならない。戦争は端的に言って科学・物理・数字の世界である。ところが日本の戦争は、今も昔も運命・理想・精神の戦争で勢いのあるうちは“大和魂”で勝てたが所詮、工業力に勝る欧米に叶うわけがない。日米対立解消の方法は別にあったはずである。

日米開戦前の「項目別検討会議」では「日本は勝てない」という結論が出ていた。霞が関の官僚の摸擬内閣が昭和16年春、出した結論はアメリカには「始めは勝利する作戦もあるが、長期戦になれば必ず負けるという結論が出ていた。まさにその通りになった。猪瀬直樹氏が詳説している。

敗戦の遅れの責任は、これまた長くなるので割愛して開戦責任は、三すくみだった。日中戦争が日米戦争になるので海軍の出番である。ところが海軍は「アメリカとの戦争は勝てない」と解っていた。陸軍も非公式に「アメリカと戦争して勝てない」と思っていた。

陸軍の高官・武藤章陸軍中将は、海軍に非公式に「海軍は勝てない」と言ってくれ、と頼み、海軍・岡敬純(たかずみ)海軍少将は「正式には言えない」「戦争は総理大臣が決めること」と突っぱねた。近衛文麿総理は「陸軍が中国大陸から少しでも撤兵してくれれば」と言い、陸軍大臣の東條英機は「それは出来ない」と、開戦責任すら誰もが「言い出しっぺ」になりたくはなかった。

それが始まってしまったのは情報・外交を無視した内部事情そのもので昭和天皇の思惑などより内側の軍人官僚の論理がすべてに優先したのである。

次回は上官の命令は「天皇の命令」と一切逆らえなかった陸軍組織にあって、インパール作戦において独断で撤退命令を出した、当時の第31師団司令官・佐藤幸徳陸軍少将の決断を報告して終わりにしたい。

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