2010/10/29  20:56

台風接近  身辺些事
台風14号が接近している。日頃の行いが悪いのと天の邪鬼への祟りか、台風は関東に接近しているらしく大雨になるらしい明日・明後日の旅行はどうやら降雨らしい。行く先が山形県鶴岡だから、直撃は避けられるにしても、日本海側は「晴れ」とは行かないらしい。鶴岡の歴史ある建物の見学がメインだから何とか目的は大丈夫か。「藤沢周平記念館」をじっくり見学できれば文句はない。

今日はいいことが二つあった。今年三月末まで自宅周辺の郵便配達を担当していた若い女性が訪ねてきたことである。今は配達はやめて営業をしているらしい。山本綾子(仮名)さんは若くて元気がいい。配達のときは女性には重いであろう自動二輪だった。

元気を貰う」などという言葉は、よく考えると可笑しい。「元気」とは貰ったり挙げたりするものではない。が、その化粧のない健康さと溌剌さには、前期高齢者には言葉を交わすだけで元気になるし、自分に娘が居たならばと年齢を忖度することになる。。残念ながらもう年賀状は注文したあとだった。生きている限り今後はこの女性局員に頼みたいが来年は来るのか来ないのか…。

二つ目は隣家の熟れた柿を頂いたこと。半分は山本さんに挙げた。

30・31日は旅行、11月01・02日は文字入力の仕事。文化の日までブログお休みします。

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2010/10/25  19:22

良い人・変な人・普通の人  政治
10月06日、ノーベル化学賞を受賞した鈴木章・北海道大名誉教授は、すごい人だ。父親を早くに亡くし、母親もかなり苦労し、本人も苦学し努力した。率直に自分自身の境遇に鑑みて素晴らしいことだと思う。筆者はこの「苦学力行の科学者は」は文句なく讃えたい。

その鈴木教授が、政府の仕分人を批判した。『「研究は1番でないといけない。“2位ではいけないのか”などというのは愚問。このようなことを言う人は科学や技術を全く知らない人だ」「日本の科学技術力は非常にレベルが高く、今後も維持していかねばならない」「日本が生き残るためには付加価値の高いものを作り、世界に使ってもらうしかない」「科学や技術を阻害するような要因を政治家が作るのは絶対にだめで、日本の首を絞めることになる。1番になろうとしてもなかなかなれないということを、政治家の人たちも理解してほしい」と、強く批判した』(産経新聞10月09日朝刊)

その仕分人は御存じ蓮舫(れんほう)参議院議員、本名・村田蓮舫。昨年、民主党政権下に内閣府が設置した事業仕分け(行政刷新会議)の文部省予算仕分けの際、次世代スーパーコンピュータ開発の要求予算の妥当性に「世界一になる理由は何があるんでしょうか? 2位じゃダメなんでしょうか?」が話題になった。以後はTVでこの場面が必ず出てくる。事業仕分とは別の日に投稿したいが、鈴木教授が言うように、この人は日本の国家戦略など何も知らないに違いない。逆風でも今年の参議院議員選挙・東京選挙区で当選者二人分の170万票では、鼻息も荒くなる。

国会議事堂でファッション雑誌の撮影とは、民主党も大した議員はいない。高得票だから能力があるとは限らない。社民党の福島瑞穂より少しマシという程度。普通の人とは「菅直人総理大臣」、政治哲学がなく、切迫感が感じられない。小沢一郎よりお金にキレイが取り柄か!

