2010/11/27  18:01

憂国忌40年  昭和史
昭和45年11月25日、作家・三島由紀夫が東京・市ヶ谷の自衛隊の建物で割腹自殺した。事の是非は筆者にはよく解らない。25日、40回目の「憂国忌」があったという。

だが、同45年07月07日のコメントは何となく判るような気がする。あれから40年、三島由紀夫が予言したような国になっている。筆者は第一回目の「憂国忌」に行った記憶がある。千代田区の「九段会館」だった。昭和46年11月、27歳で、あらかた三島の著作は読んでいた。

『私はこれからの日本に大して希望をつなぐ事ができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にも、なれなくなっているのである。』

昭和45年7月7日「サンケイ新聞」より

割腹自殺は支持できないが三島の予言は多分に当たっている。

クリックすると元のサイズで表示します
2

2010/11/24  19:10

どうだんつつじ  身辺些事
本日より月末の仕事開始。

筆者は、年金生活だが貧乏ひまなしの状態。不眠症で午前中は、うとうとしているが、午後からHP、読書、昭和史、速歩とお金がかからないスケジュールとなっている。

「湖東三山の紅葉の旅」は予定にあったが、「鶴岡散策」となったので来年にしたい!? 紅葉は我が家の「どうだんつつじ」済ますことにした。どうだんはなぜか「満天星」と表記される。

筆者の戦死した実父の親戚から新米が10K届いた。これを消費するのは数カ月かかる。有難いことである。これでエンゲル係数は大分低くなる。お返しは年末に毎年、小田原名産「鈴広の蒲鉾」である。

クリックすると元のサイズで表示します
5

2010/11/19  22:50

哀悼・星野哲郎  身辺世相
作詞家・星野哲郎氏が15日に亡くなった。今日はその葬儀だった。代表して弟子だった水前寺清子が弔辞を述べた。星野哲郎は最近の歌謡曲の作詞家では第一人者だった。昨年は「石本美由紀」、3年前には「阿久悠」が亡くなっている。いずれも類まれな才能だった。

星野哲郎と云えば「三百六十五歩のマーチ」や「風雪流れ旅」などが代表曲の作詞とされる。だが筆者は、代表曲は美空ひばりの「みだれ髪」だと思う。筆者は短歌を嗜むが実際、お慰みでちっとも進歩はない。ここでハタと思うのは、戦後歌謡の代表曲と言えるものは、ものの見事に「七五調」で詩が成り立っていることが判る。

歌謡曲の好きな筆者が絞りに絞った、戦後の三大歌謡曲は次の歌。

◆「長崎の鐘」 昭和24年 作詞・サトウハチロー 作曲・古関裕而
  歌・藤山一郎
◆「古城」 昭和34年 作詩・高橋掬太郎 作曲・細川潤一
  歌・三橋美智也
◆「みだれ髪」 昭和62年 作詞・星野哲郎 作曲・船村 徹
  歌・美空ひばり

◇みだれ髪
 髪のみだれに 手をやれば
 紅い蹴出が 風に舞う
 憎や 恋しや 塩屋の岬
 投げて届かぬ 想いの糸が
 胸にからんで 涙を絞る

◇古城
 松風騒ぐ 丘の上
 古城よ独り 何偲ぶ
 栄華の夢を 胸に追い
 ああ 仰げば侘し 天守閣

◇長崎の鐘
 こよなく晴れた 青空を
 悲しと思う せつなさよ
 うねりの波の 人の世に
 はかなく生きる 野の花よ
 なぐさめ はげまし 長崎の
 ああ 長崎の鐘が鳴る

作詞者・作曲者・歌手いずれも昭和を代表する。進歩のない筆者の歌の声調にだけでも見習いたい。

クリックすると元のサイズで表示します
10

2010/11/16  23:22

暇人ときどき多忙  身辺些事
「藤沢周平の鶴岡を歩く」「花菜ガーデン・秋のバラ」のページを作成中だが、先月の「短歌大会」の写真も印刷中。暇人を標榜するが、目下のところ多忙。大会の写真は100枚をはるかに超える。印刷中にエプソンのインキ6色のうち4色のカートンを取り換えた。一部ストロボで反射の光がうるさくフォトショップで修整中。写真はたいてい「L判」だが映りのいいのは「ハガキ大」で印刷。インキも消費するわけである。

添付画像は鶴岡市の「旧風間家」の住宅。豪商であったらしい。特徴は屋根が瓦葺ではなく普通の石ころ? 旧風間家住宅は明治29年(1896)に旧武家屋敷跡に建てられた建築。風間家は、庄内藩の御用商人として発展し呉服業や太物屋を主な生業とし、明治以降は貸し金業を営み、今の「荘内銀行」の前身。平成8年に母屋、平成12年にその他の建物が国の「重要文化財」に指定された。

