2010/9/19  20:30

墨田区押上  身辺些事
筆者が昭和32年、上京して中学校に入学したころの墨田区・江東区と云えば、戦後12年しか経っていない。現在の平塚市からゆえあって都内に居住したころの墨田区などは小さな町工場が密集していて思い出しても汚い街だった。だいいち隅田川支流の大横川などはドブ川同様で悪臭が漂っていた。

むろん墨田区押上(おしあげ)・業平などは、今でも下町の工場などが現存するが、戦後すぐでは汚いのは止むをえなかったかも知れない。あまりいい思い出のない昭和30年代の居住地が、今、最も脚光を浴びて隅田川を挟んだ西側の、若者が寄りつかないことで有名だった「浅草」などが、日曜日ともなると銀座なみのにぎわいとなっている。

今日は、同じ短歌会に所属する画家の「創展」が墨田区役所の画廊で開催、出かけた。同時に今、モテモテのスカイツリーの撮影、秋葉原で元勤務先の同窓会、そしてよせばいいのに、昔、大いに楽しんだ中央競馬の馬券の購入(むろん外れ)と、久し振りに13000歩を歩いた。

左側は「東武浅草線」、運河は「北十間川」。

クリックすると元のサイズで表示します
4


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