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2010/10/18  23:06

木瓜の実  身辺些事
拙宅の広大な?前庭に春は木瓜の花が咲く。紅白・ピンクと鮮やかである。このボケに実が生るのを、つい最近までよく知らなかった。インターネットで調べると、これを果実酒にするとかなりの効用があることが解った。滋養強壮・整腸などに効果がある由。木瓜だから「呆け」にも効用があると信じて近日中にホワイトリカー・氷砂糖を購入、「木瓜酒」を作ることにする。筆者は下戸だが食前酒に「梅酒」「柚子酒」「カリン酒」を用意してある。他には養命酒もある。これで血流は万全である!?。

これまで二日に一度を課して、日記代わりに頑張ってきたが、当面、三日に一度、四日に一度の週に2回程度にしたい。ブログとて更に天の邪鬼を気取っても、客観的におかしな、いい加減なことは書けない。とくに政治・昭和史などは事前にきちんと調べなければならない。これが意外に時間が掛かる。

筆者は定年後に、戦病死した実父の鎮魂の意味で「戦争の昭和史」を著述して素人なりに、太平洋・大東亜戦争の実態と終戦の決断の遅さを追及しているが、これがなかなか捗らない。「6章2項・帝国陸・海軍とは何だったのか」は昨年の今頃の完成である。新規にはあと4点を残す。3章・7章の推敲も滞っている。来年の秋までには、「源氏政権と鎌倉」「私の好きだった個性派俳優」「藤沢周平のベストテン」などを文章にしたい。あと一年間、頑張って昭和史を完成したい。短歌をやるのに、まだ万葉集さえロクに読んでいない。

「戦争の昭和史」をヤフー・グーグルで検索すると筆者のHPが出て来る。変なことは書けない。今、毎日「昭和史」を検索したウィキペディアなど大量の書類と文庫・新書・雑誌の山と格闘中である。

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2010/10/12  22:09

「楽天」は楽天家  身辺世相
「天の邪鬼」を標榜する筆者には、わが角がピクピクするのだが、評論に値しないしないと思っていたことがあった。「楽天」という企業が、日本人社員同士でも交わす言葉は英語使用という「御達し」。外国と商売するには、ドル・英会話・西暦は必須だろう。したがって英語力は必要不可欠かも知れない。だが社内の日本人同士も英会話と聞き及んで、この会社は一体何を勘違いしているのだろうと思う。

筆者が思い至るのは、これと正反対の戦前の「敵性語禁止」である。野球のストライクが「よし」ボールが「だめ」である。2ストライク3ボールは「二つ良し三つだめ」となる。歌手のディックミネは「三根耕一」だった。ビクターもコロムビアも駄目だった。

「楽天」は戦前の敵性語禁止のお笑い草とたいして変わらないことを大真面目にしているように思う。日本人が日本の会社で日本語禁止なら仕事の作業の思考回路はどのように構築して英語に訳すのだろう。文藝春秋11月号の巻頭言で、イタリア在住50年の文化功労者・塩野七生氏が「最近もっとも笑える話」として、これを取り上げている。詳しくは文春を読んでもらうとして、言葉は「道具」であって、思考回路・想像力は母国語でないと自然に反し、二重手間であると、言いきっておられる。

楽天の社内食堂は、筆者の好きな「おろし大根」「生卵」「納豆」はどういう表示か。「石狩チャンチャン焼き」はどうか。インターネットで「野菜スライス機」を購入したら「楽天」の子会社だったのか、以降毎日「楽天」のお買いもの情報のメールが来るようになった。むろん「配信停止」をお願いした。

筆者が短歌会で親しくして頂いている女性の友人は「ノバ」で英会話を習っていたが、ノバ倒産と共に英会話も放棄したようであるさすがわが友は聡明である。少々メタボだが、それなりに美しい!?

添付は千日紅。

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2010/10/10  23:01

御嶽神社祭礼  身辺些事
昨日の短歌大会は雨に祟られた。しかし大会は江東区東陽町のホテル。筆者が生活していた昭和50年代と大分違うのは、都バスのコース。東京駅から昔は都電のコースだった「錦糸町行」のバスに乗ったら昔と違うコースの錦糸町行き途中で降りて結局タクシーを使う羽目になった次第。大結社ではないので150人の出詠。出席者60名の丁寧な講評があった。筆者はもっぱらデジカメ撮影係。まずまずの画質が得られた。これが60人全員の集合写真だとなかなかうまく撮れない。筆者の出詠歌は、