ページは写真印刷のあと送信します。

クリックすると元のサイズで表示します
5

2010/11/13  20:44

HP更新91  パソコン
久し振りに更新のページを作成中。

「藤沢周平の鶴岡を歩く」「花菜ガーデン 秋のバラ」のページは画像が20枚づつである。薔薇の場合、ページ以外にバラだけで45枚画像処理している。「鶴岡」も25枚処理してある。筆者のHPは昔の日本テレコム、今のソフトバンクテレコム。限度を50MBに設定してある。二つのページで4MBくらいになるので、これが限度。他のプロバイダに変更も考えているが「私解 戦争の昭和史」を終わり次第と考えている。しかし「旅」も「花」も無料のブログでいいかなと考えている次第。

あと二日くらいで更新の予定。そのあとは平成18年の「伊香保温泉」「白川郷」「坂東札所」「湯西川」の旅を「旅行記ブログ」に投稿、平成19年度は「琵琶湖・京都」「対馬・壱岐」のみ。

添付は6年前「みちのくドライブ紀行」のとき、鶴岡市観光連盟から送ってもらったものの表紙。今回、和服の美女にはお目にかかれなかった。

クリックすると元のサイズで表示します
6

2010/11/10  20:01

尖閣諸島沖衝突事件  政治
尖閣諸島沖の中国漁船事件の衝突映像がインターネット上に投稿されて、日本国民全部が、その一部始終の生々しい事実を知ることとなった。

海上保安庁の職員が船長に報告、今取り調べを受けているらしい。当局者は、国家公務員の守秘義務違反だとしているらしい。本来なら「菅直人内閣」が率先して公開すべきではなかったのか。日米の軍事条約の内容を漏らしたのなら、重大な国家機密法違反で断罪されるべきであろう。しかし今回は機密でも秘密でもなく、国民全員が知るべき事件で、しかもこの事件の被害者は日本である。

自国の領海を侵した他国の漁船を取り締まるのはまさに「海上保安庁」である。半ば命がけである筈だ。日本が他国に武力行使して主権を侵害するような案件なら、事の是非はともかくそれは国家機密だろう。今回は筆者は「海保の職員はよくやった」と誉めるほどではないが、何ら罪に問われるべきでなく、無罪放免、守秘義務違反などではないと思う。マスコミ各社は、この職員に「マスコミ特別栄誉賞」を贈ることを進言する。

中国は「毒ギョーザ事件」でも自国に犯人がいたのに謝罪もしないし、日本政府も黙ったまま。そんなにレアアースが欲しいなら世界各国にアンテナを張るべきだろう。それは資源外交・エネルギー外交の貧弱さを物語る。とにかく情報・諜報は日本建国以来最低である。遠からず日本は気が付いたらあらゆる国家情報が丸裸になっていたということになる。

民主党は自民党よりマシだと思っていたが、これで「菅直人内閣」は、また支持率低下は間違いがない。海保の職員取り調べは筆者の拙い知識では、これを「本末転倒」と言う。

添付は、ヤナギバヒマワリ。

クリックすると元のサイズで表示します
3

2010/11/3  22:18

鶴岡散策  旅行
30・31日、山形県鶴岡市の散策で「藤沢周平ワールド」に浸ってきた。南関東は台風で多分、雨模様だったに違いない。日本海側は降雨も風もなく、曇天だったがほどよい旅行日和だった。初日はいきなり鶴岡城址公園にできた「藤沢周平記念館」へ直行した。詳しくは画像20枚を厳選して独立のページを作成する。今日は一日中画像の処理に追われた。01・02日は、残りの文字入力だった。今、一息ついているところ。

このブログ御覧になるなりひら様、八千代市・国立市・墨田区の方、いつもコメントありがとうございます。

ところで時々神様はとんでもないイタズラをする。筆者を含めて4人の藤沢ファンの旅だったが、上越新幹線・羽越線「きらきらうえつ」で鶴岡に到着、ラーメンで昼食中に、友人の携帯電話が鳴った。静岡市在住で自宅療養中の母親がおかしいので、弟が救急車を呼んで運んだ由。長年、どの部位か解らぬが「癌」で入退院を繰り返していた。点滴の針も通らなくなっていたので、いつどうなるか解らないと言っていたのはこの春。が、記念館に到着したときに又、携帯電話が鳴り、亡くなったと云う。

母親は大正09年の生まれ、90歳。天寿とは云えない年齢だが止むを得ないだろう。長男である友人は悠々と「旅」続行とはいかない。エースJTBのコースなのでホテル・帰路の交通費の反古は仕方ない。藤沢周平記念館だけ見学してとんぼ返りとなった。

今度は「出羽三山」などを含めて又来ればいい。藤沢周平65冊、完全読破の友人だから心残りだろう。筆者は短歌をやるのに「白き瓶」「一茶」「回転の門」など数冊を読んでいない。寝床に「市塵」を置いている。

クリックすると元のサイズで表示します
1


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