 通夜振る舞ひ設へられたる立食のバイキングありエビチリをとる

得点は2点、ブービー賞に近かった。だが選者のひとりが「亡くなった人を良く思っていなかった」と読みとってくれたのは、さすが50年以上のキャリアを持つ歌人(90歳)だと思った。さすがとしか言いようがない。

戦争未亡人の筆者の母親と義理の父の仲介役、結びつけた義理の叔母の死である。88歳だった。3人の子持ちの義父、1人の子持ちの母親。困った同士の再婚だった。戦後は、この手合いが多かったように思う。そのキューピットだった義理の叔母はそれだけの人だった。成人した筆者は、口を利いたこともない。子供時代、生活に困窮しても知らないそぶりだった。おとなしい母親は一度だけ、その叔母に対して愚痴をこぼした。苦労した分だけ命を縮めたのか、母は76歳で平成06年に亡くなっている。

筆者は、平素だれでも遠慮する通夜のあとの振る舞いの料理をたらふく食べた。母親の分までと思い、寿司もデザートもエビチリもたらふく食べた。

本日、町内は「御嶽神社」末社の祭礼だった。筆者の家の前は、実の従姉の家である。招待を受けて御馳走が山盛りだったが、歯痛でやわらかいものしか食べられなかった。ここのところの歯痛は多分祟り!だと思う。

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2010/10/7  21:40

ボケの始まり  身辺些事
筆者は、自分のHPの最大のテーマ「私解 戦争の昭和史」のために多くの書を買い込んで読んできた。文藝春秋などの雑誌も含めてだが、昭和史・太平洋戦争関連の書は200冊余を超えて購入、再読・三読の書もある。だがこれだけ読むと事件・作戦・人物・発言など、必要な事項がどの本だったか、忘れるのは頭が悪いのは妥当としても、それが頻繁になるとそろそろ老人性の度忘れだけでは済まない。

「インパール作戦」の記事にも記したが、31師団の「佐藤幸徳陸軍中将」の「馬鹿の4乗」という戦後の指摘が、どの本か忘れて2年間も解らなかったことがあった。これは結局、角川文庫では削除されていたが、NHKの「太平洋戦争・日本の敗因 6回」の放送のなかにあった。8ミリVTRデッキで録画、平成05年の放送の4回目「責任なき戦場・インパール」の放送のなかのナレーションだった。

爾来、再読も新しく購入した書も鉛筆で本の上部に直接、◎○△レを書きこむ。更に重要な部分は抽出、A4用紙にメモしてある。このメモも数十枚にもなって数年前のは忘れている。困ったことである。太平洋戦争の陸軍に関しては、筆者は、最も著述が多く第一人者は、ノンフィクション作家・保阪正康氏だと思う。海軍は半藤一利氏、戦史全般は秦郁彦氏。

「昭和陸軍の研究 上・下 朝日文庫」「東條英機と天皇の時代 ちくま文庫」「あの戦争とは何だったか 新潮新書」等は、名著で、保坂関連の新書・文庫は殆んど揃っている。平凡社新書の「昭和史の深層」は、今年05月の発行、ところが半分読んでどこかへ置き忘れた。3か月、居間と書斎?を探したが紛失したようでどこにもない。待合室のあるクリニックに忘れたかと思い、訪ねて行ったが無い。仕方ないので再び購入して一気に読んだ。ところが今日、階下の天井まで届く本棚の藤沢周平の文庫のなかに新書だから文庫から飛び出している本が、その本だった買った本を忘れ再度買うのはこれが初めてではない。そろそろ呆けが始まったに相違ない。

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2010/10/5  8:48

トージンさんの思い出  パソコン
筆者が平成16年、定年後すぐの七夕の日にホームページを立ち上げた。このとき、ページ作りに参考にしたのが「スローネット」。今このシニア世代のサイトは山のようにある。スローネットで交流をすぐお願いしたのが「トージン」さん、「みすず」さん、「MIE」さんで、神奈川県在住だからである。HPの交流はおおよそは本名も住所も知らない。その方のHPやプロフィールで、その人間性がわかる。前年は信州の「みかんちゃん」の誘いで信州・善光寺に10数人が参集した。筆者は、みかんちゃんの住所も電話も知らない。だが渋温泉に宿泊、善光寺の御開帳を楽しんだ。

トージンさんは筆者より一回り上の申年、昭和07年生まれ、神奈川県逗子にお住まいで、何と先ごろ亡くなった谷啓(渡部泰雄・わたべやすお)と高校の同級生だったという。プロフィールに日本酒・Gパン?下駄?など愛用が面白いと思った。

トージンさんのカメラはプロ級である。普通カメラは露出を絞って、シャッター速度を遅くすると鮮やかに撮れるが必然三脚を必要とする。トージンさんはたとえば花の芯に焦点を合わせ、それ以外はぼかす写し方。いずれも高度なテクニックである。これが秀逸なものばかりであった。筆者のようにフラワーパークの花でなく、すべては野山の花で、花の名も正確である。

HPを維持するのはそれなりの作業と時間が要る。トージンさんはこの春HPを閉鎖されて、今は畑仕事、家の修繕、読書、ウクレレ、散歩と多忙らしい。筆者のブログは時々見ていただけるそうで有難い。

本人の了承を得て、花の画像はすべて鮮やかだが、2枚を紹介させていただく。一枚は「ある晴れた日に」もう一枚は、筆者がまだみたことのない幻の花・イワタバコである。前者は、富士山・江ノ島・相模湾・スケッチする老女二人。秀逸以外何も言うことはない2度クリック(ダブルクリックではありません)して元画像を御覧下さい。

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2010/10/3  21:44

近衛文麿  昭和史
またまた「昭和史」の話で申し訳ないが、日米開戦前に三度も組閣した「近衛文麿」と云う政治家がいる。日米開戦が避けられないとみるや、さっさと総理大臣の座を投げ出した無責任で軟弱なお公家さん政治家とされている。GHQへ出頭する前日、青酸カリで自殺した。

筆者「無明庵」の中の「私解 戦争の昭和史」は、逐次書き直し・推敲しているが、概略は十分に記述できる自信はある。が、核心の部分になるとなかなか難しい。拙論「第三章」の「日米対立」「日米交渉」は全面的に書き直しているが、筆者の考えるポイント・オブ・ノーリターンは昭和15年秋に締結された「日独伊三国同盟」で、もうこれは完全に元に戻すのは困難な締結だったと思う。

このほど購入したPHPの新書判の大きさだが、『近衛文麿の戦争責任』は、随分と思いきった指摘で、近衛は「共産主義者」だったいう主張。近衛の主宰した「昭和研究会」は、確かに尾崎秀実(ほつみ)のようにリヒャルト・ゾルゲと通じて共産主義を渇望した人物もいた。他にも昭和史に名を連ねる西園寺公望の子息、五・一五事件の犬養毅の子息や学者も仲間だった。

同時に筆者は『われ巣鴨に出頭せず』(工藤美代子著)も読んでいるが、こちらは近衛は軟弱でもなく、日米開戦を避けようとしたという全く逆の主張である。きちんとした読後感は又、別の日にするが、前者の著者・中川八洋(やつひろ)は昭和20年生まれの学者。「鬼畜米英」という言葉が日米開戦前から言われていた(実際は19年)などという明らかな間違いがあり、近衛文麿の長男の「文隆」が、なぜ昭和31年までソ連に抑留され、帰国直前に病死(処刑の疑いもある)したのか、の説明がない。だったら平成19年、95歳まで生きた大本営参謀・瀬島龍三はどう評価・説明するのか…。

確かにアメリカ・イギリス・日本の軍部にまでコミンテルンが侵入していたのは事実だろうが、日本に共産主義革命をもたらそうとした張本人だったとは、それは状況証拠だけの裁判のようなものである。推測や思い込みだけなら何とでも言える。もう一度最後まで読むが、その価値はあるのか…。

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